El espíritu de la colmena


ここんとこ寒すぎて、屋外の気温とさほど変わらない自分の部屋で暖かいのが風呂桶の中とベッドの中だけなので、そのふたつのオンドルから、一度はいってしまうと出ることができない。
朝など、布団の外に出てる額と頬と鼻先だけがキーーンと寒くて目覚めたりする。「いま顔と身体の温度差25度以上だ・・・」とうそぶいて顔をオンドルに入れたが最後、もー出られない。にもかかわらずやはり春はくるので、今日、チャリのこぎ始めに唐突に春の訪れを感じる。それはなんとゆうか、実際に暖かかったり梅の匂いがしてくる訳ではなくて、「いまにも梅の花の匂いがしそうな予感」「めちゃばり寒いけど温度差がいきなり来る予感」の、ほんの一瞬だ。実際にその状態(春)になるのではないから、何年も繰り返し経験して来た、「気温が上昇する直前の寒さによる武者震い」の動物的条件反射なのだけど。

本日は仕事場で、mちゃんとわたしがくしゃみの嵐。風邪によるものでなくて、くすぐったくて出るくしゃみで、花粉症の二人して本日が立春だということに気付き、来る春を祝う。こんな寒いのに!

学校の友達から、彼女の大学卒業時の卒論を借りる。スペインのビクトル・エリセ監督の「みつばちのささやき」をテーマにしたもので、バイトの30分休み時間中に読み切ることができないため、最近はいつでも読めるよう、自分のリュックに入りっ放しになってる。うちから六本木までが片道5キロちょいなんで、フランケンシュタインにリンゴを差し出すアナ・トレントのプリンティングされたこの素敵な1冊は、わたしとともに既に4〜50kmの距離を行ったり来たりしてる、空飛ぶ卒論。だが今日の昼に残念ながら読み終えてしまった。これを読みながら、”通過儀礼”というのは、冬と春が混ざるときの一瞬の激しい気温差みたいなものだろうかと考えるが、どうしてそんなふうに思ったのかは我ながら不明。これさえ超えたら生き延びられるからだろうか。