2か月のご無沙汰でした。

パリから戻った私を待ち受けていたのは、骨折してギブスのとれたばかりの松葉杖姿の夫と、熱があると言う義父でした。
それからが、大変生活の始まりでした。
義父はインフルエンザと診断され、お決まりの肺炎コース。
2月いっぱいの静養となりました。
夫の方は日にち薬ということで、日々リハビリの毎日、こちらも2月いっぱいを回復に向け3月から無事(?)職場復帰を果たしました。
何とか3月を迎え、私の日常も普段通りの生活が戻ってきました。

忘れないうちにパリの思い出を留めておこうと思います。

長いパリ暮らしの中で、何回かは一人パリの町を歩きました。
一番思い出の深い散策の日を記します。


娘の家から15分くらいのところに凱旋門があります。
ここは上に上がることが出来ました。別の日に高いところが苦手な私が一人意を決して登って来ました。
何度か散歩に出かけていたので、どこに行くにも地図を開いて凱旋門からスタートでした。

凱旋門からイエナ通りをまっすぐに進んでギメ東洋美術館
ここもまた別の日に半日かけて見学をしました。
一度通った道は安心して歩けます。

ヴィルソン通りを歩いてトロカデロ(シャイヨ宮)に。
ここはエッフェル塔が目の前に見える写真スポットだそうです。
でも朝の遅い冬のパリではお日様が登ったばかりです。

トロカデロ公園のメリーゴーランドです。
公園のメリーゴーランドはとってもパリっぽいです。
ここからセーヌ川を渡って、エッフェル塔の下へ。
たくさんの観光客が並んでいる横を(エッフェル塔には登らず)歩きます。

エッフェル塔の下、マルス公園です。自撮りしている風を装って写した写真。
銃を持った兵士が4人一組で警備しています。
この光景は人の集まるところだけでなく、普通に見られた光景です。
最初はちょっとびっくりしましたが、銃撃のあったカフェや、人々が抗議の集会を開いたリパブリック広場などテロの傷跡を残すところ見ると、当然のことのように思えます。

私の見た一番きれいなエッフェル塔です。
塔の下に小さくシャイヨ宮が見えています。
9時半ごろに家を出て、あちこち見ながらここまで来ました。
これからは今まで歩いたことも行った事も無いところになります。
でも、お天気も良くて、気分も高揚していて、一人でも歩ける気になっていました。

とにかくまっすぐまっすぐ歩いてパリ・エコール・ミリテェル。
軍の施設でした。
入れるのかと思って、入り口まで行くと「ここは入れません。まっつすぐ行ってアンバリットを見学して」と多分言われたんだと思います。
そこから地図を見ながら言われたとおりに行くとアンバリットがありました。

本当はセーヌ川を渡って真正面から入ると絵的には綺麗だったのでしょうが横から入ってきました。

元々はルイ14世が造った傷病兵たちの施設だったそうです。
今は軍事博物館です。


中庭には古い時代の大砲が並びます。
戦車もありました。(博物館の中には入らずです)

アンバリットの教会の中です。
ここにはナポレオン一世が眠っています。
他にもたくさんの将校が葬られているようでした。

ここを出たのがちょうど12時。
すぐ近くにロダン美術館があります。
最初は建物を見るだけのつもりでいたのですが、何故か心惹かれて思い切って中に入りました。

ここはロダンの暮らしていたところで、とても美しい庭園もあります。
でも残念なことに冬のこの時期、庭園の養生期とでもいうのでしょうか、あちらこちらが立ち入り禁止になっていて、春を迎える準備をしていました。




カレーの市民地獄の門は屋外にありました。
ロダンが描いたたった一人の日本人「はる」さん・「Jean d'air Monumental」

ここにいる時に娘からメールが「ルーヴルで何かあったみたい。絶対に近寄らないで」
この日は1月末に起こったルーヴルの銃撃事件の日でした。

私のこの日の午後の予定はルクサンブール公園からサンミッシェル→セーヌ河畔→ルーヴル→コンコルドシャンゼリゼ通り→凱旋門でした。
長くなりますので予定変更を余儀なくされた私の奮闘ぶりはまた改めて。