ヘアヌードを終わらせた女

そういえば、下の記事を受けて思い出したけど、過去の歴史においてグラビアに確実に一石を投じたのは宮沢りえでしょう。
宮沢りえサンタフェ
樋口可南子ヘアヌードブームのさきがけとなるわけだけど、現役バリバリのピッチピチの女の子が脱ぐってことは、それまでなかったんだよね。
いや、あったことはあったけど、ヘアヌードというかたちではなかった。
当時、宮沢りえヘアヌードになるというのは、現在だとだれだろ……上戸彩とかがヌード写真集を出すのに近いんじゃないかな。
このため、「人気女優が脱ぐ」という価値が一気に下落してしまい、その後も葉月里緒菜とか菅野美穂とかいろいろと続いたけど、弾が撃ち尽くされた感があって、サンタフェから数年の衝撃度ってまったくなくなってしまった。
それだけの影響力は、サンタフェにあったと思う。


ただ、篠山紀信宮沢りえ個人がそういう影響を及ぼしたのかというと、それはちょっと調べないとわからない。
日本人のセックス感の変化と関係してくるから。
AVがどの程度影響してるのかとかも問題になってくるし。
私、AV関係のことはよくわからないんで。


んだから物事っていうのは確実に変化はするし、それを代表するもの・ことっていうのもあるんだけど、それが劇的に何かを終わらせるということはもうないんじゃないかと思う。
ただし、じゃあ世の中何もまったく変わらないかというと、やっぱり変わるんだよね。
後は、その変化を追い続けていくのか、別に関係ねえやと思うか、というような違いなわけで。


私も、私的には花井美里はどうでもいいわけで。
それより内田さやか、復活すると思い込んでたけどしないのかな。
とかそういうことを考えているわけで。
夏川純の、すごいきっちりした髪の毛の分け目のこととか。

花井美里の付け乳首2

http://d.hatena.ne.jp/Tabi/20050226#1109387356


私は基本的に、特定の出来事をもって何かが終わったとか始まったとか認定することはあまりしないです。
ポストモダンかどうかという論議にもなってきちゃうし、それは簡単にはわからないだろうという考え(昨今の「何かが終わったか始まったか」の論議は、たいていあるジャンルがポストモダン的な状況になってきているかいないかということが焦点になっていることを踏まえての話。もちろんそうでない区切り方もある)。
だから、今回の付け乳首によってグラビアが終わったかどうかはわからない。だけど、何か末期的というか、いわゆるヨモスエ感があるのは確かだなあ。
もちろん、ヨモスエだろうが末期的だろうが、それと何かが決定的にダメになっていくということはまた別問題なんだけどね。
実際、過去に「○○は終わった」って言われてるもので今でも続いているものはたくさんあるからね。


で、前にも書いたけどもともとグラビアっていうのは撮ってる人とモデルと見ている人間、ちょっと違う方向を見ていると思うんだよね。
今回の付け乳首、やってる人はオシャレだろうとか、あるいはオシャレと見せかけて実はそうではないんだとか、そういうヒネた戦略で来ていると思う。
でも、それは見ている人はぜんぜん望んでないんだよね。


そのズレが来るとこまで来ちゃったなあ、という感じはする。
それで、じゃあそういうズレを顕在化させてるからいいのかっていうと、ぜんぜんよくないの。


グラビアが、グラビア自体に自己言及する必要ってゼロだと思うんですよ。
それをやってるというかね。


そういう見方が斜めすぎるからダメと考えたときでも、「見間違えるような付け乳首」っていうのは、「乳首が映ってるかどうか」ばっかり気にしてる層も小馬鹿にしてるわけでしょ。


んだからすごい高踏的な感じがすんだよね。