憎しみと哀しみが何故美しいか

学術系とは違う、直感的な思いつきシリーズ。
憎しみや哀しみに駆られている人を美しいと思うのは何故か。そのネガティブで混乱した思考に捕らわれて苦しみながら、彼が生きていること、あるいは死んでなおその思いに拘泥しつづけて在ること(幽霊)が何故か美しく思われる。ただ生きているだけでその人が美しいと言われる意味での美しさと、憎しみや哀しみの美しさとは違っている。ニーチェの『悲劇の誕生』でも読んで考えてみよう。

シュルレアリスム

本家を自称し、少なくともそのゴッドファーザーであるフランスのシュルレアリスムではなく、その傍流・亜流、あるいは同時多発的な別の運動を考察することは、19世紀末からあとの広義の芸術を考察することとほぼ同じだろう。映画、ラジオ、写真、それらの狭義では認められない場合もある「芸術」的側面を拡大して理解していくこと。

NWOBHM以前、へヴィーメタルがときとしてハードロックと「HR/HM」と同列におかれる理由。パンクとの距離。ここを理解することはヴィジュアル系を歴史的に概観するのに必須のことと思われる。とりあえずNWOBHM以前のヘビメタとしてヴァン・ヘイレンジューダス・プリーストを、ヘビメタに影響を与えたハードロックとしてレッド・ツェッペリンブラック・サバスを、それぞれの影響力において考察したい。てなわけでとりあえずジューダスの曲をようつべで探してみた。
・↓オリジナルのPV(楽曲は1990年発表のアルバムに収録。だからわりと最近の曲ですな)

・↓最近来日したときのペインキラー。
  録音の関係か、ボーカルの声が出てないけど、
  現場で聞いたときにはこんなに声量に物足りなさを感じなかった

・↓これがデビュー当時の演奏かな?
  ハードロックですね。「Long Hair...」って説明がいいなw

・↓NWOBHM前夜か真っ最中、1978年に来日したときの「エキサイター」のライブ演奏
  もう速度がしっかりヘビーメタル。しかし昔は美形だったんだなあ、ロブ様。
  シャウトのタイミングが突発的すぎて不思議。当時はこれが攻撃性だったのか?

このジューダス・プリーストのボーカルのロブ様は最近のお姿を見る限りまんまサムソン系ですが、やっぱりゲイとしてカミングアウトしていらっしゃり、このファッションとヘビメタと同性愛の関連についてはちょっと考えてみたい問題系をわかりやすく象徴していると言えるでしょう。ヴィジュアル系の歴史は、私見では、ルーツとして、ヘビメタ+パンクという演奏者側の美学の流れと、もっと前のブリティッシュロックとアイドル歌手に対する受け手側のやおい的視線の美学とを持っていると考えているんだけど、それに変数として同性愛(異端の性愛と女性蔑視あるいはトランスジェンダー願望。それぞれ別々だけど混沌として影響していると思う)が重要だと思われる。

気になっていた本を

尊敬する杉田氏(id:sugitasyunsukeさん)が挙げていたのでうれしかった。
↓この本。図書館で探してみよう。ないかな。

他者の権利―外国人・居留民・市民

他者の権利―外国人・居留民・市民

ちなみに最近の(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070119の)コメント欄でのやりとりが印象に残った。まだうまくどういう印象なのか言葉にできないけれども、「「生きづらい」「自分は変わり者だ」と思い込みたがる小児的目立ちたがり屋や勘違い女どもに過ぎないとしても」という表現をほかでもない杉田氏がしているということを自分なりによく考えたい。