Art Site Horikawa

2019-01-26

ブログ移行のお知らせ

関係の皆さま、「はてなダイアリー」のサービス変更に伴い、この度「はてなブログへ」移行させていただきました。
下記に移行しました。引き続き、宜しくお願い致します。

https://niigata-art226.hatenablog.jp

よろしくお願いいたします。

堀川紀夫

2019-01-23

2019年を迎えて-18

1991年11月の上越で初めての企業メセナによる「ART TODAY in JOETSU」展覧会。アーチストとしては有り難い企画でバブルの時代を証明するイベントでした。大島彰、金谷範子、舟見倹二、前山忠、堀川紀夫が参加。会場はイトーヨーカドー直江津店。このデパートは今年中に撤退すると言います。栄枯盛衰は憂き世の習い。今日を無事過す事と一ヶ月くらいの近々の未来まで精一杯です。半年後くらいの未来は見えて来ません。世界は流動的です。

平成に入ってからの倉庫美術館企画展アトリエ我廊個展で展開してきたアクリル絵具での展開の集大成と言えるインスタレーションとなりました。

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この作品の半分以上は現存していますが3分の1くらいは処分しました。

2019-01-22

2019年を迎えて-17

21世紀が始まり、人類の幸福の世紀に成るであろうと期待していたが、突然にあの9.11が起こった。以後、急速に世界は悪化していった。米国が世界で好き放題して来た付けのように思えたが、この大事件を理路整然と捉える事は出来なかった。私に出来る事は、その頃に習熟しつつあったPhoto.Shopでの画像加工技術でこの大事件に触発されて作品をつくる事だけだった。

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Digital works "E-mail Stamps" Series コメント

1968年の秋に前山忠君に随行して石子順造氏を訪問し、静岡のグループ幻触の方々のメールアートの実物を見ることができ興味を持ちました。そして、1969年7月にアポロ計画に合わせて信濃川の石を拾い、その石を針金で結わえて荷札を付けて郵送するというメールアート作品を考案しました。その作品が評価されて1970年の第10回東京ビエンナーレに招待されたことは大きな成果でした。      
 その石を送るアートもやがて自らの内で新鮮味を失い、形式化し、新展開の活路を自作切手に求めようとしました。1971年の「ことばとイメージ」展(ピナ−ル画廊)に佐藤栄作首相を扱った零円切手を出品しました。赤瀬川源平氏の零円札が一つのヒントでした。
 次は、1972年の美術手帳の紙面開放計画で就任間もない田中角栄首相を取り上げました。その後、1976年に、ロッキード疑獄事件を記念した零円切手や御馬上の聖上陛下の像をシルクスクリーンで拡大復刻プリントしたポスターなどの作品で個展(真木画廊)をしました。
その会期中に、零円切手が1点売れました。買ってくれたのはT氏です。佐藤栄作のものを買ってくれました。1977年には零円切手だけで個展をしました。合計して12種類くらい作りましたが、1982年の石子順造氏の追悼切手を最後にやめてしまいました。
制作をやめたことに関して、いくつか理由がありますが、週間朝日と雑誌太陽に掲載中止されたことが大きく影響しています。
週間朝日の件はゲラ刷りが残っています。この時の原稿料は支払われて受け取りました。この掲載中止の顛末については、針生一郎氏の肝入りで「新日本文学/1977年1月号」に記事にしていただきました。
雑誌「太陽」は1982年頃でした。その時に掲載したいと依頼電話をくれたのは画家のT氏でした。喜んで作品を送ったわけですが、何の説明もなく、すぐに送り返されてきました。全く失礼な話でした。田中角栄首相の顔に「日本列島改悪論者像」とあったのが引っ掛かったわけです。
 その後、月日は流れ、1996年に作家/美術史評家の彦坂尚嘉氏が私を雑誌「アクリラート」の作家インタビューで取り上げ、そこで石のメールアートや零円切手が再評価してくれました。そして、その記事が富井玲子氏の眼に止まり、2001年2月のロンドンテートモダンでの「センチュリーシティ展」に石のメールアートで招待されることになったわけです。
 このような作家としての螺旋状な回帰的展開を経つつ、パソコンで画像活用の技術(Photoshop)に少し習熟した頃にアメリカで911の同時多発テロが起こりました。その言い様のない衝撃をどうしても、表現したくなりました。そして、WTCビルに2機目の飛行機が衝突する直前の画像を貼付けて、ほぼ20年ぶりに切手形式の作品を作ってしまったわけです。最初は零円切手をデジタル技術で復刻するような意識が濃厚でした。その過程で電子メール用の切手というコンセプトが生まれ、それをE-mail stampsと名付けました。
 そして、2002年の5〜6月にかけてteoria-kitaibunshiのメーリングリストにE-mail stampsと零円切手で計30点の発表を試みさせていただきました。その双方向のプロセスで彦坂尚嘉氏や富井玲子氏からアドバイス、批評もいただき、今回の作品に結実しています。 
今回の還暦記念の個展です。自分自身の歩みを主テーマにしたE-mail stamps seriesです。一部に関連作品の零円切手や時事を扱った盗用・流用アートの作品もあります。
これらの作品は、最大でA4判です。小さな作品ですが、大きなメッセージを託すことができます。また、大作、大金を使うアート事業の溢れる今日ですが、小さなサイズ、小金でのアートの可能性の追求の一環でもあります。 

