夢月(17歳)*バイクで北海道足寄町、「松山千春」の実家へ行く!。

 それにしても本当に月日の立つのは早いものだ!。やっと新しい年が明けたと思ったら、もう12日も立ったんだぜ!。2013年も残すところ後、たったの353日だ!。どんどんと自分の死が近づいて来る!。皆も日々大切に生きろよ!。本当に人間の一生なんて長い様で短いんだからね!。俺が小学生の頃までの時代は、お正月の三が日は皆、何処のデパ-トもス-パも全部休みだったものだ!。窓の外は静かで美しく綺麗な粉雪が、しんしんと降っていた事を思い出す!。それが今では、お正月そうそう、初売りだの福袋だのと世間はワイワイ・ザワザワと本当に何かと騒がしい!。そして時代は流れ時は過ぎ、お正月は家族皆で御節料理にお雑煮とみかんを食べるといった風情も情緒も何もかも無くなってしまった!。今では外で素朴で無邪気な子供達が、やっこ凧を上げる姿も無く、お年玉だけ貰って後は携帯電話にテレビゲ-ムだ!。もう、そこには、この国、日本の古き良き伝統と文化などというものはほとんど失われて過去へと消滅してしまった!。これも時代の流れ、そう無情なのか?。以前にも書いたが、俺がギタ-という楽器に出会い夢中になったのは今からもう34年も前の15歳の時だ!。当時の日本のス-パ-スタ-はあの、「松山千春」だった!。中学校のクラスでは女の子達の間では、「松山千春派」と、「原田真二派」とに別れ、ワイワイ・ガヤガヤと騒いでいたものだ!。そしてこの俺も当時皆バックバンドを付けて歌う時代に、たった1本のギタ-だけで物凄い高音の声量で弾き語り、人の心を圧倒し引き付ける、「松山千春」に強い衝撃と影響を受けたのだ!。そして俺も若くて純粋で感受性が豊かで強かった俺は、「松山千春」の生のコンサ-トへ行き、その歌声に背筋がぞくぞくし凍らされるほどの感動を受けた事を今でもはっきりと覚えているしまた忘れもしない!。その次に強い衝撃と感動、そして強い影響を受けたのが、やはりギタ-1本で全国をツア-で回っていた、「長渕剛」だった!。彼のハ-モ二カ-を吹きながらのフォ-クギタ-のテクニックは今、日本で超一流の一級品だ!。そしてこの二人に共通している事とは、二人共、自分で作詞・作曲をし曲を作り歌う、シンガ-ソングライタ-であるというところだ!。ただ当時の二人は、どちらもギタ-コ-ドだけで譜面など読めなかった!。そしてその頃の時代はまだカラオケなどという物は無くて、ギタ-を持っているだけで女の子にモテて、ギタ-を弾けるだけで、更にモテ、シンガ-ソングライタ-になると大抵の女の子はすぐ簡単に堕ちたものだ!。しかし、「松山千春」も「長渕剛」の二人共、編曲まではやらないし出来ない!。こうして自分の曲をこのサイトから流している俺自信も編曲の才能が全く無い事だけは自分で良く分かっており理解しているのだ!。作詞・作曲・編曲・演奏までを一人でやるア-ティストは俺の知る限り、外国では、「プリンス」、日本では昨年のNHK紅白初出場を果たした、「やさしくなりたい」の、「斉藤和義・46歳」がそうみたいだ?。だから俺は凄くセンスの良い優秀な編曲者をずっと探して来たのだが、今のところ誰もいない!。音楽の曲とは編曲のアレンジの仕方しだいで作品が物凄く大きく変わる!。故に俺の過去に作った曲の詩を多少直して編曲を完璧にすれば、かなり良い作品に仕上がると俺は確信をしている!。さあ、今後その夢は叶うだろうか?。そして俺は、今から32年前の17歳の時に友達と学校をサボって両親にも内緒で、ペ-パ-テストだけの原付バイクの免許を取得し、バイトで稼いだお金で買ったママさんバイク、「スズキ・ランディ50」と言うバイクで同じ高校の友人(上記写真右側)の、「長谷川君」と二人で旭川から当時、日本全国からの観光名所の一つになっていた(上記写真)の、「松山千春」の実家、北海道足寄町へと向ったのだ!。その頃、「松山千春」の実家には観光バスが来るほどで、汽車やバイクで来た人達が宿泊出来る様に古い廃車になったバスが一台置いてあり、ファンが皆、思い思いに日記を書いたり落書きを書いたりしていたものだった!。しかし、今ではもう、「松山千春」の実家の家も当時は観光名所だつた古い木造の足寄駅も全て立て直され、今では新しく立て直された足寄駅に小さな、「松山千春記念館」と「歌碑」があるだけで、もう味も素っ気も無いよ!。そして今では俺は特に尊敬するア-ティストと言ったなら、やはり、「マイケル・ジャクソン」とせいぜい、「浜田省吾」くらいかな?。ところで一緒に写真に写っている親友だった、「長谷川君」とは高校を卒業して東京の旭化成化学に就職をして、もうかれこれ30年近くも会ってもいないしお互いに電話番号さえも知らないのだけれども?。オ-イ、「長谷川君」、元気で生きているのか?。どうせもう髪の毛は無いんだろう?。本当に時の流れとは早いものだぜ!。じゃあ、また!。By.夢月。
(上記写真)が、今から32年前の、「松山千春」の実家で写真左側のジャンバ-を着ている方が当時17歳の俺、「夢月」です!。自画像の看板の「松山千春」は当時25歳で髪がフサフサで若いだろう?。でも本当に改めて若き日とは短いものだと感じるよ!。
(お知らせ)*明日、明後日の2日間は、「MWブログ」はお休みです!。従って次回の書き込みは1月15日の火曜日となります!。By.夢月。
「作詞・作曲・編曲・歌・・夢月・人はいくつもの巡り会いと別れを繰り返し一人去る!。」
 (巡り会い、そして別れ)(下の青いマ-クをクイック・何回聞いても無料です)
Download

アクセスカウンターアクセスカウンターアクセスカウンター