中野翠が尖閣ビデオ流出事件に触れていたのだが

サンデー毎日』2010年11月28日号の、中野翠の連載エッセイ「満月雑記帳」を読んで、ちょっともやもやした気分になってしまった。
「これを好機に」という小見出しのついた前半部分だが、尖閣ビデオ流出事件を取りあげている。「だから最初からスカッと全部見せちゃえばよかったのに。」という書き出しで、そして中野翠の感想はこの冒頭一文にすべて言い表されているといっていい。
同様に思った人たちはおそらく大勢いるだろうし、この中野翠の文章を読むと、自分の気持ちを代弁してくれた爽快感を覚える方もいらっしゃるだろう。だが、私は、なんとなくあたりまえになりはじめた右傾化の兆しを見たような気分になった。
時事に触れながらも、明るい口調でニュースで知った事件の経過を語る様は、穏当な市民感覚の発露以外の何ものでもない。そして、それが、これまで保守論壇方面で目立ってきた対中国観と、さして差がないのだ。
中野翠は流出させた保安官の心情は理解できると屈託なく書いている。
そして、こんな一節も出てくる。

 日本の国民は冷静だ。あの流出ビデオ映像(まあ、一部ではあるが)を見ても、カーッと逆上して中国憎しの感情を撒き散らす人なんて(テレビの街頭インタビューなどを見る限りでは)全然いない。
(引用元:中野翠「満月雑記帳 830」 サンデー毎日2010年11月28日号)

中野翠はインターネットは利用していないと以前連載で書いていたのを読んだ記憶がある。たぶん、いまもまだ使っていないのだろう。
ネット利用者には、上の引用部に違和感を覚えるのではないだろうか。尖閣ビデオ流出事件関連の記事をネット上で追かけているとネトウヨと俗称される書き込みを見ることも多いだろうし、右派のデモもYouTubeで見られるし、その中には在特会などあまりのひどさで注目物件になったものもある。一部政治家にも反中発言をブログで書いているのがいるし、なんというか日本にも冷静でない人はざらにいるよなあという感想を持つ人が多いのではないだろうか。
その一方で、ネットだと、興味が向いた方へ集中して見て回ってしまうので、それはそれで偏った情報や印象を持ってしまう傾向が強まるというのもありそうだ。
中野翠のように、インターネットでニュースを見たりしない人は大勢いて、全体からいうとそういう人のほうが多数派で、そして彼らの感想はひょっとしたら中野翠に近いのかもしれない。
テレビのニュースで流れる街頭インタビューは当然編集されており、放送したい部分だけが流されているわけだし、中国のデモの映像では過激にアピールしている様子が出てくるけれども、日本のデモの様子ではそういう場面が流れない、それだけでも中国と日本の印象はちがったものになってしまうだろう。
中野翠のような書き手には、テレビでの事件の報道の仕方について注文をつけるような役割を期待したいところなのだが、今回のエッセイはそういうものにはなっておらず、そのままテレビに同調してしまっているようで、がっかりだった。
中野翠だが、もともと時事評論をするタイプではなく、エッセイ全体では後半に「顔文一致の人」と題して書かれた芥川龍之介に関する文章の方がずっと楽しく読めたので、望むものをまちがえてはいけないということなのかもしれないんだけど、でもねえ、この人の時事感想は、都会の知的で良識ある一般市民の感想のサンプルになって広まってしまうという、見方によっては政治論客より強力な感染力を持つものでもあるんですよ。
だから、もやもやしちゃうんだね。