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ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

オーケストラ・ニッポニカ第30回演奏会:芥川也寸志の夢:九州・沖縄の作曲家たちによる交響作品展
2017年2月19日(日)14:30 紀尾井ホール 指揮:野平一郎
石田匡志:交響曲第1番(2012)、交響曲第2番(2015)、久保禎:乱声響楽〜南九州歌謡による〜(2016)、中村透:交響詩曲 摩文仁〜白き風車よ〜(2016)、福島雄次郎:ヤポネシア組曲(1992)

2017年02月20日(月)

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ニッポニカ第30回演奏会終わりました

 昨日の演奏会、たくさんのお客様に来ていただき無事に終わりました。新作の初演という何よりわくわくする体験を、多くの方々と共有することができました。いつもに増してお花やらお菓子やら頂戴しましたが、沖縄ファンで家族で何回も旅行しているというKさんから、沖縄の布で作ったTシャツ型のコースターセットをいただきました。「中村透先生の作品に寄せて」とメッセージ付でした。色彩豊かな布の絵柄を眺めていると、沖縄の波の音が聴こえてくるようです。また梅の小紋で来てくださったTさんは早速ブログに記事を載せてくださいました。ありがとうございます。

2017年02月05日(日)

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比嘉美智子歌集『一天四海』

 ニッポニカ第30回演奏会で初演する中村透作曲『摩文仁(まぶに)〜白き風車よ〜』は、沖縄歌人・比嘉美智子(ひが・みちこ)さんの短歌に縁のある作品です。比嘉さんは1935年沖縄県那覇市に生れ、那覇高校時代より短歌に親しみ、1955年に短歌結社アララギ土屋文明選)に入会。1958年琉球大学文理学部国文科卒業後は、高校の国語教師として教鞭をとられました。1974年第1歌集『月桃のしろき花びら』、1990年エッセイと評論『旅路遥けし』、1996年第2歌集『青き地球』、2005年第3歌集『一天四海』、2011年第4歌集『宇流麻の海』を刊行されています。現在も花ゆうな短歌会を主宰され、多くの後進を育てるとともに、ご自身も瑞々しい短歌を詠み続けてらっしゃいます。
 このたび近くの図書館で第1歌集以外を手に取ることができました。いずれも沖縄の自然と風物、人々の暮らしが豊かに詠まれた歌集です。また国内外の旅行の風景、教師として、家庭人として、さらに那覇家庭裁判所家事調停委員としての経験が詠まれています。戦時中は空襲熊本への疎開を経験。戦後は1972年までの占領期を経て現在の基地問題渦巻く日常を詠み上げてらっしゃいます。沖縄戦最後の激戦地である摩文仁を詠んだ短歌も数多くありました。その中からいくつかご紹介します。

戦争を知らぬおさなら血を吸ひし摩文仁の坂を踏みしめのぼる

(『旅路遥けし : エッセイと評論』([比嘉美智子] 1990)所収)

 小さい子どもたちが摩文仁の丘へ向かう坂を上る風景。ご自分のお子さんかあるいは他の子どもたちか、いずれにせよ未来を背負う子らの風景です。

大晦日の摩文仁に平和を祈らんと松明うち振る青き瞳の人

(比嘉美智子『青き地球 : 歌集』(短歌新聞社 1996)所収)

 沖縄では大晦日に松明(たいまつ)を掲げて摩文仁の丘に登る習慣があるのでしょうか。その列の中に外国の人の姿を見て感じた希望が伝わってきます。作者還暦の歌集です。

悲しみも涙も昇天せしめむと摩文仁野に回る白き風車は

摩文仁野は甘蔗畑となり歳月に浄化されしか緑さやけし

(『一天四海 : 比嘉美智子歌集』(短歌研究社 2005)所収)

 一首目は2000年に摩文仁の観光農園に設置された風力発電用風車によせて詠まれたもので、中村透作品の原風景の一つ。二首目の甘蔗畑(きびばた)は、砂糖甘蔗(サトウキビ)の畑が広がる摩文仁の風景。作者古稀の歌集。なお摩文仁の丘は現在、沖縄県営平和祈念公園として整備されています。

2017年01月30日(月)