2006年2月27日  (2006年のギャラリー檜での個展に寄せて書いたコメント)


今日、このブログを書くに当たって、19年前のネタで改訂版をつくってみました。WTCビルを斜めにレイアウトする事は当時考えられませんでした。
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2019-01-21

2019年を迎えて-16

恒例の年賀はがきくじの当選番号が昨日発表されたので当たっているかどうか調べてみました。結果は100枚に一枚の割合で切手シートのみの当たり。私の関係分から3枚の当たりハガキが出ました。ワイフからは2枚の当たり。これは私より当選確率が5倍くらい高率でした。小市民のささやかな楽しみにもならない恒例行事の一コマでした。
さて親戚との年賀状交換はまさに儀礼で取りやめるのは難しいですが、友人知人との惰性的なやり取りを何時止めたら良いのでしょうか。それぞれに残された人生を気ままに過したいと思い、少し前からその時期を何時にするか思案している所です。

平成回顧-1999 第一回高田花ロード

高田本町3から6丁目の商工会の皆さんが地域活性化をねらって当時既に「ファーレ立川」など、デレクターとして実績を上げて来ていた同町出身の北川フラムさんを審査委員長招聘して始まりました。
考えてみたら、このイベントが私の最初の野外展示作品だった事になります。自分のそれ迄の表現との整合性を意識し、どのように展開するか考え、それ迄の立体作品の再利用や収集していたモノ派的オブジェ、生け花の我流的解釈などを混在させたインスタレーションとなりました。
展示場所は学生時代から付き合いのあるS書店の前。それなりの作品が生成したと思いきや、コンパネでつくった立方体が夜中につぶれてしまいました。翌朝、書店からの連絡で判明。10分くらいで再構成できたのですが、つぶれた原因を考えてみて、立方体の正方形の部材をつなぐネジが少なく強度不足となったようでした。

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2019-01-20

2019年を迎えて-15

本日の卓球日本選手権のテレビを見て、男子の準決勝を勝ち終わった後のインタビューでベテランの水谷隼選手の決勝へのコメント「僕が勝っても、大島選手が勝っても、僕は嬉しい」が記憶に新鮮に残りました。大島祐哉選手は男子ダブルスのパートナーな訳で心から信頼し合う間柄なのでしょうが、水谷選手の度量の深さ、懐の広さを感じさせてくれました。人間の99%はエゴですから、できそうで出来ない心の有り様です。決勝は3時過ぎから行われますのでじっくりと観戦したいと思います。(この男子決勝戦はゲームカウント4−2で水谷選手が勝利。水谷選手の全日本選手権通算!0V達成でした。水谷選手の歴史的快挙、おめでとう!!と記しておきます。)



平成回顧ーCentury City展 会期は2001年2月1日〜4月29日

この展覧会に出品した事についてその経緯を順序よく丁寧に書くにはかなりの時が必要です。
「石を送るメールアート」とその関係資料が出品作品でした。とりあえず、かいつまんで。2001.1.29到着 オープニングの行事に参加してきました。息子を同行しての初めてのロンドンへの旅でした。
 
