小説トリッパー編集部編『20の短編』

小説トリッパー編集部編『20の短編』

       現代日本の作家はどのような短編を書いているのか。日常の孤独な人間がいかに「他者」と分かり合える・繋がりあえるかというテーマがある。他人の痛みを知り、自分の恵まれたことを分かち与える。
       29歳の時芥川賞を得た羽田圭介氏は、日常生活において些細なことで他者を疑うが、直接関係することにより克服していく。「ウエノモノ」は、マンションの上の階の生活騒音が気になるが、抗議し接触することで疑念が消えていく。
      江國香織氏「蒸籠を買った日」は、日常が幻想化していく。東横線に蒸籠を買い乗車した車両で、中年女性、老人、会社員、子供などの「他者」が、次第に「疑似家族」にコミュニケーションで変化する別世界を描く。      朝井リョウ氏「清水課長の二重線」では、煙たかった課長の書類の訂正を二重線でおこなう几帳面さが、キャリアの経験から来ていることを知ることにより、理解していく他者発見の短編である。
      木皿泉氏「20光年先の神様」にしろ、山本文緒氏「20×20」にしろ、他者理解の難しさと、その誤解を扱っているし、円城塔氏「十二面体関係」は、人工的・限定的な他者関係の円鐶関係を書く。井上荒野氏「二十人目ルール」は、偶然とゲーム的な他者関係さえ、ある幸せと繋がってくることを暗示している。白石一文氏「いま二十歳の貴女たちへ」では、他者関係には正解がないと主張している短編である。
     他方で阿部和重氏「Across The Border」では、テロで拷問にあって切り落とされた青年の小指が、遺族に向かい循環していく残酷な物語で、他者消去がいかなる世界を生んいるかが語られている。
私は、これらの短編を読んで、主体=実存なき他者認識という「価値転倒」を感じた。自己不在の他者理解という矛盾がある。そこには「他者」は存在しないのではないか。(朝日文庫