バンクーバー冬季五輪雑感

猪谷、ザイラーの時代から私は山スキーに親しんでいたのでスキーの出来なくなったこの齢になっても冬のオリンピックに関心は深い。私はこのところずっと病床にあってテレビ観戦の時間はたっぷりあった。と言うかテレビ観戦で病気の憂鬱を紛らわすことが出来た。病院の待合室でも患者達はテレビに釘付けになっていた。高橋大輔の4回転ジャンプ転倒シーンではキャーと悲鳴があがった。でも彼は立ち上がって堂々とその後の演技を続けた。

延々3時間に及ぶ開会式は退屈だった。やたらにショーが多すぎるし、こんな時に限って先住民族イヌイットを持ち上げて見せるところに侵略者の偽善と優越を感じた。日本のアイヌも同じだが彼等は後から来た侵略者に土地を奪われ生活の基盤を失った被害者である。ショーの材料にされるのを果たして喜んでいるだろうか。

銀メダル3、銅メダル2、世界20位の成績はまあ私の予想に近いものだったが、100人近い大選手団に見合った数字かどうか人によって意見は分かれよう。そこへ行くと韓国の好成績には驚くばかりである。日本の半分以下の選手で金メダル6を含む14個のメダルを取った。しかしよく見ると選手はスケートに特化しており、他種目にはほとんど出場すらしていない。その背後には組織的、国家的な戦略があるように見える。スポーツだから能力を競うメダル競争は結構だが、それが国威発揚に繋がってくるとスポーツ精神にそぐわない。かってのナチスドイツのベルリンオリンピックを思い出してもみよう。石原都知事が今度の日本選手の成績を評して金メダルでなければ意味がない。取れないのは国を背負ってないからだと言ったそうだが、そうした考え方で東京オリンピックの招致(失敗)に500億円もの大金を使ったというのは恐ろしい。

ともあれ大きな感動と希望を残してオリンピックは終った。参加した選手も声援を送った観客(テレビ観戦者も含めて)も世界の絆を深め合ったことだろう。本当にスポーツって良いものだ。テレビ観戦を通じて集中して全力を尽くす人の美しい目と美しい姿に見惚れた。カーリングストーンを投げる時の澄んだ女子選手の目、一糸乱れず編隊を組む女子団体追い抜き戦(パシュート)のカモメのような女子選手達の姿、それにたとえ金は取れなかったにせよ全力を出し切った者だけが見せる清々しい笑顔、そんな姿が私の目に焼きついている。