『人民の命が使い捨てにされる「人民共和国」から・・・』

『人民の命が使い捨てにされる「人民共和国」からの漂流者に、教えてあげたい話』<2017年12月15日(金)>
 日本海での北朝鮮漁船の漂流に、『筆洗』(171215)は鶴見俊輔さんの『日本の百年』から引用し思いを述べる。<漂流者は・・・いやおうなしに、鎖国下に育てられた日本のこまごました習慣や礼儀作法から自由になり…海外の人たちと国を離れたはだかの人間として接触せざるをえなかった>。更に、「日本に漂着した米国人の船乗りを、米軍艦が迎えに来た。身分にこだわる幕府の役人が『艦長は一番上から数えて何番目にいる人か』と尋ねると、船乗りは胸を張って答えた。『一番上に立つのは、人民である』。人民の命が使い捨てにされる『人民共和国』からの漂流者に、教えてあげたい話だ」。
 (JN) 人民のパラダイスはどこへ行ったのか。否、それはどこにも無かった。ノースコリアは鎖国状態にあり、真実のことはなかなか伝わってこない。彼らの行動はほとんど見えないが、時に現れる。それが日本海で。我が国に漂流してくる漁船は、大海原で漁獲の戦闘することに無理がある。この将軍様の人民は何のために働くのか。人民共和国と言う名の金王国は、何を大事にしているのか。人民は、金正恩のあの姿に何を思うのか。まずは、北の人民が、自分たちで民主主義の獲得しなければならない。それを望むのは酷かもしれないが、我が日本のように敗戦と他国の力による民主主義の獲得には大きな犠牲があった。人民が自分たちで責任を持つ国家建設は難しく、日本は制度ができていても国民の精神はまだ黒船の時代の米国の民主主義精神に追い付いていないのではない。でも、パラダイスを夢見るためにも、人民自身からの声による国家再編のために、漂流者をはじめ北の人民に情報を流し込まねばならない。交流こそ、パラダイスへの道である。