ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

まじかよ

 自民党の総裁にお坊ちゃま君が復帰するとは思いもしなかったけれど、そうしたら次から次にテレビが教えてくれる自民党の党幹部ってのが、いつかどこかで見た奴らばっかりで、ほとんどニュースの画面が逆に回転しているのかと思った、というのは明らかに嘘だけれど、次回の総選挙でひょっとすると政権が敵失のおかげで転がり込んでくるんじゃないかと思っているものだから、何だ、まだこいつらいたのかよ、という顔ばっかりだよ。
 高村にしたって、細田、甘利だなんて自民党の連中も本当に大バカの集まりなんだろうなぁ。彼らは政治家ではなくて、政局屋なんだよね。政局を如何にも大事なことのように取り上げて、これは許せるの許せないのとやっているだけ。
 自分たちがやってきた霞ヶ関におんぶにだっこという施策が何の役にも立っていないばかりか、国民から搾取するシステムの保全しかやっていないということに、早く国民が気がついて、奴らを追放しないと、この国はこのままどんどん崩壊していくだけだ。
 次の選挙で同じ轍を踏むということであるならば、もうこの国はどうなってもしょうがない。国民がそれを選ぶのだから。

学閥

 かつて国外に駐在していた時に、彼の地の小さな日本人社会でも母校のOB、OG会があって、年に一回は集まりがあった。それでなくても駐在員社会というのは何かというと日本人だけが集まって遊んでいた。しかしながらその時期にたまたまその地域に駐在勤務をしていたというだけで、実におざなりな仕事からみの集まりでしかない。そこへ年に一度の同窓会は結構気が楽だった。仕事に関係がない。ところがよく考えてみると仕事に絡んだ人も中にはいたりする可能性はあるけれど。でも不思議なことに仕事がらみの時とは違った気楽さがそこに生まれる。
 そんな年に一度の同窓会にいそいそと出かけていくと、「学閥」で集まるなんてと上司から否定された。「学閥」ってのはその学校の卒業生が力があって初めていわれるのだと思っていたから、ちょっとディフィニッションが違ってんじゃないのかなぁと思ったものだ。何しろわが母校は経済界では全く力がないからだ。
 そんなある日、会社の顧問弁護士が見慣れた青年であることに気がついた。その上司が契約したわけだけれど、彼はその上司の大学の後輩だったのだ。
 「鋭く追求他人の失敗、笑って誤魔化せ自分の失敗」を実践する人にふさわしい選択だった。

フランシス・レイ



 あぁ、40年前の、あの頃が走馬燈のようによみがえってくるぞ・・。「ラジオ深夜便」にやられてもうた。

 私はあの頃、不安もあったけれど、前途洋々としていた。どんなことでも出来るような気がしていた。どんな未来が待っているのだろうかと、ワクワクしていた。金もなかったけれど、未来があることだけは確かだと思っていた。

 なんだかんだと云ってもあの頃が最も幸せだったんだろうなぁ。

都営バス

 先日久しぶりにたった停留所三つ分だけれど、都バスに乗った。この辺の都バスは週末以外は爺さん婆さんばっかりだ。なぜかというとシルバーパスなるものがあって、70歳以上は非課税者だと年間に1000円でフリーパスを入手することが出来るからだ。私だってあと数年でこの特権を手に入れることができると思うと、精進して長生きをしようと思おうってもんだ。このパスは以前は誰でも70歳以上になるとただで手に入った。ところが元不良小説作家が都知事になって以来、金を取るようになった。
 住民税課税対象者はこれにあらずってのは当然だろう。収入がある人はちゃんと払って下さいってなものだ。取りあえずこちらは20,510円で手に入る。
 何でこんな事を知っているかと云ったら、バスの中に大変におしゃべりな婆さんがいて、一人でシルバーシートに座っているのだけれど、隣に座った以前にどこかの病院で逢ったことがあるってだけの婆さんにこんな話をぶちまけているのだ。今は息子と同じマンションに住んでいるけれど、昔は家作があったものだから毎年2万円を払っていたんだと大きな声でしゃべる。どこかの医者の待合室であったことがあり、たまたまバスで隣に偶然座ったどこかの婆さんにこんな話をしている。こうなると、用事なんてどうでも良いからこの婆さんの話を聞き続けていたら、何かこの人からおこぼれがいただけるんじゃないかと思う悪い奴が現れてこないものかと危惧するけれど、それはこんなところで、自分の生活をずらずらと書き続けている奴だって同じだと思う今日この頃だ。
 多分あの婆さんと、私も同じ部類に属していると思うな。
 そうそう、書きたかったのはこれだけじゃなくて、そうして乗っている婆さんたちがふたり席をみんなひとりで独占して座っているということなんだ。多分奥にきちんと座って外側に他の人が座ったら降りにくくなるなぁということを懸念しているんだろうけれど、そんな時は「すみませんね、降ろして下さい」といえばいいと思うんだけれど、それを近頃の年寄りは厭うんだな。横着も甚だしい。そういえばその前に座っている50歳前後とおぼしき親父もそうやって座っている。かくいう私もそれをわざわざ、奥へ詰めろというのが面倒で立ったままで3停留所目で降りた。たったこれだけの間、乗っているだけでこれだけのことを観察するんだから、バスは楽しい。

2012年09月27日のツイート