シンガポール通信−白石隆「海の帝国」3

イギリスが、東インド会社やその代表的な人物であるラッフルズなどを使って東南アジアに作り上げた東南アジア帝国(それをこの著書は「海の帝国」と呼んでいる)とその周辺の国々は、第二次世界大戦後次々と独立する。

これらの国々の独立と共に、東南アジア帝国は第二次世界大戦後崩壊したと言える。いやもっといえば、第二次世界大戦が始まり日本軍がこれらの国々を占領し英国人を追い出した時に崩壊したといっていいだろう。

もしこの著書の記述がその時点で終っているなら、本著書「海の帝国」は所詮はイギリスによる東南アジアの植民地政策を記述した著書という事になる。そしてそれは欧米の立場から見た東南アジアの近年における歴史の変遷という事になるだろう。その立場に留まっている限り、この著書は私たち東洋人から見て興味深いものとはならないであろう。

この著書がシンガポール紀伊国屋に平積みになっていたり、第一回読売・吉野作造賞を受賞しているのは、この本の記述がそれだけの内容に止まっていない事を示している。それはこの著作のかなりの部分が、東南アジア帝国の本来の住民の立場から描かれ、そしてそれを構成している国々が独立後どのような軌跡を描いて現在に至っているかに重点を置いているからである。

前回述べたようにイギリスは東南アジア帝国に近代国家の機構を持ち込もうとした。近代国家の機構は中央集権的な統治機構の存在とそれを運営する官僚の存在によって支えられる。これは絶対王政を経験し、それに対して王に対立する国民が主権を持つ国家という概念を生み出した西洋によって作り出された仕組みである。

ところが東南アジアにおいては「国民」という概念が存在しないもしくは希薄であった。それはこれらの国々が多くの人種で形成されていると共に、これらの地域を統治して来た各地域の王の権力の盛衰に伴いその支配地域も変わって行った事から、「国」および「国民」という概念が生まれにくかった事による。

近代国家という機構には、中央集権的統治システムの導入はもちろんのこととして、その基礎となる「国」の概念と自分がある国の「国民」であるという考え方の存在が絶対的に必要である。ところがそれまで東南アジアに存在したのはマンダラ的統治システムであったために、そこに住む人々の間に国家・国民という概念がなかったことになる。

そのような場合は統治側はどうするか。住民に国家・国民という概念を植え付けるしかない。イギリスはそれをどのような方法によって行ったか。最も典型的なやりかたはシンガポールにおいて行われた方法である。シンガポールは元々ほとんど人が住んでいない島であった。それがラッフルズにより街が建設されることにより、周辺の国々から人々が移住して来てアジアにおける貿易の拠点として急速に発展して来た。

多くの人種から構成されている国において、住民に国民という概念を植え付けるにはどうするか。ラッフルズが行ったのは、住民を「中国人」「ヨーロッパ人」「アラブ人」「マレー人」「インド人」などに分類し、彼等の居住地区を指定してそこに強制的に住まわせるという方法であった。ずいぶんと乱暴な方法である。現在もこの方式の名残は「チャイナタウン」「リトル・インディア」などの名前で残っている。

このような方法をとると、各人種の居住地が隔離されるため各民族間の対立が生じたりして、深刻な問題になりやすい。それがシンガポールではなぜ生じなかったのか。その理由の一つには元々それらの住民が、自分たちの住んでいた所から出稼ぎに来ていたり移住して来たりした人達だったため、シンガポールという土地に対する愛着がまだわいておらず、住む所を強制的に決められる事に関してあまり抵抗感が無かったことであろう。

もう一つの理由は、シンガポールが貿易をベースとして発展した都市国家であり、そこに住む全ての人達にとって経済発展がその最大目標となり、通常の国家が持っている長年の歴史に基づく多くの利害関係の衝突が無かった事によるのだろう。もちろん経済発展を最大目標とする事は国家に対する国民の帰属意識を希薄にさせやすい。シンガポールが現在でも独立記念日(ナショナル・デイ)における盛大なイベントなど、事ある毎に国家への帰属意識を高めるための仕掛けを行っているのは、上記の事と関係が深いのではあるまいか。

それ以外の国々、マレーシア・インドネシア・タイ・フィリピンなどのおける独立後の歩みに関してもこの著書では概観している。いずれの国においても、近代国家においては国家と国民の概念の確立そして国民の国家に対する帰属意識の醸成が重要である。しかしながら、それぞれの国における歴史の相違がその過程に大きく影響しており、そしてそれが現在のそれぞれの国家が抱えている問題につながっていることが、この著書を読んでいるとよくわかる。

私は当初この著書を読み始めた時に、単なる19世紀以来のイギリスの東南アジア植民地政策の解説書かと思った。もちろんそのような面があるにせよ、現在の東南アジア各国におけるそれぞれの国における状況が、イギリスの植民地政策と近代国家の仕組みの導入の方法とそれぞれの国の歴史とが複雑に絡まって生じている事がよくわかった。その意味では東南アジアの現状を知るための良書であるといえるだろう。