ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

nsw20722007-04-18

《写真:各駅停車の電車しか停まらない「千住大橋」の駅を通過するスカイライナー。この派手な青と赤のストライプはどうしても良いセンスを感じさせないんだけれども、「らしくて」良いかぁ、という気にもなるんだなぁ。この駅から見ると広大な土地に某ジェネコンが工事を始めている。あそこは昔は一体なんだったんだろうか。なくなると何があったのか全く記憶に残らないのだ。》

VTT

 アメリカのマスコミはVTの銃撃事件一色となっている。AOLのNews BloggersではVTの卒業生で、現在はAOLの従業員だというIan MacFarlaneが、Cho Seung-Huiがどんな印象を持たれていたかについて記し、その上Cho Seung-Huiがplaywriting classで提出したというシナリオを公開している。そこにはD評価をした教師を殺せと云う台詞が出てきたりする。そしてIan MacFarlaneの友人が今回の事件の犯人がアジア人だという第一報を聞いて、Cho Seung-Huiではないかという思いをもったことを明かしている。
 ひとつ懸念されるのはCBSが報じているように、コロンバインの事件以降、シークレット・サービスが行った37件の校内銃殺事件の分析でえられた犯人像として、「孤独で、ある種の悲嘆に暮れていて、いじめを受けていたり、虐げられていると感じられている場合が多く、半数以上は動機としてそれに対する仕返しだとされている」という見解を公開しており、今後予見をもった人の見方を、一時的なものとはいえ醸し出すのではないかという点にある。これからCho Seung-Huiについての詳細な情報が多分出回るのだろうし、この事件に関しての何らかの出版もされるだろう。
 その後の報道では教室でCho Seung-Huiに撃たれて死んだ女子学生の中には彼と同じWestfield High Schoolの出身者もいるようであるが、全く彼に面識はなかったのではないかとも云われている。高校時代の彼は本当に言葉が少なく、ほとんど話をしていなかったようだ。在米の韓国人社会に与えたショックは相当なものだと想像ができそうだ。最初に学生寮で撃たれてしまった女子学生については様々な憶測が飛んでいるが、彼女の友人の話によるとCho Seung-Huiとの間に感情的なんもつれがある可能性は全く存在せず、全く面識がなかっただろうとさえいわれている。この大学の学生、教員、職員を含めると全体で2.6万人というのだから、知らなくて当然だろう。
 それにしてもこの大学に通うことについてかかる費用をみるととてつもない金額だ。こうしてみると日本の大学は安い。

朝日新聞夕刊 ニッポン人・脈・記

 この連載企画は長い。もう既に朝日文庫からは三冊となって発刊されている。その続きだと思うけれどもweb上ではこちらで各回の一回目を読むことができる。一昨日からのシリーズは「ありのまま 生きて」である。東大先端研でバリアフリーを専門とする福島智准教授の話から始まった。私が福島先生のお話を初めて伺ったのは2002年のことだと思う。恩師の授業のアシスタントをしていた時に恩師とともにその授業を分担されていた同じく東大先端研の障害学の長瀬修先生がゲスト・スピーカーとしてお招きしたのが福島先生だった。押さない時に視覚を失った福島先生は高校生の時に聴覚を失った。お母さんとぶつかり合った時に指が触れ、ひょっとしてとお母さんが点字タイプの如くに指を動かして意思が通じたのが始まりだという。まだ聴覚があった時に良く落語を聞いたというのは三宮麻由子とまさに同じである。指点字の通訳者の方を通して相手の話を聞き、ご自分の声でお答えになる。落語が好きだったというくらいだからユーモアに富んでいる。聴衆がそれに反応して笑うと、指点字通訳者は福島先生の手の甲を指でポンポンと叩くのである。「皆さん笑う時には足で床をドンドンと踏んでください」と仰る。すると振動で通じるそうだ。階段教室にいた100人ほどの学生全員で床をドンドンとならした。隣の教室はさぞかし驚いたことだろう。勿論紆余曲折のある人生に違いないが、福島先生の明るい顔つきはいつ見ても私に勇気をくれる。
 「自殺、を思ったことはないのですか?」「それはないです。あわてなくても、いずれみんな必ず死にますから。あせる必要ない」にはなるほど、恐れ入ってしまう。