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ニッポニカ第30回演奏会:芥川也寸志の夢【曲順改訂】

 ニッポニカ第30回演奏会の曲順が次の通りとなりました。なお、プレトークが14:15からあります。

オーケストラ・ニッポニカ第30回演奏会
 芥川也寸志の夢 九州沖縄作曲家たちによる交響作品展

2017年2月19日(日)14:30開演(14:00開場)
東京紀尾井ホール

プログラム

  • 管弦楽のための「ヤポネシア組曲」(1992) / 福島雄次郎
  • 交響曲第2番(2015) / 石田匡志世界初演
  • 交響絵図「摩文仁〜白き風車よ〜」(2016) / 中村透(オーケストラ・ニッポニカ委嘱作品、世界初演)
  • 乱声響楽〜南九州歌謡による〜(2016) / 久保禎(オーケストラ・ニッポニカ委嘱作品、世界初演)
  • 交響曲第1番(2012) / 石田匡志(オーケストラ・ニッポニカ委嘱作品、日本初演

指揮:野平一郎

管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ

チケット:全席指定 S 3,000円、A 2,000円
     (Web限定)S席ペアチケット 5000円、学生1,000円

主催:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
http://www.nipponica.jp/

2017年01月29日(日)

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中村紘子独奏による三善晃と矢代秋雄のピアノ協奏曲

 片山杜秀さん解説の「クラシックの迷宮」、昨日は中村紘子(1944-2016)のピアノ独奏による三善晃(1933-2013)と矢代秋雄(1929-1976)のピアノ協奏曲がとり上げられました。三善作品は1962年の作品で、演奏は1980年。矢代秋雄作品は1967年の作曲で初演は中村紘子。放送されたのは矢代没後1周年のN響定期からの抜粋です。音楽の背景に感じられるプロコフィエフの作品もとりあげられました。最後は團伊玖磨の小品(写真)でした。昨年没した中村紘子の追悼番組でもありました。

クラシックの迷宮-中村紘子と日本人作曲家NHKアーカイブスから〜-

NHK-FM 2017年1月28日(土)21時〜22時
再放送 2017年1月30日(月)10時〜11時

片山杜秀

  • 「ピアノ協奏曲 第1楽章(抜粋)」 矢代秋雄・作曲(1分10秒)
    (ピアノ)岡田博美、(管弦楽)アルスター管弦楽団、(指揮)湯浅卓雄 <NAXOS 8.555351J>
  • 「ピアノ協奏曲」 矢代秋雄・作曲(26分30秒)
    (ピアノ)中村紘子、(管弦楽)NHK交響楽団、(指揮)ミヒャエル・ギーレン 〜NHKホールで収録〜
  • 「3つのノヴェレッテ 第3曲」 團伊玖磨・作曲(6分14秒)
    (ピアノ)中村紘子 <SONY SICC1574>

2017年01月15日(日)

久保けんお著『南日本民謡曲集』

 熊本出身の作曲家福島雄次郎(1932-2005)は、1958年に上京し東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)で学んだ後、1968年から約10年間、尚美高等音楽学院で教えていました。そして1977年鹿児島短期大学音楽科へ移っています。その契機となったのが、久保けんお氏の奄美民謡の本との出会いでした。
 久保けんお氏(本名:久保賢男)は1921年鹿児島生まれ、1942年に鹿児島師範学校本科第二部(音楽・国文学専攻)を卒業されています。九州沖縄を中心として民謡を収集した民俗音楽研究者として、何冊もの著作があります。その中の『南日本民謡曲集』の目次をご紹介します。この本は左開きの楽譜部分(415曲収載)と、右開きの解説部分からなります。

久保けんお著『南日本民謡曲集』音楽之友社、1960)

目次:

[楽譜]1.天吹古典曲たかね …7

   〜

   415.大兼久節 …187

日本民族旋法論 …190

世界民族旋法一元論

--------------

すいせんの言葉 / 井上頼豊 …1

序 / 久保けんお …2

凡例 …4

目次 …6

南日本民謡の重要性 …11

方言辞典 …15

方言辞典 補遺 …30

歌詞・解説 …33

 鹿児島の民謡 …34

 長島の民謡 …72

 甑島の民謡 …73

 種子島の民謡 …77

 三島十島の民謡 …88

 奄美の民謡 …90

 琉球の民謡 …118

 このほか、『南日本わらべ歌風土記』(音楽之友社、1964)や、杉本信夫・高江洲義寛氏と共著『鹿児島沖縄わらべ歌』(柳原書店、1980)などの著作や、わらべうたの本を出されています。

