ネムリコ郵便局

2016-09-20

読んでから観た場合

この夏、映画「怒り」が毎日のように宣伝され、書店には本が並べられ…。

そうか、「悪人」の吉田修一かとやっと結びつき、本を読みました。

そして、先日映画も観てきました。

とにかく豪華キャストで、原作のイメージと結びつかなかった宮崎あおいが「お父ちゃん」と声を発した時、見事に「愛子」になっていたのに感心しました。

それと、沖縄の高校生を演じた宝くんがよかった。

彼の、10代らしい感性がはじけていて、彼が泣くと私も泣けて困りました。ただただ未来の「辰也」に幸せがありますようにと、映画が終わってもずっとひきずっていました。

でも、でもさ、本を見なくて映画観た人はどうだったんかな。

行間を読むような引き算の映像が多いので、わかったんだろうかとも思いました。

私が思うに、地を這って生きる幸せなんかあるのかと、悩める人間たちを描く吉田修一文学の世界に惹かれる者は、李相日監督の「怒り」の映画化への想いに共感出来たら、より深く楽しめる気がします。

登場人物に思いっきり愛をこめて、それぞれの役者さんたちがそれぞれの見解で演じる「ラブレター」のような映画です。

犯人の人物像にもう一歩つっこんで、原作とは違うものにしていったのがどうなのか、そこは評価が分かれるかもしれないけれど。

その好みは別として、熱のようなものを放っている映画であり、私も一員になって「怒り」の原作の魅力を語っているような気持になりました。

たいがいは、読んでから観るとなんだかなァってなるのですが。

今回は、読んで、観て、ほうっと思って、また再読して本の世界をひとめぐりした私でした。

ただ、本で優馬の子ども時代のエピソードがいくつか出てきて、特に新聞配達のくだりででの優馬と直人の会話がすごく好きだったので、映画でそこがすこんと抜かれていたのが不満でした。

そっち削って、犯人の生きた人物像の方とったんだね、きっと。


一緒に観に行った娘と(彼女は読まずに観たタイプ)、忌憚なくあれこれ感想を言い合ったのも楽しかったです。

2016-08-16

8月に読む

昨年買っていながら読めていなかったのを、1年遅れでようやく手に取った。

角野栄子の「トンネルの森 1945」(角川書店)。

私や、私とかかわる子どもたちにとって親しい存在である「リンゴちゃん」の作者だ。もちろん世の中的には、「魔女の宅急便」の作者として認知されているのだが、私にとっては断然「リンゴちゃん」なのである。

この本は、終戦の直前の約1年間近く、知人を頼って疎開した少女から見た戦争を描いている。

東京深川で、骨董屋をしている父セイゾウさん。母は5歳の時に亡くなったが、新しいお嫁さんがやってきて弟が生まれる。

おばあちゃんは、本郷で仕立物をして暮らしている。母のない少女は、センスのあるおばあちゃんと優しくて面白い父に育てられたのだが、戦局が激しくなり疎開をせざるを得なくなったあたりから、時代の波にまきこまれていく。


一貫して主人公イコの視点で描かれているので、東京からの疎開児の戸惑いやいなかへ溶け込もうとする必死さ、始終おなかをすかせていたこと。

新しいおかあさんに、好意を持ちながらもいろんな感情が邪魔をすること。

10歳の少女の心の動きがみずみずしく、自分もその場所にいるような気分になる。


イコがトンネルの森で出会う、脱走兵の幽霊。そのまじわりが、リアルなようで幻想的なようで。

その時だけ、素直になり心の奥を見せるイコがせつない。

読んでいるうちに、脱走兵自殺したと書いてあるのに、ふと見つかってつかまってしまったらどうしようとドキドキしたり、沼に沈んでいったはずの靴があらわれた時につい錯覚してしまう。

それは、デティールがまきらわしいからではなく、自分に問いかけていろんな思いを馳せてしまう何かが、この物語にあるからだろう。


一切、それについての説明がないところが、私はかえってよいと思った。


これをきっかけに、読んだ子どもたちは当時の脱走兵の顛末についてや、東京大空襲史実などについて学ぶきっかけになったらよい。


おばあちゃんがてぬぐいで作ったお人形は、きっといつまでもイコの中に残っていくだろうと思った。


ブックオフで100円で買った「おじいちゃんは兵隊だった」(竹野栄・著 田代三善・絵 旺文社)。

孫に戦争のことを話してくれと言われたおじいちゃんが、50年前に軍隊で経験したことを話す…。

1944年から終戦まで北海道出身の青年が、埼玉まで来て軍隊に入り、最後は特攻隊の小隊長として福岡博多湾に待機するまでを描く。元々陸軍で配属されたのだが、途中で幹部候補生となり船舶部隊への所属になる。

陸軍なのに海上で船舶する隊があったのだと、私は初めて知った。

この方は、実際に敵と闘うまでに終戦を迎えたので、命を落とさずにすんだ。というのもあり、軍隊の生活について淡々と描いている書き方になっている。しかし、それがかえって「滅私奉公」や「絶対服従」が軍隊の本質なのだというのが伝わることにつながっている。

そして、戦後長く教師をされた作者・竹野さんの戦争をしてないけない、という強い思いが伝わる。

おじいちゃんは、最後に孫のさとるに語る。

「おじいちゃんは直接戦地で敵と戦ったわけでもなく、傷を負ったわけでもない。軍隊生活をした人々の中では一ばんめぐまれていた方だと思う。

しかし、もう二度と、絶対に行きたくないのは軍隊だ。そこへ入れば、心が人間の心でなくなってしまうからね。」


いやだ。人間の心でなくなってしまうのは、いやだ!

