ボトリオコッカスのこと

 最近、ボトリオコッカス・ブラウニーという藻のことが話題になっていると聞いて、ああそうなのか、と何か格別の思いがよぎりました。実は私自身が、以前この藻の実験研究をしていたからです。この藻のことを知ったのは1990年頃のことで、当時私はまだ会社勤めをしていて、東北大学に派遣され、生化学の実験研究をやっていました。ある日、研究室に、アメリカのソルト・レーク・シティにあるユタ大学からポールターさんという教授が訪ねて来られ、このボトリオコッカスの生合成経路について講演されたのです。この藻は、俗っぽくいうと、「石油をつくる藻」なのです。微生物的な単細胞の藻ですが、淡水中で、集合してコロニーをつくって生育し、そのコロニーの細胞間に大量の油分(炭化水素)を保持しています。この油は、もともとオイルシェールとか、スマトラ原油とか、化石燃料の成因のひとつになったものだそうです。
 そのポールター教授の話を聞き、もしこの藻のつくる油で石油を代替できるようなことになったら素晴らしいではないかと思い、その少しあとから、東北大でボトリオコッカスの研究をやらせてもらうことになりました。まだこの藻が炭化水素(油分)を生産する生合成ルートが解明されていないと聞いたので、それを解明しようとしたのです。
 ところが、ずいぶんと勇んで始めたわりには、初めの1年半くらいは培養がまったく不調で、混じっている他の藻を一生懸命取り除いてボトリオコッカスだけにしたつもりでも、しばらく培養すると再びコンタミ藻のほうがどっとふえてしまう、ということをえんえんと繰り返すはめになりました。その後、当時この藻の研究をリードしていた明治大学の岩本先生の研究室のサポートを得て何とか培養が確立し、やっとまともに実験ができるようにはなりました。しかし今度は、これこそがねらっていた代謝上の中間体、と思うとやはりそうではなかったということの繰り返しで、解明しようとしていた生合成のルートは結局よくわかりませんでした。ただ、違うとわかるたびに、それが新しい化合物や酵素の発見につながるということがあって、一応は学位論文としてまとまったのです(『微細藻類ボトリオコッカス・ブラウニーのイソプレノイド代謝系の研究』、本名の井上名の論文です)。
 ただ、この藻の油が果たして代替エネルギーになるかと考えると、なかなかイメージがわきませんでした。単位面積当たりの炭化水素の生産量としては、私が研究していた90年代初め頃は、明治大学の岩本先生が年間1ヘクタール当たり22トンという報告を出されていたのが最高記録でした。より炭化水素生産能力の高い株を選び、よく増殖する培地(培養液)を調整し、光を多く当て、あるいは二酸化炭素濃度の高いガスを流し…等々条件を変えていけば、もっと大きな値は得られると思います。最近はどこまで高い値が出ているのかよく調べていないのですが、100トン以上という報告もあるようです。ただ、そうやって条件を人工的に調整する度合いが高まるほど、通常はそのための投入も大きくなり、培養できる規模は限られてきます。
 この藻を、代替エネルギーとして意味がある程度に培養しようとすると、いずれにしても広大な面積が必要ですが、大規模な培養で生産できる油の量としては、もっともうまくいった場合でも年間1ヘクタール当たり5トンか10トンではないかというのが私の感覚です。仮に期待を込めて10トンとしてみましょう。そうすると、2007年の日本の石油消費量は約2億3千万トンですから、もしそれをこの藻の生産する油でまかなおうとすると2300万ヘクタール必要ということになり、これは日本の総面積37万8千平方キロメートルの61%にも相当します。石油消費の10%を置き換えるだけでも230万ヘクタール、つまり琵琶湖の34倍くらいの面積が必要です。それだけの面積の水面を、この藻で埋め尽くすというのは、どうしても現実的とは思えないし、好ましいことでもないと感じてしまいます。
 自然エネルギーは、太陽電池にしても風力にしても同じような事情があり、「現在の化石燃料消費を代替する」という発想に立つと、何かグロテスクで、別の意味で環境破壊につながりそうなことになってしまいます。もともと現在の先進国の化石燃料消費は、悠久の時間をかけて形成された資源を一瞬のうちに燃やしつくしてしまうような速度なので、それを、今現在地球にふりそそぐ太陽エネルギーから得ようとするのは、そもそも無理なのではないでしょうか。本来は、それぞれの地域で持続的に無理なく供給できるエネルギーのほうから考えて、それにもとづいた生産のあり方、生活のあり方を構想していく、というのが筋なのではないか、と最近よく考えています。


ボトリオコッカス・ブラウニーのコロニー 撮影:田中直