なのにわたしは京都へゆくの

バイト先で人が猛烈に足りないのはわかってるのだが京都へ行く。シフト管理してるボスの口からはチェリッシュの曲が今にもきこえてきそうだったが、水曜に深夜バスの予約をすませ、木曜に店をひとりで閉め、全力で走って背中に大汗かきながら新宿0時発の関西行きのバスに滑り込む。春ぶり、あのときは地震直後で、いぬくんも母も一緒だった。

深夜特急」は3行くらいしか読んだこと無いが、自分が、陽もまだ明けやらぬ京都タワーのたもとにて白い息を吐いてるとこや、そのあと歩いて三条大橋たもとの、まだ観光客が誰も来てないスターバックスで流れる鴨川みながらコーヒー飲んだり、してるとこが、はっきり見えてしまうと、もう駄目である。行くしか道は無い。(この言い分ってでもギャンブルやる人間の云うことだと最近自覚を深めつつはある)

四条に住む友達んちにいたが、一日目の夜は例の鍼灸の先生に誘われて、ディープ京都へと潜ってみる。一軒目は、先生の「京都のおねえさん」のやってる、わたし一人では死んでも入れないよーな、ヤクザと芸能人と政治家がお忍びでくるに違いない、天井の高い高級飲み屋へ。カウンターの中の、質の良い単衣を着た40がらみのお兄さんがその「おねえさん」。名前覚えてないけど滅茶苦茶いい酒ごちそうになった。そこんちに出入りしてる元野良猫のちはるさんは、「痛風になりそなくらいいいもんしか食べてくれはらへんから」この日もわざわざ鮪の頭を焼いてもらっていた。そのうちその店の常連の、女性同士のカップルが来る。皆でわたしを占ったり生まれた月を当てずっぽうに云い始めたりし始める。ねえさんのゆうことには、・・・まーいっか。55才で一山くるからそれがどんな山でも用心しろと言われる。いろいろ教えてもらって、帰り際には「東京の部屋の東西南北にこれを置くべし」といって三輪明神の清めの御砂など持たされ、二件目へ。

次は、あれどこだー?寺町ぬけてどこの筋に入ったのだっけ?それとも川沿いだった?とにかく地下の、リーゼントのにーさん(今度はほんとに兄さん)がやってる狭いバーへ。ここで飲食店立ち上げの秘訣などを、かなりよれよれになりながら聞く。

この辺で記憶が無くて、気づいたらちゃんと四条の友達んちの布団で朝目覚めたのだが、「酒は飲んでも呑まれるな。泊まったのがうちで助かったと思え」と、その友達から翌日近所の南インド人のカレー屋で説教される。

バス泊2日間はさんで一泊2日だったけど、今まで無いくらい濃ゆい夜であった。頂いた砂のお陰か、翌日食べたものがインド・タイ・韓国料理だったせいか、東京帰ってからお腹と背中がくっつくくらい解毒しまくりであった。

見学の意味もあってたくさんカフェに入ったけど、どこの店もトイレにメトロ(クラブ)でやったMatthew Herbertのツアーのフライヤーがあって、行き損ねてたからその度にちょっと悔しい気持ちになってしまった。最後に行ったルインズというところが今回の収穫。ここのトイレにはハーバート以外に大阪の雑誌INSECTSのオオルタイチ×EYE特集のフライヤーが張ってあったし、その他のも全部わたしの好きなチョイスで、店の人と話してみたかったけど、カウンターの中にいる人もがあまりにも自分好みだったので緊張して話しかけられず、黙々と壁の版画など見るふりしながらカフェオレを飲み干す。