笑っていいとも〜1/10

格差社会のことなんか書かなきゃ良かったよ。
書いても不愉快。
もう読んじゃった人がいると悪いから消さないけど、
レス禁止。
レス返すのもメンドクサイから。


さて、私が一週間のうちもっとも楽しみにしている番組のひとつは「いいとも」の「スピード」というコーナー。
レギュラーが横一列に並んで、モニターに移ったものを次々に言っていくというそれだけのものだが、単純ではあるものの意外にむずかしいゲームだ。
しかし「小賢しい」と思うのは、いいともにおいて年がら年中態度の悪い男・中居が、自分が答えられないこともしょっちゅうあるくせに、わかっているものでもわざとわからないフリをすることである。
しかも観客が本気でハラハラしているのを見ると心底腹が立ってくる。
せっかくの楽しみが台無しである。

やりすぎコージー〜1/8

新春スペシャルで、疑似生放送としてノー編集で送る。朝生風に、「今田はなぜ結婚できないのか?」をレギュラーメンバーが語り合うというもの。
この中で「今田はドS」というチクリ発言があるのだが、
千原兄がSで、見たところ東野もMではないように見えることから考えるに、
この番組の構成メンバーの3人はSということになる(笑)。


これは浜田のようなツッコミキャラは別にして、「Mであるとカミングアウトした方がカッコいい」という風潮の逆を言っている。
ちなみに「ドMです」とカミングアウトして、今さら笑いが取れるのは南キャンの山崎だけであり、
後は世の中の深いところでもう何もかもが終わりなのだと思う。

あっ、またネガティヴ発言だ。


しかしまあ、ジェンダーフリーをはき違えて学校で男女一緒に着替えさせたりしている先生は、ここら辺のことについて考えた方がいいと思う。


あと、「私はSです」と言って笑いを取りそうな女性タレントは容易に思い浮かぶが(梨華とか)、
だれが最初に勇み足して引かれるかとか、そういうことを考えたりする。
それとエンタの神様におけるクワバタオハラは伝聞でも悲惨さが伝わってくるので、事務所は即刻痛々しいことはやめるべきだと思いました。

格差社会

私はもうこのテの記事を見るのが本当にイヤでイヤで、
まあ現実逃避していると思ってもらってもいいけど、


現時点でひとつ思ったのが、
過去にも格差はあった。あるいは格差をどう乗り越えていくかという議論もあった。またあるいは、格差を格差のままで生きていこうという言説もあった。
……ということです。
そういうのを活かすのは、ハッキリ言って全共闘世代の役目ですよ。


だいたいにおいてさー、戦後間もない頃なんて国民みんなボロボロで、三代戻ればドン百姓で、高度成長期の終わりかけの頃にたぶんどういうふうな生き方があるかの選択の議論があって、
それで経済大国になる道が結果的に選ばれて、
「貧しいながらも楽しく生きていこうよ」みたいな考えはつぶされてきたわけでしょ。
もうね、そういうのは70年代後半から「負け組」の考えだったからね。
そんなのみんなわかってたはずなんだよ。


あ、ここで言っているのは国全体が沈没するかどうかという話ではなく、格差の下の立場になったらどう生きていくかという話ですよ。
それを、今さら右往左往してるように思えるよ。


70年代終わりから80年代の刑事モノの犯罪者って、要するに「格差」の下の人たちが多かった。そこに社会の暗部とかを製作者サイドが込めたわけですよね。


本当は90年代のバブル批判にも異議は少しあるんですよ。
確かにバブル経済ってのは無理があったかもしれんけど、当時はまだまだ不可視だったけど確実にあった格差を無くすとか、あるいは全員が経済的に底上げされるという芽があるって、銀行とかに関係ない人たちは大局はわからないままにけっこう思ってたと思うんだよね。
それはみんなズルいから今は黙ってるけど、確実に思ってた。


思ってたということは、格差はあったということだから。
で、そこら辺の考えというのは確実に、80年代に入ってから負け組の負け組としての思想を紡いでこなかった、あるいはあったかもしらんけどみんな知らないということが大きい。
どうしてそうなったかというと、やっぱり80年代にテキトーなことやってきたからだと思うんだよねえ。


いや繰り返すけど「地に足の着いた状態で生きていこう」みたいな考えは確実にあったはずなんだけど、
現段階ではあまり見えてない。
だから70年代後半から80年代の言説というのを、「負け組」はどう生きたかっていう観点で洗い直すという手もアリなんじゃないかと思う。

グラビアン魂について

http://d.hatena.ne.jp/siken/20060108#idol2


http://d.hatena.ne.jp/Tabi/20060110#1136894695


SPA!でやってるリリー&みうらの連載。
私、ちょっとしか読んでないけど、あれっておっさん読者がグラビアを見るときの緩衝装置的な役割があると思うんですよ。
何となく20歳も下の女の子でも平気でくどけそうなリリー&みうらというちょい不良オヤジ(笑)に女の子を見てもらって、それを自分がグラビアを見る理由づけにしているような。


内容的には、あまり読んでないんで適当なことは書けませんけど「ああ、リリーだな、みうらだな」というようなもんだとは思いますよ。


で、私はけっこう好企画だと思っています。
というのは、グラビアの価値って本当にグラビアのみかというと、実はそうじゃないと思っているので。
以前にも書きましたが、本当にコアなグラビアファンというのはグラビアのみで見ているかもしれないけど、
大半の人はその背景にある「物語」を見ているはず。
メガネをかけさせるだとか必ずTバックを着けさせるというのは、そういう「意味」を付与しているわけですよね、モデルというかドロップされるグラビアという作品に(もはや当然になってしまった「巨乳」というフックも、そういうものだったわけです)。


ギョーカイのことはわかりませんがグラビア中心ではない雑誌にグラビアアイドルを載せる場合、いろいろ枠とか義理とかあるでしょうが、ある特定の子を載せる場合の「理由」って絶対必要になると思うんですよ。
それは「新人」だということであったり、「サンタコス特集」であったりということだと思うんだけど、
手間と時間もかかってるでしょうがおっさん二人に論評させるのは、面白い試みだと思ったんですよね。