ツイッター

小さな出版社にとっては、ツイッターは重宝だという。口コミの宣伝効果が大きいとのこと。『井田真木子著作撰集』を出版した里山社の清田麻衣子のインタビューより

「私が版元を始められたのは、間違いなくいまの時代だからです。twitterは大きいです。こんなに情報を人が広げてくれるっていうのはすごい。これだけ時代の状況が変わるとその時に合った出版のやり方をしていくしかない。それを逃さないようにしていくしかないのかなと思います。私はtwitterfacebookだと完全にtwitterですね。広がりが違います。twitterって拡散能力が強いのと、拡散してくれる人も自分がいいって思ったものを広めるから、お客さんが実際に本を買う行動に結びつきやすいと思う」

第4回「出版者」は今すぐやれる。─ 編集室 屋上 ─ « マガジン航[kɔː]

ツイッター、しばしばその弊害ばかりがマスメディア上で語られがちですけれども、出版という分野でもよき媒体として利用されてもいるのですよね。


以下はとりとめのない感想になってしまいます。
SNSのせいで人間がだめになっていく、という趣旨の文を雑誌や本で何度か見ました。書いているのは、作家やエッセイスト、評論家もいたでしょうか。そのような文章には大抵次のような描写があります。
「電車に乗ると、座っている乗客全員が自分の手元の携帯をじっと見ている。異様な光景だった」
いまだと携帯というよりはスマホとなりましょうか。
これは携帯でインターネットを利用する人が巷にあふれているいまの状況を表す定番表現となった感があります。
ところで、ですね。たとえば、上のような場面で、つまり、電車に乗ると、

  • 座っている乗客全員が自分の手元の新聞をじっと見ている。
  • 座っている乗客全員が自分の手元の週刊誌をじっと見ている。
  • 座っている乗客全員が自分の手元の本をじっと見ている。

となると、そのあとに「異様な光景だった」と続くでしょうか?
公共の場所に居ながら、周囲を遮断して自分の世界に没入しているという点では、大差ないと思うのですけれどもね。
傍若無人といえば、電車や食堂など他の客もいる場所で仲間同士大きな声で喋ってる人達というのもいて、あの迷惑さにくらべると携帯でだまってメール読んでる人の方が静かで無害だともいえますし。
ブログが簡易ウェブサイト作成ツールなら、ツイッター掲示板みたいな使われ方をしているし、フェイスブックというのは昔あったgooの簡単ホームページを思い出させるし、だからどれも目新しいサーヴィスなのかというとそうでもなく、SNSの普及で起こる現象というのもこれまでネット上で何度も起こってきたことでしかない、ちがいがあるとすれば、利用する人が格段に増えて、利用しているのが普通もしくは利用しないまでも見てるのが普通だと思われるようになってしまったところなのでしょうか。
少なくとも、マスメディア上ではそうなってきてるみたいですね。
いや、だからどうだということもなく。
私はインターネットは自宅のパソコンからしか見ていないし、はてなは使っているけれども、ツイッターなど新しく出てきたものはアカウントとるのがめんどうなので使う気にならないままで、もうそうなると、時代遅れの田舎の人になっているんだなあ、と。そういえば、普段会う人もインターネットには興味ない人ばかりだったりするのよね。