伊吹
文部科学大臣が「人権メタボリック症候群」なる言葉を発したそうで、それが新聞記事になり、多くの方のブログに取り上げられているんだそうである。伊吹(非)文明氏はこちら「政府インターネットテレビ・大臣のほんね」でもすでに若い女性のインタビューに対して同じことを発言している。
○伊吹大臣:なおす前の教育基本法も大変よくできている法律なんです。例えば権利の大切さとかね、そのことはもう何ら間違いはないし、正しいこと。
戦争に負けたときに、私は小学校の1年生だったんだけれども、これぐらいのバターの小さな1センチぐらいの塊はとても貴重なもので、栄養が随分あるものなんです。バターはいろんな栄養があるんです。だけれども、今はバターはそう貴重なものではなくて、幾らでも食べられるようになってしまったから、余り食べ過ぎるとメタボリック症候群になりますからね。そういうときは少しバターを控えて、そして、野菜も食べて、健康に暮らしていくというふうに時代が変わってきているわけです。
だから、人権というのも個人の権利というのも大切なんだけれども、余り使い過ぎると権利メタボリック症候群になるので、家族あるいは会社、地域社会、そして日本の国の一員であるという公共の精神というんですか。自分の乗っている船のために努力をすることによって、自分の権利も主張できる。大切な自由にはやはり規律があるということを中心に法律が改正されたというふうに理解してもらったらいいと思うんです。
どうやら使い回しの話なんだなぁ。伊吹のおっさんは「人権」という言葉の重さ、大切さ、というものに全く理解が至っていなくて、安倍某とか山谷某なんかと同じように、人権を抑圧されてきた人びとをそのままにして、ずっとそれを押さえつけることで有利にたち、儲かり、それをそうした一部の人間たちの中で取り分をわけ続けることに邁進するために腐心する人たちのひとりであることを見事に証明して見せてくれたんだけれど、そんなものをこの場に及んでいちいち見せてくれなくたって、君の事務所経費のいい加減さで明白だよ。「人権を獲得しすぎる」という例えがあり得ると思っている輩に「教育」を語る資格はなし!
「千の風になって」
今の今までこの曲がなんなのか知らずにいた。お判りのように今晩のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」を見ていたわけだ。昨年の紅白歌合戦の中で唄われたというのも知らなかったし、日野原先生が全盲のソプラノ歌手塩谷靖子の唄として取り上げていたことも知らなかった。ただ、時々NHKのラジオの中で秋川雅史か新垣勉かの歌声が流れているのは聴いて知っていた。詠み人知らずの歌詞が原曲のようだけれども、日本語の歌詞も新井満の詩と塩谷靖子の詩とあるらしい。しかし、このメロディーもキャサリーン・ジェンキンスなんかの唄を聴くと多少違っている。日本語の唄の旋律はものの見事に日本の唄になっていて、私はまさか外国から入ってきた唄だとは思わなかった。唄としては別物だと思った方がよいかも知れない。「そんなところにいないっすよぉ、わたしは。ほうら、あんな風になってとんで歩いてんだよぉ〜」という詩は甚だ日本的ではないのだけれど、妙に日本人の琴線に触れるのである。この曲を唄えといわれたら、多分唄えない。♪うさぁぎぃおぉ〜いしぃ、かのぉやまぁ〜の「ふるさと」と同じような理由からこの曲も私は歌えないだろう。そうそう、さだまさしの「案山子」も唄えないのである。KANの曲にも一曲、ダメなのがあったっけなぁ。