松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

イスラエルという牢獄から我々は脱出できない

ーー ハルキのエルサレム賞演説は、それが優れたものであればあるほど、エルサレム賞の権威を高めてしまう。日本よりよほど高度な民主主義国家であるとと同時に、文学的文化的にも高度な国であるという事実をいやがおうでも見せつける結果になる。*1 イスラエルが生き残り今日も虐殺を続けることができるのはこのように自国家を公正で正義を愛する国家であるとするイメージ戦略に、欧米(付属日本)のインテリがだまされた、だまされたふりをしてきたからである。


ハルキにはエルサレムに行かないという選択肢はなかった。わたしたちの日常生活のなかに悪魔が潜んでいるというのが彼のテーマであり、日本の日常とイスラエルの日常を異質と考えることは彼にはできなかったから。そう言われてみればこれは正しい考え方だ。でハルキは彼にできることをした。結果、ガザの暴虐よりエルサレム賞の度量の大きさだけがわたしたちに記憶されることになった。
このゲームはどのようにプレーしてもエルサレムという聖なる名が勝利することになっているのだ。

愛が命令される。
ユダヤ教は、まさに愛を表します。
〈神〉から〈人間〉への愛に対する応答、それは隣人愛なのです。(レヴィナス*2

隣人愛とは何かを最も深く知っているのはレヴィナスである。でそれは1300人のガザ市民を殺すこと・・・?


toledくんはここで勘違いして岡真理を攻撃し始めるのだが、あながち勘違いではないかもしれない。なぜなら、アウシュヴィッツ(ガザ)の後で、どのような正義=主体が存続可能なのか? 正義を美しく唄いあげることが。
「愛する能力はもう誰ももっていない。*3

呪縛された存在である以上、生けるものには二者択一しかない。つまり望まないままに無感覚・無感動の境地を採るか、あるいは事柄に巻き込まれた者としての残虐さを採るのかのどちらかだということである。ともに偽りの生である。*4


その唐突さが凡人の理解を絶していたのだが、聡明なるtoledくんはすぐに脱出口を見つけた。この脱出口は支持しうるものだ。

立岩なりなんなりが、いかに立派かという事実を列挙してください。今のところ、文科省やらなんやらの「被害者」でかわいそう、フリーターを路頭に迷わせたり表現の自由を弾圧したりするくらい、許してあげようよ。くらいしか伝わってこない。まあ、かわいそうと言えばかわいそうだけど。
http://hatesa.g.hatena.ne.jp/mojimoji/20090216#c1234757696

現在、http://d.hatena.ne.jp/toled/ には記事がないみたいで、上のような文しか出てこなかった。toledくんのこの文章はおかしい。立岩がどんなにすごい思想家かは資本論を最後まで読めばすぐ分かる話だ。でそんなことはどうもよくて、問題はtoledくんがなりふりかまわず立岩と先端研を叩いた、叩くというパフォーマンスをして見せた意図である。

エルサレム賞とはなにか?イスラエルの中東における特殊性を証明するための制度と儀式です。特殊性とは、「民主主義」とか「自由」とか「寛容」といったようなことです。(toled)

日本には残念ながらエルサレム賞のような立派なものはない。*5そこで、toledくんが持ってきたのが立岩と先端研である。「これは一人一人の個人のなかにある正当化のひな形でもあるし、また、集団内における「良心」と「無法者」の役割分担でもあります。」立岩と先端研をtoledくんは日本の良心とみなしているのだ。


でもって、自己の良心をこそ叩かないといけない! この脱出口は支持しうるものだ。

なぜならば、村上春樹を媒介することによって、われわれは自覚せざる得なかったからです。


いま、まさにここが「エルサレム」だということを。


街に出て、キョロキョロしてみてください。「壁」が見えてきます。


↑あと1時間19分で消します。もうやり方については色んなノウハウを伝授したと思うので、各自で工夫してください。(toled)

*1:「わたしにはわかっていた」とtoledくんはそんなことを強調したがるが愚かなことだ。

*2:p252 isbn:978458800905

*3:アドルノ??p442

*4:アドルノp442 isbn:4878932554

*5:天皇がいるじゃない

正確に語らなければいけない

一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。
村上春樹

 1300人のガザ市民を殺したのは、イスラエル国家である。制度でもなければ壁でもない。


(追記)2/19
この記事が気に入らなくなり消したいと思った。上の上の記事は「村上氏」ではなく「ハルキ」と書いていることからも分かるように、人間としての春樹氏という側面についてはあえて触れないという限定において書かれたものだ。この記事では講演の一部を恣意的に引用してしまった。システムのやり口のように。
以上、http://d.hatena.ne.jp/hitit/20090218 を読みながら考えた。

ユダヤ人には国家は必要ありません。

ユダヤ人は歴史に対して疎遠であり、歴史がユダヤ人を支配することはありません。彼らはまた歴史に対して無関心でもあります。ユダヤ的共同体は、つねにすでに〈永遠〉を有しています。ユダヤ人には国家は必要ありません。存在内での永続性を保証するために、ユダヤ人は土地を必要とすることも法を必要とすることもありません。(略)ユダヤ民族の真の永遠とは対照的に、国家は戦争と革命によってのみ生きるのです。
レヴィナス p256 isbn:9784588009051

聡明なるid:toledくんから評価をいただいた。

ほぼ満点。ただし、レヴィナスの出し方により、マイナス5,000点。読みもしないでそういう使い方すると、反ユダヤ主義だよ。人種差別。 2009/02/17

 いや確かにわたしはレヴィナスの本をちゃんとは読んでない。内田くんに対抗する意味で好感を持っている合田正人さんの入門書(NHKブックス)すら通読していない。「困難な自由」も超過していたので今日図書館に返した。
ただこの「困難な自由」を引用するのは
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090123#p2
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090128#p1 についで3回目です。
レヴィナスは悪質なシオニストだと思っています。
ただ上記の「ユダヤ的共同体は、つねにすでに〈永遠〉を有しています。ユダヤ人には国家は必要ありません。」についてはレヴィナスは本気で言っている。第一義的にそうした永遠の精神の自由という価値が存し、二義的にイスラエル国家擁護があった、ということだと思います。でその前段についてはいささか惹かれないこともないわけです。「きれいごとを並べやがってこの殺人者が」と言いたいから引用していると理解していただいていいのですが、それだけではありません。
わたしのレヴィナス非難は論として整ったものではないですが、上記のふたつの記事を読んでいただけば分かるように最低限の論理は持っています。参照すべき記事も読まずに、突然「反ユダヤ主義だ」という規定がでてくるのは、どうしたものでしょうねえ。