鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <3>

 

  隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<3>
2011年10月5日「礼拝を導かれ」
 
聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。(ヨハネによる福音書4章23節)




2010年9月26日、横浜本牧教会代務者最後の礼拝。
教会学校の子供たちにお話をする。



再びブログを記すことにした。思えば、ブログを書き始めたのは2006年6月21日からである。私自身はブログのこと等、思いも及ばなかったが、その頃、幼稚園の事務仕事を始めてくれた今の園長・佐竹和平さんが勧めてくれたのである。大塚平安教会の牧師として、ドレーパー記念幼稚園の園長として、皆さんにお伝えしたいことがたくさんあるでしょうから、ぜひブログで公開するようにと勧めてくれたのである。彼は4月の時点では既にブログを設定してくれていた。後は書くだけだったのである。ところが、4月、5月は教会や幼稚園の年度始まりであり、何かと忙しく、ブログのことは忘れているようであった。6月になって、ようやく一息入れるようになったとき、ブログのことが思いを締めるようになり、時々、佐竹和平さんが促してくれていたのだが、ついに書き始めたのである。何事もはまる性質で、書き始めたら毎日を記すようになった。しかし、2007年3月25日をもって筆を断った。忙しさが加わり、今までも忙しさは変わりないが、限界を覚えるようになったからである。ところが、昨年2010年10月からは無任所教師になり、どこの教会にも所属しない、本当に楽な身分になった時、また書き始める気になった。ブログを再開したのは2010年9月25日からである。毎日、のんびりと思い出を書きながら現在の心境をつづったのであった。しかし、またお休みにしなければならなかった。2011年4月4日から5月18日まで、スペイン・バルセロナにいる娘の羊子のもとに行くことになったからである。そのため4月1日をもってお休みとした。そのまま4月と5月はお休みとしたが、その間、スペインで日記を記していたので、その日記を6月1日から8月9日まで「スペイン滞在記」として公開したのである。滞在記が終わり、その後は再びお休みにしていたが、4月以来の事柄について、書いておきたいことがいくつかあり、それをどのような形で公開しようかと思案していた。隠退牧師になった今、隠退牧師としての思いを書き残すことにも意味があろうと思うようになったのである。
隠退牧師、正式には隠退教師と称するが、現役の牧師を退任することである。牧師を退任すると信徒に戻るのかと言えば、そうではなく、隠退しても牧師、教師なのである。日本基督教団の場合、献身して信徒から教師になった時、そのまま死ぬまで教師の身分である。現役として教会の牧師は担任教師であり、その教会を退任してどこの教会にも所属しない場合は無任所教師となる。そして、もはやどこの教会にも赴任しないで隠退する時、信徒には戻らないで隠退教師としての身分にとどまるのである。従って、隠退しても要請があれば、どこかの教会の礼拝説教を担当するし、また聖餐式司式も司ることになる。しかし、やはり隠退しているので現役ではない。



教師となった時、御言葉に仕える使命を与えられるのであるが、その姿勢、その使命は隠退しても変わらない。昨年10月からは無任所教師になり、毎週教会の講壇に立つことは無くなった。しかし、御言葉に向かう姿勢は持ち続けている。そのため、講壇に立たなくても説教は作成していたのである。それは今でも続けているし、今後もその作業ができなくなるまで続けるであろう。日曜日のために説教を作成し、それはブログで公開しているが、礼拝の説教であるので、実際に礼拝で示されることである。そのため、六浦谷間の集会として、連れ合いのスミさんと、たった二人で礼拝をささげるようになった。2010年11月28日からである。但し、毎月第一主日は横須賀上町教会の礼拝を担当している。六浦谷間の集会には、近い場所、追浜の娘さんと共に生活している小澤八重子さんが月に一度は出席される。当初は田野和子さんも出席していたが、最近は来られなくなった。遠方でもあるからである。時には我が家の子供たちも出席するので、昨年11月からの平均は3名と言うことになる。
み言葉に向かいつつ隠退牧師の生活を、折に触れ、書き残しておきたい。




「六浦谷間の集会」の鈴木家の玄関に置かれている壺。



この壺は「ナルドの香油の壺」であり、「カナの婚礼における水がめ」としておいている。