Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

興福寺特別拝観

正倉院展から鹿を眺めつつ興福寺へ歩いていく。
家人曰く、小学校の修学旅行以来らしい。
私も阿修羅像に会うのは四半世紀ぶりぐらいではないだろうか。
大阪から奈良は近いと思っていると、いざ出かけて「観よう」
という気持ちに、なかなかなれない。
昔遠足で行ったことがある、そのままになっていた大仏殿も、
3年前娘が賢く育つように、鼻の穴の大きさと同じ柱の穴を
くぐらせたいと思って連れて行ったくらい。
何かのきっかけ、思い立つことがなければなかなか出かけない。

Festina Lenteを訪れる人は、私が「お出かけ好き」だと思っているかも。
色々思うことあって、娘が小さいうちに両親と出かけた記憶を持てるように、
一緒に過ごしたり遊んだ記憶が、何がしかの特別な経験と共に残るように、
そんな思いから行動しているだけだ。
本来の私は、じっと知る方が好きなくらい。
こんな私でも、人の親になったり家族に何かあると少々変わる。
変わらざるを得ないということの、証のようなものだ。
何しろ、高齢出産の人間は何も波風が無くても、
必然的に家族でいられる時間が少ないのだから。

というわけで、家人の望み通り、
かつて修学旅行の記念写真を撮ったという興福寺五重塔へ。
国宝館 特別陳列 「法相六祖像展」
興福寺国宝特別公開2008 期間10/18〜11月24日
南円堂内陣および五重塔初層内陣 特別公開。
欲を出せばよかったのだけれど、疲れていたので、
北円堂 特別開扉は次回(いつになることやら)へのお預け。

 

2時からボランティアの人の説明に従って、のんびりと観て回った。
娘はかつての伽藍跡の柱の跡を飛び跳ねながら、走り回っていた。
私は興福寺がかつて、中臣鎌足の婦人となった鏡大王の発願で建立された
山階寺がルーツだということを初めて知った。
万葉集に憧れ、鏡大王の妹、額田王で卒論書いたというのにね。
昔の文学少女の頃の記憶など、遥か昔に擦り切れてしまっている現在。
そういえば、藤原氏関連の寺だったはずなのに、
きれいさっぱり細々とした歴史的記憶が無い。
ただただ興福寺は、阿修羅像のある場所という知識のみ。

 

光瀬龍の原作と萩尾望都の漫画『百億の夜と千億の昼』の中の
阿修羅像のイメージがどうしても強い私。
娘に印象を尋ねてみると、正面が女性で左右だ男性だと言う。
国宝館の中は日本史の教科書カラー版みたいな感じ。
山田寺仏塔、運慶の金剛力士像、その他多くの仏像。
五重塔も南円堂も結構並んでいて見るのに苦労したけれど、
滅多に観られないと思うと、どうしても観たいし見せたくなる。

 

 

娘は淡々とした面持ちで、こんなに並んで待っていると、
愛・地球博の時みたいだとぼやいている。
(私もEXPO’70の月の石に2時間並んだのは忘れられない)
そうだね、行列して長い時間待って、やっと観られるのは少し。
娘の並び疲れた最初の経験って、愛知万博だったんだ。
保育園年長さんの記憶はしっかり残っているらしい。
最もあの頃は何も知らなかった私達は、能天気だったが。

 

秋の夕闇が迫ってきた。暑くも無く寒くも無くいい天気の今日。
松の木に宿木が多いという奈良。そろそろお別れ時か。
猿沢の池の方に降りていくと、観光客相手の駕篭かきが。
物珍しげな娘と娘に甘いとーちゃんは早速カモにされ、
娘は周囲の人々にも注目される駕篭の中の姫君!?に。
背景には五重塔。景色と雰囲気は抜群。しかし・・・。
かーちゃんは何とも言えず、苦笑するのみ。
でも、よかったね。楽しかったね。いい経験だったね。

 

 

池のほとりで英語で采女神社の由来を訊かれ、しどろもどろ。
餅つきの見世物、搗き立てを買って食べる。
ぶらぶら歩いて駅前商店街。昼間和食で過ごしたせいか、
またまた家族はベトナム料理屋を見つけて、夕食。
まあ、シルクロードは文化伝播。料理だって、ね。
古都奈良の締めくくりは、美味なエスニック料理に舌鼓。
奈良1dayチケットは、斑鳩まで足を伸ばすことなく役目を終えた。