ドイツと日本

ドイツは脱原発を決めた.ドイツにできることが日本にできないわけはない.これは今回の選挙においていわれてきたことだ.実際,それはその通りである.技術的にも,もっと効率のよい火力発電も実用化の段階にあるし,第一,2基しか原発が動いていなくても電気は足りていた.使用済み核燃料の処理方法も確立していない原発をこれ以上動かさず,順次廃炉にしてゆく.その上で叡智を集めて核燃料の処理方法を研究する.それはできなければならないし,また実際十分可能である.以上のことを脱原発を掲げる政治家が力説するのは当然だ.いずれ地震は起きる.もういちど核惨事を起こしてはならない.廃炉を決め,燃料をまずもっと確実なところに保管せよ.
しかし,今回の選挙で国会における脱原発派はごく少数となった.つまり今回の選挙では,まだ脱原発の道筋はつけられなかった.ということは,ドイツにできたことがなぜ日本にできないのか,と問わねばならない段階になったということだ.その結論をいえば,ドイツは第二次世界大戦の始末をつけてきた.日本はいまだつけていない.ドイツでは第二次大戦を経て,ナチズムを非合法化し,ナチズムの称賛は全面的に禁止している.日本では軍国主義や排外主義が大手を振っている.それが安倍自民党や石原維新の会を支えている.戦争を遂行した官僚層は日本ではそのまま残った.ドイツでは,あの戦争を遂行した官僚制は,東西ドイツに分裂させられていたこともあって,解体された.ましてメルケル東ドイツで大学生活を送った人である.官僚制の縛りは日本よりはるかに弱い.これは国家としてのドイツの強みでもある.頭の固い官僚から自由に,資本主義の新しい段階に適応できる.ドイツが脱原発を決めたのは,経済発展においてもその方が有利だからである.
もとよりそのドイツも新自由主義経済であり,多くの矛盾,問題をかかえている.国内的にも経済格差は広がっている.EU内では,南北格差が激しい.EUを実質的に主導する国家がドイツであり,その緊縮財政政策は,ギリシア,スペインはじめとする多くの国の人々から批判を受け,一昨年来,デモや抗議行動が日常のことである.また今回ノーベル平和賞EUということになったが,その授賞式の前に,オスロでは反EUのデモがあったように,EU体制とそれを主導するドイツへの批判は厳しい.しかし少なくとも脱原発は決めた.メルケルもそうしなければ支持を失うと考えたからそうしたのだ.メルケルにそう考えさせる人々の力があった.
第二次世界大戦の後始末をつけてきたドイツと,そうでない日本.さらにいえば日本の官僚制はドイツよりはるかに強固である.ドイツも日本も19世紀の同じ頃に近代国家となった.しかしその前はまったく違う.ドイツは長く統一国家ではなかった.中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく,大陸の各地に領邦国家が分立した歴史が長かった.これは現在に続く連邦主義の基盤となっている.一方の日本は島国であり,国家としての統一は1000年以上である.その結果,いわゆる官僚制とそれが主導する体制は,日本の方がはるかに強固である.
日本の現在のその体制は「原発資本主義」ともいうべき戦後体制であり,原発の利権に関わる官僚と学者,そして企業がエネルギー政策を支配してきた.これを旧体制という.今日の日本の政治・経済・社会のすべてにわたる劣化・惨状の原因はこの官僚主導の原発資本主義にある.だから脱原発は単なるエネルギー問題ではなく,外交の基本問題であり,環境問題の基本問題であり,国民の生命と生活に直結する問題である.それは戦後政治体制を土台から見直さざるを得ないことなのだ.つまり,まだつけていない第二次世界大戦の始末を,つけることにつながる.
旧体制側は選挙の真の争点が官僚の主導する戦後体制の見直しにあることをおさえていた.だからマスコミを総動員して争点を隠し,従来の利益誘導・経済主導の選挙方法を駆使し,この戦後の利権体制を守ろうとした.「民主党がダメにした日本をわれわれが再建する.」これが自民党の言い分であるが,それは実はこの戦後体制に立ちかえるということに他ならない.それに対してわれわれの側は,脱原発のためにはこの戦後政治勢力と闘わねばならないという,この問題を共有し,さらに広げることにおいてまだ十分ではなかった.それは主体的なわれわれの問題である.もとより,「原発,ダメなものはダメ」が大切で,そしてその声を大きくあげることが重要なのではあるが,同時に問題をしっかりおさえることで,脱原発勢力内部の矛盾を克服し,もっとも主要な争点,原発維持か脱原発かにおいて,統一することが,まだ弱かった.
しかし考えてみれば,問題はたいへん大きいのだ.1回の選挙で決着がつくようなことではない.小沢裁判でも,2009年3月のあの秘書逮捕から2012年11月の無罪確定まで3年半かかっている.その間に自立した市民が育ち,その運動が大きくなった.その力が小沢無罪の原動力だった.旧体制に打ち勝つまで,それよりはもう少し時間がかかるのは当然だ.あるいは代を継いだ闘いも必要だ.
そのなかで,脱原発の運動はさらにもう一回りも二周りも大きく深く広がらなければならない.議会活動でも街頭行動でも,脱原発派がもういちどまとまり,捲土重来,くりかえしくりかえし壁に挑み,必ず壁をのりこえて進むことを願っている.一人一人が人として許せないことに声をあげ,できる行動をする.それが歴史を作る.道は曲がりくねっているが必ず到達すべきところに到達する.日本の旧体制はかならず破られる.
写真はサザンカ.人間世界に何があろうと季節はうつり花は咲く,といいたいのだが,そして「方丈記」の時代はそれがいえたのだが,現在はいえない.核惨事が起これば,花もまた大きな被害を受ける.