連続性

映画「1980」では三姉妹が出てくるけど、長女のカナエは70年代に青春を送ってて吉田拓郎のファン、旦那との思い出の曲は「結婚しようよ」
冒頭、彼女はテクノカットの少年、衣笠にテクノに対して違和感を語ってる。
岡崎さんの東京ガールズブラボーの主人公は三人の女の子で三人とも高校生だったからストレートにその風俗を享受して、その外部にいた人達に対する目線はほとんどない*1んだけど、「1980」は三人の年齢をうまく離した*2ことで広がりが出た気がする。見てて思うのは本編の恋の話と別に見えない形でどんどん新しいものが生活の中に入ってくる感じだ。
その象徴としてテクノとラストのウォークマンがうまく使われてた気がする。

前に80年代ブームに対しての違和感書いたのだけど、それはつまり80年代を単品でもってきて、いきなり押し付けられた感じがしたからだ。
多分「1980」がタイトルなのはこの時代が70年代末と80年代のつなぎ目だからだ。私はつなぎの年というのを1990年と2000年しか経験してないけど、感覚としてはやっぱりデジタル時計みたくカチッとはかわらない。
何かちょっとづつちょっとづつ古い時代が忘れられていつの間にか新しい時代*3になっていつのまにか時代の色が出来上がるって感じだ。多分90年代なら95年がそうだと思う。

そういう流れを私は知りたい。もっというとそういう流れを知ることが歴史を知ることで、いきなりサンプリングみたく抜き取って見せられてもなぁ〜って思う。
それにしても今80年代を持ち上げてる人は90年代初頭の別冊宝島の「80年代の正体」に代表されるような「80年代はスカだった」の声にどう対応したのか?どう抗ったのか?あれはあなた達の感性が否定された一大事だったんじゃないの?って思う。
しつこいようだけどそれに対してちゃんと意思表示したのって岡崎京子さんの東京ガールズブラボー大槻ケンヂさんの「グミチョコレートパイン」シリーズとケラさんの演劇だけだったんじゃないのかなぁ?と思う。
そしてその時、岡崎さん達が描いた物語って多分、安易なその時代の肯定じゃなくて、その何にもないといわれてた時代にあがいてた思春期の僕たち私たちの肯定*4なんだと思う。
それが伝わるから私は風俗への愛着はなくてもちゃんと感動できるし。
何かさぁ十年たったんだから時効だよねぇって空気がイヤ。
もし今80年代を持ち上げるならその時の総括してくださいと
ちょと思う。

追記、「1980」は80年代初頭、アイデン&ティティは80年代末*5の話で両方とも80年代ブームの象徴みたく使われてるけど、そこに流れてる空気感は全然違うなぁと思う。
何せ「1980」はテクノで、演出も意図的にチープにされてるし台詞もシニカル
対してアイデン&ティティはバンドを扱ってるだけに熱い、何せロックだし
「1980」のパンフレットを見たらYMOの散開が1984年なんだけど、やっぱその辺りでYMOに代表されるテクノポップ的な感性って終わってるのかなぁ?
ちなみにアニメではこの年に「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開されてるんだけど。
で、その後はある種バブルの熱狂と連動したバンドブームでって感じになるのかな?
ケラさんは79年から82年くらいを擁護したいとパンフレットのインタビューで答えてて岡崎さんの東京ガールズブラボーも82年の話、「東京ガールズブラボー」のラストではその数年後に起こる出来事がつらつらと語られていて
「何となくどんどん終わってくな」という感じがしたと書いていた。
YMO対ブルーハーツというか80年代前半と後半でまた一くくりにできないグラデーションがあるのかなぁと思う。

*1:というか自分の回りのものしか書いてない、聖子ちゃんカットの女の子も蚊帳の外だしヤンキーもでない

*2:たしか34歳、26歳、16歳

*3:私の感覚だと92年からが90年代って感じだった。まぁ高校に入った年っていってしまえばそれまでだけど

*4:っていうかノスタルジーの本質ってコレなんじゃないかな?

*5:正確には設定されてないけど

テクノ

「1980」のラストYMOのライディーンがかかるし、映画を撮ってるシーンではテクノポリス*1がかかるけど、見てるときはふ〜んって思ったけど、やっぱあの時代を描くならYMOよねぇ〜と今は思って、昔買ったベスト盤を探してます。
もともと電気グルーヴが好きだったからそこからテクノにいってケンイシイとかエイフェックスツインとか買ってたけど、アンダーワールドとケミカルブラザーズが大メジャーになって普通にみんな聴くようになってからは、結構静観してみてる。
多分ここでYMOとアンダーワールドはジャンルが違う、あれはテクノポップでとかあれはデジロックで〜とか言い出す音楽オタクの方がいるかもしれないけど、そういう音楽評論家の細かなジャンルわけがまた私をテクノから遠ざけた。
私の感覚でいうとテクノってのは「どこかで楽しいことが始まってるよ」っていう憧れの音楽だ。屋上や河原で遠くの空を見ているような。
それを体現してくれれば楽器は何でもいいしボーカルがあってもなくてもどっちでもいい。
ライディーンってのは私にとってそういう音楽*2で、何もできないかもしれないけど何か始めなきゃって胸がソワソワわくわくしてくる。
多分あの感覚が1980年にケラさんが感じたものだったのかなぁと映画を見て思った。
追記、もし90年代を舞台にした映画を作るならラストはどんな曲がふさわしいのかな?
私としては1995なら小沢健二さんのラブリー、1998ならSMAPの夜空のムコウ、1999ならモーニング娘。のラブマシーンを流したい。
http://a.hatena.ne.jp/narko/simple

*1:だったと思うけど

*2:似た気持ちになるのはニューオーダーブルーマンデーかな?詩は暗いんだけど