2017年01月05日(木)

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離島経済新聞

 沖縄奄美の事をあれこれ考えていたら、前に出会った『離島経済新聞』を思い出しました。この新聞は日本の離島専門のウェブメディアで、2010年に鯨本(いさもと)あつこさんが創刊したものです。略称は「リトケイ」、URLはこちら。http://ritokei.com/

 右上の検索窓に「奄美大島」といれてみたら、現在の奄美大島を伝えるたくさんの記事がヒットしました。焼酎の記事あり、ICT企業の記事あり、なかなか興味深いです。なお、日本の離島は全部で6,852もあり、そのうち人が暮らしているのは約420島だそうです。「有人離島一覧」のページからは、それぞれの島の概要を知ることができます。

 

2017年01月03日(火)

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福島雄次郎『ヤポネシア組曲』をめぐって

 福島雄次郎の『ヤポネシア組曲』を練習していて、「ヤポネシア」って何、と話題になりました。皆なんとなく、鹿児島から沖縄にかけての島々の事をヤポネシアっていうのかな、くらいの感覚でした。ところがある人が、「ヤポネシアは作家の島尾敏雄造語です」と調べて来たのです。そこで私もいろいろな資料にあたってみました。
 前回のエントリーに書きましたが、「ヤポネシア」という言葉はラテン語のJaponia(日本)とnesia(島々)を結びつけたものです。「日本」という国を太平洋の側から見て千島列島から琉球諸島に至る島々の連なりとしてとらえ、その全体を島尾敏雄(1917-1986)は「ヤポネシア」と名付けました。それまでの歴史観では日本の文化は大陸から九州あるいは大和地方に伝わり、それが全国に波及したという考えが主流でしたが、それだけでなく北からも南からも多くの物が伝わり、人々の交流があり日本の文化が育った、というのが島尾の見方でした。そうした見方自体は戦前からもありましたが、それに「ヤポネシア」という言葉をあてはめたのは島尾でした。
 島尾は横浜生まれですが、戦時中特攻隊員として奄美諸島加計呂麻島で出陣を待つ間に終戦となりました。島で出会ったミホと結婚し、神戸東京での作家生活の後1955年に再び奄美に渡って約20年間暮らしました。その間1958年から1975年まで、鹿児島県立図書館奄美分館の館長を務めています。日中は図書館の仕事に携わり、帰宅して寝るまでの間に様々な文筆活動をしていたのです。
 奄美大島の図書館の守備範囲は大島だけでなく、奄美諸島全体に渡ります。北から喜界島、奄美大島、加計呂麻島、与路島請島徳之島沖永良部島与論島と、全長250Kmにもわたる範囲に、島尾は図書館の本を運んで何度も渡っていたのです。そうした経験を積み重ねる中で、奄美諸島の風土と歴史に親しんで行きました。そして図書館長として各地で講演をする機会が多くあり、そこで1960年代から「ヤポネシア」の構想が何度も語られていきました。また新聞や雑誌などに書き記されたものも数多くあります。
 島尾の唱えた「ヤポネシア」は多くの人の心をとらえ、九州だけでなく全国の知識人たちの話題になっていたことは、『ヤポネシア序説』(1977)に見られるとおりです。また作家の立松和平は、『ヤポネシアの旅』(主婦の友社、1986)始め何冊もの著作でヤポネシアにふれています。

 沖縄に立つと、その足元の土が世界の中心なのである。島尾敏雄さんがいいだしたヤポネシア論は、何もかもが東京を中心に構成されている今日の日本を、地球から地表をはいで裏返しにしたような感がある。

 ヤポネシア、すなわち日本列島をその一部とする大きな列島を形成した背骨は、黒潮である。黒潮を中心にして見るかぎり、南に下るというのはおかしい。南に上るのである。

(出典:立松和平『野生の水 : ヤポネシア紀行』 スコラ、1991、p215)

 さて作曲家・福島雄次郎は、1977年神奈川から鹿児島へ移住しており、島尾の唱える「ヤポネシア」構想にどこかで接したことは充分考えられます。そして1986年から1992年にかけて作曲されたのが、『ヤポネシア組曲』です。

参考