松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ヘレナの戦争責任

ヘレネはスパルタの女王だっただけでなく、誰もがそれにひざまずくほどの美女だった。
ヘレネはスパルタの女王だったにも関わらず、美男のパリスにトロイアにかどわかされ、(一時的に)パリスを愛してしまう。全ギリシャ総力を上げた奪還戦(多くの戦士が殺され、都市我焼かれた)の後、ヘレネは故郷スパルタの王宮に帰ってくる。ヘレネは宮殿に向かって呼びかける。「宮殿よ、お前はここで温かき心をもって私を迎えてお呉れ」と。*1
王妃として宮殿に戻ったのかどうか、不確かだ。「王(メネラオス)の苦い思いを償うための生贄なのか?それとも、ギリシャの民の長年の受難と不幸を償うための生贄なのか?」
「必要と信じる数の鼎を用意し 生贄を捧げる者が手元に置くべき容器を各種取り揃え 神聖なる祭祀の準備の慣行を滞りなく実行せよ 湯を沸かす大釜 滴りを受ける大鉢 丸く浅い大皿−−(略)そして最後に よく研ぎあげた小刀を 忘れることなく用意せよ。」
つまりここで、ヘレネは「ギリシャの民の長年の受難と不幸を償うための生贄」として、オリュンポスの神々に献げられようとしていた(十中八九)。私たちはここで、当然裕仁天皇を思い出す。全ギリシャならぬアジア太平洋の過半を戦乱に巻き込み敗北した裕仁天皇は、それでも生きて東京にいた。占領軍の前でヘレネと同じ恐怖を味わったことは間違いない。


自分の価値観で個々が善悪を決めてしまう
「子供の頃この高い階段を、戯れつつ一気に駆け登ったものだったが 今わが足は あの時のように大胆には 私を運びあげてくれない」
ヘレネは奥の竈の前で、地獄の闇の化身である巨大な女を見、恐怖に崩れ落ちそうになる。
「王は何を生贄にとは 言われなかった。」しかし女は告げる「ご自身なのです 生贄は!」
「瓷(かめ)には水を張れ 身体も震える黒い血のひどい汚れを あとで洗い落とすことになるからな。」
ヘレネの物語はここで終わる。彼女はその美しき身体を失い、ひどい汚れと呼ばれてしまうことになった(としよう)。さてわたしたちの裕仁天皇はどうだったのだろうか?
アジア太平洋の一千万を超える死者、誰も知らない南島で餓死していった百万の兵士たち、原爆の死者たち彼らの恨みは、地獄の闇の化身である巨大な女に形を変えて、夜ごと裕仁天皇を苦しめたのだろうか?それとも誰か、何かが地獄の闇の化身の出現を押しとどめたのだろうか?そもそも国土を焦土にした責任を皇祖皇宗にきびしく追求されなかったのだろうか?


すべては70年前のことである。しかし、出現すべきだった地獄の闇の化身は、いまどこにいるのだろう。それは意外にも私たちの身近にいるのかもしれない。