ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

経験豊富

 今年の天候はここに至るまでに既に随分と様々なものを経験させてくれちゃったものだから、こうなるというと、今は春なのか、夏なのか、初夏なのか、梅雨なのかよく分からん。つい先日はもう夏だねぇ〜、なんちゃってパラソルか、パナマかという雰囲気だったのに、今日はもうこれは完全に梅雨時の天気で、蒸し暑い。ついちょっと前は桜は咲いたっていうのにまだまだ厚いジャンパーを羽織っていた。もう厚いコートは洗濯に出しても良いんだろうねぇと空に向かって呟いたって、そりゃ誰も聞いちゃくれないし、責任も取っちゃくれねぇよ。

天安艦

 ろくに新聞を読まない私なんで、日本では報道されているのかどうか、あんまりよく分からないけれど、先日北朝鮮海域の傍で沈んでしまった韓国の海軍艦に関して、田中宇がこんなことを書いている。田中らしくてがっつり書いてあるけれど、知らなかったことだらけだ。私にとっては検証する術を殆ど持たないので、へぇ〜と読んでみる。
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すんまへん、無知なので

 普天間基地の移転先を日本国外にすると東シナ海に対する抑止力がなくなるんだとすると、他の沖縄各地にある米軍基地というのはなんの機能を果たすためにいるんだろうか。普天間がそれだけ重要な機能を果たしているんだとするとこれまでの冷戦下だったら、あそこさえぶっつぶしてしまえば東側の思う通りになったんだということで、そりゃ戦略上、最悪だったということになるんだろうか。
 でもって、一方、自衛隊というのはこれまでかなりの装備を予算づけてきたわけで、今や「空母ではない」けれど自衛隊随一の大きさを誇るヘリ空母なんてのまで横須賀に配備しているけれど、今あんなものがあんなところにいたってあんまり意味をなさないということになるんだろうか。
 そういえば新聞やテレビで例の田母神あたりが、「今こそ自衛隊の力を見せるチャンスである!」とか演説していないんだろうか。それとも例の「桜なんたら」あたりではもはや意気軒昂なんであろうか。
 これもあれも政権交代して初めて分かったことなんだよなぁ。え?あれって?まぁ、官房機密費の中からどれくらいの金額がマスコミ関係者に渡ったのか、という点。

テッセン

 【写真:見事に花開いたテッセン。何年か前に娘が母の日に連れ合いにプレゼントしたものだというのだけれど、私は殆ど忘れていてこんなに最多(ある意味正しいけれど)咲いたのを見た覚えがないといったら、そりゃそうだ、昨年はこうはならなかったという。そういえば今年のベランダは良くいろいろな花が咲いているなぁ。なにがあったんだろう・・・。】

連休

 ゴールデン・ウィークという連休が待ち遠しかった現役会社員時代も後半はほとんど群馬県の山の中に出掛けるのが習慣だった。別にそこに自分の小屋を造ったとかそんなんではなくて、昔の電信柱を使って建っている三角屋根の小屋が数軒、炊事棟、風呂場、トイレが建っているだけの場所があった。勤務していた会社の嘗ての経営者の思い出の場所だった。そこに初めてテントを持ち込んでキャンプをしたのが、まだ下の子が3-4歳の頃だったのではないだろうか。ベンチの上に乗って歌手の真似をしていたのを想い出す。
 なにしろ上の子が4-5歳の頃に砂利道を巧く歩けないのを見てびっくりしてしまったものだから、できるだけ山に連れて行ってやりたいなぁと思ったのだ。5月の連休が皮切りで、夏休み期間には2度ほど。そして締めくくりに秋に、という具合に年間に多ければ5-6回は車にテントを積んでは出掛けるのが習慣だった。
 そのうちにそうした野外生活を楽しむ人たちが増えてきて、気がついたら神奈川県のボーイスカウトと毎年遭遇するようになってしまって、足が遠のいていった。
 5月の連休中に炭の野焼きを試みて降り続く雪の中、火の守り番をして暖を取っていたのは懐かしい想い出だ。子どもたちも成長するにつれて付き合ってくれなくなるのは世の常で、そんな時にふと、なんでここに来るようになったんだっけ、と考え込んだものだ。
 そういえばあれも10年間ほど凝りに凝って通い詰めたけれど、今や全く行かない。私の多くの趣味はおおよそ10年単位でまわっていて、釣りにしても、ゴルフにしてもオーディオにしても今や全くその面影も、残滓もなにもない。

覚悟することが

 自分の力なんていうものは全くなにも持っていなくて、自分から世の中を切り開くなんて企画力もなければ、修羅場をくぐり抜けるなんて度胸もないんだから、誰かが企画、あるいはひょっと思い立ったものに乗っかって、いわれるがままに役割を果たすぐらいしかやりようがないんだから、それで良いじゃんか、というのが基本的コンセプトなのが、私という人生。
 そこに時たま現れてくるのが、それでもまぁ、ちょいと大事にされちゃったりすると嬉しがる、なんていうプライドともいえないような虚栄心なんだろうなぁ。
 そんなあり方というか、思い込みが、本人の気がつかないうちにどこかにむくむくともたげていたらしく、自分がひねり出した考えを完璧に無視されてしまってから私はすっかりこれまで専念してきた世界から撤退を決心した。
 つまりどういうことかというと存在を軽んじられたことに腹が立って撤退を決めた、というくだらない要因なんだけれど、要するに存在が不要になった環境にいまさらながら気がついてそこから身を引く、ということでもあるんだな。
 考えてみたら一度引き受けたことはきちんとやるべきだという信念は間違っていないけれど、他の連中が疑うというスタンスの上に立っていたわけで、単純に信じ込んだ自分が他の連中のスタンスと大きく違っていたということに他ならない。そういえば少しずつずれていたことに気がついてはいたはずで、それをこれまでは、「いやいや、そうはいっても自分を表現するところがあればそれで良いじゃないか」とごまかし続けてきていたということなんだろう。
 芝居の世界でも、音楽の世界でもそうだけれど、概ねこうしたすれ違いが全く正反対の方向になってしまえば離れるしかない。大した才能があるわけでもないから、それで良いんだろう。
 まぁ、有り体にいえば私は自分の考えで、孤独かもしれないけれど、そっちの道をとることにしたということだ。この年齢でこれから必要になるであろうカンパニィーを失うことになるかもしれないけれど、それはそれで仕方のないことだ。