山梨

 テレビ東京のサッカーの前の番組が「いい旅・夢気分」というやつで12チャンネルお得意の(多分代理店が仕込んで儲けている)タレントが出てくる旅番組。で、その番組宣伝を見た時に塩山とか何とかのあとに鰍沢、なんて書いてあった。鰍沢は連れ合いの両親の出身地で、毎年一回お盆近辺に墓参りに行くくらいのものである。川沿いの平地がほんの少しあって、そこに街道も走っている、あとは全部山地という典型的な日本の山間地の様相を呈しているわけだ。そんなところにこのたび番組は何しに行くのだろうか、そんなおいしいところがあるのなら今年の墓参りに寄ろうじゃねぇかという下心があってチャンネルを合わせるわけである。
 最近山梨で聞こえてくる温泉といえば「ほったらかし温泉」で、案の定ここにも登場した(らしい・・この時見ておらず・・)。そして泊まったのが、昔懐かしい積翠寺温泉古湯坊坐忘庵だというのである(実はここも見ていない・・いったい何をしていたのやら・・)。ところがじっと見ていたつれ合いによれば「積翠寺温泉はもうすっかり変わっちゃって綺麗になっちゃった」のだそうだ。そりゃそうだ。われわれが湯治逗留中の連れ合いの両親とオヤジのねえさんを訊ねていったのはもう30年以上経つもの。あの時だって既にかなりの年季の入った建物だった。しかし、それはそれはよいお湯だったし、何よりも昔ながらの湯治場そのものだったのだから、それが嬉しかった。その時湯治にいっていたその三人も既にこの世になく、そうなるとなかなか行くチャンスもなく、そのうち行ってみたいねぇ、とぽっつり語るだけだった。そりゃそうだろうなぁとネットで捜してみると、いやぁ、もう立派におなりになってぇ〜と昔お仕えしていたお屋敷の坊ちゃんがお嫁さんを連れて挨拶に来た時の元女中頭*1の様な台詞がつい口をつく。
 昇仙峡の滝のあたりからテレビに合流。いよいよ、話は鰍沢に近づいているに違いない。二日目も昼から温泉に立ち寄るのだけれど、それが湯村温泉である。今売り出しの温泉ばかりだ。そこから和紙を漉きに行っちゃったりする。そうそう、この辺は昔から紙で有名で、死んだ岳父の戦友やら、商売仲間の人が確か紙を扱ってこの辺にいるはずだ。それにしても「なかとみ和紙の里」なんて随分と立派な建物が建っているんだけれど、こんなものを造ってしまって本当に人が来るのか、と人ごとながら人ごとでないような気になって心配である。大分鰍沢に近づいてきたぞ。
 そんなこんなでこの日はなんと増穂の山にある、新潟から移築しましたという古民家を改装した、東京出身の夫婦が経営する宿に泊まるのである。温泉でもないのに。露天風呂からの景色が最高だぁ!といってである。鰍沢はどうなったんだろう。
 カラス、かぁ〜で夜が明ける。で三日目(随分ゆったりしたスケジュールでござるなぁ)はどうするのかと思ったら、な、なんと!鰍沢口の駅から身延線に乗って南部に行っちゃうのである。大泉洋だったらここで云うな。「このやろう!ふざけんなよぉ〜!」とね。あぁ、今年はお墓に行った時にこの番組のことを報告しておかなくちゃならんな。
 テレビ東京の「いい旅・夢気分」である。あっ!今サイトを見ると「塩山〜甲府〜南部」になっておるっ!きったねぇ。

*1:「女中」:差別用語といわないで頂きたい、当時の用語を使用中であります。