『ホロコースト』 時代背景 2/3

 
前回の続きです・・・やっぱりあまりに長いので3回に分けることにしました。

ディスク3(第2部つづき)

ワルシャワ・ゲットーの評議会。レジスタンスを語る者と、法律を守って生き延びたい評議会の対立。食料を闇で持ち込まないと生きていけないが、見つかると逮捕され銃殺される。ユダヤ人の中には、生き残るため改宗してゲットー警察になったものもいる。モーゼス・ワイスはレジスタンスに協力する決心を。

キエフの戦い。ブローベル大佐の隊に配属されていたインガの弟ハンス・ヘルムズは、市街戦の途中で窮地におちいったとき、偶然居合わせたルディ・ワイスとヘレナに助けられるが、彼らを裏切る。しかし結局はここで戦死。【キエフの戦いで、ドイツ軍はソ連軍を破ったが、戦術的勝利ながら戦略的には失敗だったといわれている。親衛隊が払った犠牲も大きかった。

(このあたりから第3部「最終的解決」)

ルディとヘレナはバビヤールに送られるが、隙をついて逃げ出す。少佐になって視察に来ていたエリック・ドルフは、帰り道で建設会社を経営しているクルト叔父に出会う。【昔の記事でちょっとだけレビューしたときのシーンです

1941年12月、アメリカ参戦

ワルシャワ・ゲットー。ワイス医師たちがレジスタンスを結成するべきか議論している。ナチスの狙いはユダヤ人根絶であることが明らかになりつつある。ビリニュスのゲットーも8万から2万に減った。ゲットーが次々に絶滅させられている。国内最大のワルシャワ・ゲットーは次に狙われるだろう。それに対し、反対派はドイツ軍は長くない、待っていればすぐに米軍が攻めてくると言っている。ベルタ・ワイスが隠し持っていた現金を武器調達のために差し出す。

ハイドリヒ、ブローベル、ドルフの三人がまた記録フィルムを映写している。バビヤールの処理人数は最初の2日で3万3千人、最終的には10万人以上に。服はウクライナ人の配給に回すと言っている。

クリスマス。ベルリンのアパートメントで、ピアノを弾いて歌うドルフ一家。

ブーヘンバルト収容所では、カール・ワイスが看守の家系図を描かされている。「収容所の天才」との評判が高まってテレジエンシュタットへ移送されることになる。「喜べ、パラダイス・ゲットーだぞ」と言われている。

1942年、ベルリン。親衛隊の高官、ポーランド総督、文官たちが一堂に会する。正面にハイドリヒ、背後にドルフが控えている。アイヒマンはテーブルの端に座っている。ハイドリヒの発表は、1100万ユダヤ人をすべて処理。方法はポーランドの労働キャンプに送り、飢え、疲労、病気で自然減を狙う。生存者にはガスを使うというもの。出席していた文官の一人は外交的観点から懸念を表明する。ハンス・フランクも「法的見地から・・・」と反論しようとするが、ハイドリヒ/ドルフにねじ伏せられる。

この場面、郊外の邸宅というよりは街中のようなセッティングなので、ヴァンゼー会議そのものの設定ではないのかもしれません。また、現実のヴァンゼー会議にポーランド総督府から出席したのはハンス・フランクではなく、その次官ヨゼフ・ビューラーだそうです

ルディ・ワイスとヘレナはウクライナのジトミールでパルチザンに出会い、加わる。部隊の中にラビがいたので、戦闘と旅の合間に野原で結婚式を挙げる。


1942年、カール・ワイスはテレジエンシュタットに。書き割りのような町には銀行、カフェ、映画館も揃っているが全部みせかけ。画家たちは表向きは宣伝用の画を描かされながら、隠れて収容所の真実を描き残している。国外からの査察団がやってくる。カールはここで、望んで送られてきたインガと再会する。【テレジエンシュタットはヒムラーが宣伝のために作った収容所で、国際社会に対し、ユダヤ人が人道的に扱われているとアピールするためのものでした

アインザッツグルッペBの司令官】アルトゥール・ネーベ大佐が銃殺処刑現場にヒムラーを連れてきた。ヒムラーは気分が悪くなり、ハイドリヒに「もっと効率よい方法を探せ」と命令する。同じ場面でドルフはブローベルに「バビヤールでの死体掘り起しと焼却をさっさとやれ」と言っている。【実際のヒムラーのエピソードは1941年8月、ミンスクでのことらしい。またブローベルへの指令は1943年のことのようです

ネーベ大佐の部隊を視察に来たドルフ。ガストラック(トラックに囚人を載せ、走っている間に排気ガスで処理するという方法)をテスト中。生き残る者がいるし、トラックを酷使する上、効率悪い。恒久的な施設が必要だ、ドイツの化学技術の力を借りる、とドルフが言っている。