鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<339>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<339>
2015年6月1日「妨げてはならないと」


聖書の言葉
エスに触れていただくために、人々が子供たちを連れてきた。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」
(マルコによる福音書10章13-14節)


ペンテコステ礼拝は5月24日であった。そして、次の週の5月31日は「三位一体主日」である。「父なる神様」、「子なるイエス様」、「お導きの聖霊」の神様への信仰を深めながら歩みたいのである。この31日は六浦谷間の集会の礼拝であるが、懐かしい知人の皆さんが出席してくださる。ご家族の上の男の子は高校1年生になる。下の女の子は中学2年生である。お母さんと共にお出でくださった。いつもは夫婦二人の礼拝が多いのであるが、この日は5人の皆さんと共に礼拝をささげることができた。基本的には夫婦二人で礼拝をささげているのであるが、やはり一人でも多くの皆さんが礼拝に加わってくださると、力が与えられるようである。いつものように礼拝説教を準備したし、週報を作り、礼拝順序もいつもの通りである。いつも二人でささげる礼拝は、その日の説教をプリントし、説教を読み上げる形にしている。そうでないと説教者が一人しかいない会衆に向かって語りかけるのは、その姿勢に戸惑うのである。準備した説教をプリントし、会衆にも配布し、説教を読む形であることが、一番自然な礼拝の形になるのである。31日の礼拝もそのようにするつもりであった。だから説教は5人分プリントアウトしておいたのである。ところがその日になって、このような形で説教をしてよいのか思案する。それに中学生、高校生であり、いわゆる大人向けの説教なので、そのままの説教で良いのであろうかと考え込んでしまうのであった。
そこで、準備した説教であるが、大筋は準備した説教によるが、プリントではなく直接話しかける本来の説教にしたのである。久しぶりに教会学校の中学科でお話しをしているようであった。これも懐かしい説教であると示されたのであった。教会における教会学校の説教を思い出している。また、キリスト教主義の中学・高校の礼拝に招かれ、若い人向きの説教をしたことも思いだしている。しかし、学生向きの説教と言っても、言葉遣いを学生向きにしているのであり、内容は大人の礼拝も同じなのである。私の中学生時代、大人の礼拝に出席していたが、牧師の説教が難しいとも思わなかったし、むしろ中学生ながら牧師の説教で養われたと思う。
私は小学校3年生の時から教会学校に通っていた。それは母の励ましで通うようになったのであるが、その辺りの経緯は既に公にしているので割愛しておく。中学生になって、二人の姉が出席している清水ヶ丘教会に出席するようになるのである。しかし、教会には教会学校があり、中学生クラスもある。だからその中学科に出席するよう勧められる。それで、勧められるままに出席する。しかし、その中学科はかなりの生徒がおり、中でも男の子が多くいたかと思う。なんとなく圧倒される思いであった。それで一度出席したが、以来出席していない。だから姉たちと共に大人の礼拝に出席していたのである。教会には高校生グルーブ「ぶどうの会」があった。高校生は大人の礼拝に出席し、高校生の集いを開いていたのである。いつも礼拝に出席しては帰っていく私を、高校生グループが受け止めてくれる。中学生であるが高校生グループに入り教会生活が導かれていたのである。
その様な自分の教会生活を思いだしながら、前任の大塚平安教会在任中、礼拝には高校生が出席すべきであると思っていたし、できれば中学生も大人の礼拝に出席したら良いと思っていたのである。そうなると説教自身も難しい言葉を使うのを避け、いわゆる中学生向きの説教になり、むしろ教会員の皆さんも、今日の説教は良く理解できましたとの感想が出てくるのである。毎年、6月の第二日曜日は「こどもの日・花の日」として合同礼拝をささげている。教会学校の子供たちと教会員が一緒に礼拝をささげるのである。その時は、子供たちに分りやすく、語りかけるように話すので、教会員の皆さんも喜んでくださるのである。
教会によっては礼拝堂とは別室の母子室を設けている。礼拝中、子供が泣いたり、騒いだりするのを、むしろお母さんが恐れるので母子室を設けているのである。しかし、子供は声を出すのは当然なのであり、子供たちの声の中で礼拝がささげられる方が祝福されると思っている。赤ちゃんと共に礼拝に出席しているのであれば、牧師は赤ちゃんにも分るような説教をするということである。そうであれば教会員はなおのこと説教を理解するのである。母子室の発想はどこから出てくるのであろうか。久しぶりに中学生、高校生と共に礼拝をささげ、改めて説教の原点を示されたのであった。これからは赤ちゃん向けの説教にしようと…。



大塚平安教会における説教。



横浜本牧教会時代の講壇。2010年頃。



横須賀上町教会の講壇。
現在も毎月、第二日曜日の礼拝説教、聖餐式を担当している。



三崎教会の講壇。
現在も毎月ではないが、第四日曜日に招かれて説教を担当している。