【読んだ】東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』

ゲンロン0 観光客の哲学
■実は論旨はシンプル。西洋哲学がヘーゲル(シュミット、アーレント)的な「成熟」した人間観を志向した結果、リベラリズムは失墜し、コミュニタリアニズム(トランプ的ナショナリズム)とリバタリアニズム(金融エリート的な欲望に基づくグローバリズム)が同時に存在する二層構造になったと。ここでリベラリズム的なドグマとしての「他者」など成立せず、IS的なテロリズムも生み出した。この袋小路を打破するのに「観光客」というコンセプトは有効やと。観光客とは、「(ネグリ-ハート的なグローバルな権力としての)帝国の体制と(旧来の)国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在(P155)」だと。観光客である事は、「無責任である事」「偶然性に開かれている事」を伴う。哲学史を振り返りつつ、カントやヴォルテール、ルソーやローティの中に、実は観光客に繋がる契機が含まれていた事を明らかにする。

■ってな具合にガッツリ哲学の本だし、哲学史の読み解きへの納得感もハンパない。ただ多分本書の1番の特徴は、哲学史と並行して、二次創作論や文学論やサイバースペース論等々をパラレルワールド的に動員しつつ、論旨を裏づけていく構成にあると思う。そこで持ち出されるパラレルワールドがほぼこれまでのあずまんの仕事の集積によって構成されており、それがこの本を「集大成」と言いたくなる所以かと。これをワンダーランドと揶揄するのか、あるいは「遂に東浩紀が自分の仕事の集積の上に、(パフォーマティブにも)誰にも邪魔されずに倫理的な誠実さを死守するための言論世界を作り上げた」と感動を覚えるのかは別れる所でしょう。僕は、袋小路に陥った今の社会運動への視座には共感したし、ふつーにすげーと思いました。

■…ってな感じでいいの?(びくびく)

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学