松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「大東亜戦争」と私

大東亜戦争」は、私たちの世代にとって8月のものだ。8月上旬にはTV、新聞などが戦争や原爆の特集をする。(しかし戦後69年、戦争体験者はほとんど死に絶えてしまった)季節外れの今、「大東亜戦争」を思い出したのは、靖国論争からみである。
 靖国参拝が国際問題になることによって、東條ほかのA級戦犯がふたたび、わたしたちの表象代行者になってしまう、何も知らない戦後派にとっては、ということになっているのでないか。
 東條ほかのA級戦犯は、忘れされるべきみにくい過去として地下の漬物樽につめて忘れてしまっていたはずなのに、そうはならなかった。逆に取り戻すべき輝かしい過去の象徴(かもしれない)物になってしまった。*1
 
 このようなことを書いていると、ツイッタで質問を受けた。お前は大東亜戦争の遺族なのか、遺族でもないのに勝手に死者の代弁者のふりをするのはその死者の政治利用じゃないか、みたいな反発があった。
 
 私と「大東亜戦争」の縁は薄い。私の父は徴兵拒否者だ。関西からわざわざ関東の気象台関係の専門学校に進学し徴兵を逃れたらしい。815以降はアメリカの映画や英語にあこがれ、その一心で米兵とつきあっているパンパンとも普通に仲良くしていたらしい。*2
 私は、親族を通した戦争の影やルサンチマンとは無縁に育ってきた。靖国にも行ったことがない。(先日早朝、鳥居とかだけは見学したが)なぜ、靖国にこだわるのか?いや、靖国にこだわっているわけではない。



 かすれかけた1枚のマンガの絵、その見にくいドクロの絵が「大東亜戦争」を私にしらせるものとしてある。忘れてしまっても良いのだが、おそらく相手がそれを許さないかもしれない物としてそれはそこにある。
 
 それは私が書いたブログ記事の一部だ。密林の中に一つのドクロがある。遺骨収集旅行というのは旧厚生省も実施していたが、そうではなく二三人の戦友が集まって戦友の遺骨が放置されているはずの密林を尋ねる旅だ。
 密林の中で遺骨を見つけ、酒をかけ供養してやる。問題はすべてが住んでホテルに帰りゆっくり眠りについてから起こった。密林に放置されているわけだから安らかになど眠れるはずのないところのその元兵士の(霊)がやってきて、金縛りにあってしまったのだ。
 一方的に慰めるつもりだった。しかし相手は(存在して)おり、許してくれなかった。
 そういう話である。それは他人が書いた一片のマンガにすぎない。
 しかしあの巨大な戦争について私は知らん顔をするべきでもなかろう。であればわたしはいつもこの1枚の画像を想起する用意があった方が良い。というかそれは不鮮明で良くわからない、のだ。どくろは密林にうもれて、やっとのことで掘り出したのだが、写真でもよく注意してみないと浮かび上がってこない。
 
それでよいのだ、相手はどうせ不在であるのだから。であるにしても、その不在である感触だけはよく覚えておかなければならない。
 
参考:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060819
 

大東亜戦争

 大東亜戦争という言葉は左翼にとって、使ってはいけない言葉とされている。左翼にとってというのは不正確な限定である。敗戦国家そのものによって、使ってはいけない言葉とされた、というべきだ。もちろんその背後にあったのは戦勝国のうちでも占領者となったGHQつまり米軍の意志であろう。大東亜戦争の代わりに、太平洋戦争という言葉が使われた。
 しかし太平洋戦争という言葉も不適切である。日本軍(皇軍)は確かに太平洋の西半分全域、わたしたちが決して名前を知らないような小さな島々にまで展開した。しかしそれだけではなく中国の全域、モンゴル、ビルマ、タイ、ベトナムなどアジアの東半分全域にもてんかいしたわけである。島々と大陸を比べると後者の方が面積も人口も圧倒的である。
 にもかかわらず太平洋戦争という言葉は使われ続けた。太平洋戦争という場合、始まっのは1941.12.8真珠湾攻撃からとされる。そのようにして、1937.7.7盧溝橋からはじまりだらだら続いた中国大陸での戦いは後景に引いた。つまり、戦争は米国との間で行われ、米国の近代的物質文明に敗北したので、民主主義と近代的物質文明に邁進すればよいといった形での、総括が国民にしたのだと理解することができる。
 そうした弯曲が数十年是正されなかったのは、それが米国の利益に一致したからだと考えることができる。
 1970年台後半から(たぶん)私が書いてきたような批判が出て、アジア太平洋戦争といった呼び方が提唱された。しかし、その言い方も定着せず、国民が大被害をうけたその出来事は、公式には「先の戦争」と、婉曲な回避表現で言うことになっているようだ。何十年も経済的に繁栄した大国家でありながら、自国の根拠も名指し得ないとはこっけいな国もあったものである。