8月に、思う。

2016-08-14

今年も行ってきた

今年の夏は、いつにもまして暑い。

昼間に出歩いていると、くらくらしてくる。

でも、やっぱりこの時期はここに行かなくては。

恒例「古本まつり」に出かけてきました。

もう今年で29回目なんだそうです。私は学生の時に、この古本市でバイトしたことがあるのです。当時、大学のサークルで子ども会活動をしていて、そこに通ってきてくれていた子どものお父さんからのアルバイト斡旋でした、確か。

私が配属されたのは、大書堂という美術関係の古本屋さんでした。

当時は誘われるがままに数日間働いただけでしたが、今となってはちょっと自慢です。

まだ回を重ねる前(29年以上前!)のお話ですが…。

とにかくその頃から、下鴨神社糺(ただす)の森の木々は高く生い茂り、直射日光を遮ってくれていました。樹齢がすごいんですよね。だから、案外現地は過ごしやすいのです。

帰りに、下鴨本通りに出ると、ギャーあづい〜〜〜、となるのですが。

自然の力は、偉大だなあ。


児童書コーナーで、「ネンディのぼうけん」の前作「ぼくはネンディ」を発見。マリア・コブナツカが1931年に書いた本で、トーシャという女の子がねんどで作った人形がネンディです。トーシャの筆箱に住んでいます。筆箱にはえんぴつじゃなくて、ペンが入っています。

ペンって、ボールペンやマジックペンじゃないですよ。

インクをつけて書くペンなのです。

これで、時代がわかるでしょう。(ポーランドです)

でも、中身はちっとも古びない、とてもよい本です。

ちょっと高かったけれど、出会いだと思って買いました。

文庫本1冊100円で、10冊買うと全部で700円とか。

単行本1冊200円で、2冊だとまとめて300円とか。

古本市ならではの楽しさです。

私は、いつもは児童書中心に本屋をチェックしている人間ですが、こういうところに来ると、すごく心が自由になる感じがします。

とにかくいろんなジャンルの本があるので、楽しくてたまらなくなります。

径書房について書かれたのを見て、「書店員の小出版社ノート」(小島清孝・著 木犀社)を200円で購入。

その他、あれこれ買いましたが、自宅の山のような本を思い出し、ああ、今日買った冊数分だけ処分しよう、と心に決めた次第。

河合隼雄の「子どもと悪」は、題名にひかれて。

蛭子さんの新書本「ひとりぼっちを笑うな」。自分のスタイルを貫く姿勢に興味があって。


帰りは、これまた恒例で出雲路橋商店街の「ふたば」で和菓子を買いました。

あー、楽しかった。



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2016-01-31

大人になってわかったグリーン・ノウ

L・M・ボストンのグリーン・ノウ物語は、子どもの頃には既に出版されていた。

イギリスのファンタジーが好きだった私にとっては、評論社の趣たっぷりなすてきな挿絵の、この物語は読んでみたい作品だった。

中学に入ってから読み始めてみたのだが、私には最後まで行きつくことが出来なかった。

大好きだったナルニア国物語のように明快ではなく、またE・ファージョンのように抒情性があるわけでもない。ピアスの「トムは真夜中の庭で」のようにドラマが際立っているのでもない。

まあ、歯が立たなかったわけだ。

でも、心のどこかに「読めなかったなあ。」という挫折感めいた痛みを持ち続けていたのかもしれない。

司書の仕事につくようになって、私はその学校の蔵書にこのシリーズがなければ置くようにした。

学校にひとりでもいい、出会ってくれる子がいたらそれで幸せだと思って。

でも、相変わらず自分は読んでいなかった。

ところが神様は、私にこの本を手に取るようにやはり思っておられるのか。

今の学校でもグリーン・ノウを揃えた私に、ある日子どもが「どんな本?」と聞いてきた。

あらすじなんて言えるのだ。読んでなくても。

でも、それでは情けないよな…といよいよ思え、ついに何十年ぶりに読み始めたのだった。


それは、しみじみと心に沁みてくる物語だった。

人生の厳しさや切なさ、生きることの悲しみが、オールドノウ夫人から伝わってくる。

それでいてあたたかい気持ちになるのは、老女となった夫人空想の翼を手放さずにしっかり持っているからだ。

少年トーリーが膨大な時間をかけて、すこしずつグリーン・ノウのお屋敷に馴染み、何百年も前にかつてそこで暮らした子どもたちと出会う過程を丁寧に描いている。(その子たちは、トーリーの遠い祖先なのである)

少しずつ、ゆっくりと読み進めないと味わえない物語で、まして読む者がその機微を感じられないと楽しめないのは当たり前のことだったのだ。

つまり、私はやっと読むにふさわしい入り口に、この年にして立ったということなのだった。

でも、出会えて(再会して)うれしかった。

それ以来、子どもたちに紹介するときは「先生は、一回挫折してずっと読めなかったんだよ。」という話からすることにしている。

そして、不思議なことにいまの学校でグリーン・ノウは、過去最高の貸出率なのである。

私は、いつも言う。

「わからなくてもあせらなくていいよ。何年かしてまた、読めばいいよ。それよりも、じっくりゆっくり読む本だよ。」と。

ただいま、2巻を読み終えたところ。

まだあると思うと、喜びがわき起こってくるんだなあ。

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2016-01-19 冬のさなかに

冬のさなかに

自転車族の私は、風が直撃!

つらい季節です。

でも、これが冬なんだものね。

これを通り過ぎないと、春はこない。

当たり前のつらさを受け取らないといけないか…年とともにこんな風に思う自分がいます。

冬に咲く花が好きです。

小さなつぼみに、がんばれとそっと声をかけたくなります。

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