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友人の小川文雄さん撮影。

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拙作の展示ケース。同じ部屋に赤瀬川原平オノヨーコの作品がありました。この日は展示の最終調整の日でした。
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オープニングパーティ(30日)にて。新潟日報の籠島章人記者、松澤宥、友人の小川文雄さんと。信濃毎日新聞の植草学記者からいただいた写真です。
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この頃、私はまだフイルムカメラでした。そのアナログなフイルムをデジタルデーターにしたいと考えています。

2019-01-19

2019年をむかえて-14

新潟アジア文化祭2000にSnow Performanceで招待されました。新潟県民会館3Fホール会場でコミッショナーは谷新さんでした。この2000年は雪が少なく、2月の終わりに降った40cmくらいの雪で新作をものにしたことが思い出されます。Snow Performanceは1983年頃に生成してから3〜4年迄は自分の中に新しい発見を感じる常に新鮮な行為でしたが、その後マンネリに落ちた感じがあり、他の表現に移行していました。この再評価的な招待を得て、雪と向き合う行為することのコンセプト=モチベーションを自分のうちに改めて獲得する迄少し時間がかかりました。その後、この表現、続けています。

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ギャラリートークの日家族が来てくれました。その記念スナップです。もうあれから18年経過。子どもたちはそれぞれ独立し家庭を築いています。
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これは2015年3月の作品です。雪がある程度降り、その雪を見てbody Stampする衝動=情緒的動機付けがあっての行為の痕跡です。近年は千手観音的なイメージでばたばたと手を動かす事が多いです。なお、今年はまだこの行為を行うタイミングは訪れてきません。
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2019-01-18

2019年を迎えて-13

2000年の第一大地の芸術祭の記録。野外での初めての作品という新展開であり、自分なりの理念のある構想をまとめるまで随分と手間がかかりました。施工は自宅の建て替え業者でお世話になった山崎ハウジングさんにおねがいしました。発注建築と言うべき作品となりました。

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2019-01-17

2019年を迎えて-12

1997年に稲憲一郎、飯室哲也さんから声をかけていただき、ギャラリー檜の版画グループ展に参加。寂びた鉄板の錆をサンドペーパーで磨き落とし、その鉄錆の粉末にオイル吹きかけそのままプレスしてプリント。三種類の版を重ね刷りした作品です。それなりに納得できる表現になりましたが、複数刷りはしませんでした。まだ追究可能な作例であると考えています。
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2019-01-16

2019年を迎えて-11

昨日が私達夫婦の結婚記念日でした。今日は44年目の初日です。徒然なる日々を好日として生活を刻んで行きたいと改めて思います。このごろ、改めて思う同じ思いが多い事に改めて思います。

平成回顧-11

1994年 ギャラリーハウスでの個展出品作。画面に凹凸をつくり右側の凹のへこみ部分に円筒形を付けています。簡単な仕掛けです。

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1995年 ベニヤパネルを使用。パネルの左側の一部を長方形にカットし裏側へ折り曲げる形に造形。FRPを使用してその折り曲げを固定。この形での制作は3点。
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2019-01-15

2019年を迎えて-10

平成回顧-10
昨日の作品より前の1998年の新潟のアトリエ我廊と翌年の今井美術館個展での作品です。この2年連続の個展で画面の凸や凹部をつくるレリーフ的な表現に区切りを付け、平面作品となりました。それまでのレリーフ的な表現で得られた絵画的要素、表現効果を平面描法で追究するようになりました。これ以後、私は絵画を取りやめたわけではありません。しかし、この時期に60年代後半から80年代の作品が再評価されて、幾つかの国際舞台に招待される事になり、初めての事にとまどい、絵画追究に集中できなくなりました。時系列では15~30年以上過去に旬があった作品を現在の場所に出品することになり、過去作品への新たな視点を構築する事を余儀なくされました。また翌年の第一大地の芸術祭へ参加することにもなり、阿修羅像のようなイメージで数種類の表現に同時に取組むことになりました。その複合的な展開自体が新たな表現論として自らの中に構築されました。しかし、その後9.11が起こり、また自分の中に変化がおこりました。

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