ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

うざいんだろうなぁ

 私のように日がな一日パソコンの前に座ってやたらと書き込んでいる奴を見ると、繋がっている人はきっと相当にうざいんだろうなぁ。だからといって私が書き込まないとなったら、それはどうだろうか。うざければ繋がらなくなるのがオチって奴だろうなぁ。このブログだって、どんどん見に来て下さる方が減っているし、twitterだって、フォロワーが減っているのは、うざいんだってことも理由のひとつかも知れないものなぁ。
 書く量の割には実になる情報もかなり少ないから、見るだけ無駄だ、ということにもなるんだろうし。
 生産性がないことは本当に申し訳ない。

それをいっちゃおしまい

 ウィーンの国立歌劇場に行くのだけれど、どんな格好をしていって良いか、という質問を4 travelにした人がいた。回答した人のひとりが「バレーもオペラも関係ありません、服装は様々です。参考までに下記のアドレの最初の写真をご覧ください。何を着ていても良いことがお分かりになると思います。 強いて云うならば、日本で着ている通勤用の服装ならば十分ます。」とかいた。
 これをいっちゃおしまいだ。そりゃもちろんどんな格好をしてきたって、そこにいる人はその人に向かって「なんでそんな格好で来たんだ!」なんていうわけがない。心の中で「あぁ、そういう人なんですな」と思うだけだよ。気取っているとか、気取っていないとかの問題じゃない。そこにいる人を不愉快な思いを感じさせるかさせないかという違いだ。例えば飯を食う時に、どんな喰い方をしても、そこにいる人たちは何もいわない。だけれども口角泡を飛ばして大声で喋っていたら、周りの人は愉快に思わないだけだ。ところがこれが中国にいったり、外国でも大きな中華レストランにいったら、全く違っている。わぁわぁと酒を酌み交わして笑い飛ばしながら、蟹の殻を口から飛ばしながら食べなくてはならない。そうしないとうまいと思っていないんだなと思われる。
 つまり、郷に入ったら郷に従え、なのだ。観光客が聴きに行きたいけれど、どうしてもこれしか格好がない、えぇ〜い、ままよ入ってしまえ!と来る人はいるだろう。だからといってそれをそれで良いとしたら、もうぐちゃぐちゃになる。
 だから、楽友協会のヨハンシュトラウス観光客用コンサートは嫌いなのだ。ジーパンだらけで、フラッシュ焚き放題、終いにはビデオを回し、ラデツキーになったら辺り構わず手拍子だ。あんなのはコンサートじゃない。テレビの悪ふざけ番組の公開収録みたいなものだ。
 「関係ない」なんていっちゃったら、それでおしまい。

戦後の日本はもうやめよう

 広島と長崎に原爆を米国が落として、あれがなかったら戦争を終わらせるということを日本がやれなかっただろうだなんてことをいわれるのは全く悲しく情けない。「そんなこと、ないよ!」と啖呵が切れないのがなんともである。多分、あの時点ではあの原爆がなかったら、日本人は誰も「もうこんな戦争はやめましょうよ」と決断することが出来なかっただろうなぁと思わざるを得ないからだ。
 「進め一億火の玉だ」ったし、子どもたちに爆薬を抱えさせて道路の蛸壺に潜ませる訓練をし、竹槍で突く練習を割烹着の女子に訓練していたんだから。「神の風」が吹いて必ずや逆転だと語っていたのだ。
 その原爆でさんざんなまでに放射能被爆してしまった広島、長崎でデーターを集めていたのが日本人の医師たちで、被爆者はアメリカにまで連れて行かれてデーターを収集されていたにも拘わらず、戦後の日本政府はそうしたデーターをとられっぱなしでそれをフィード・バックすることすら米国から許されなかった。自国民の被害を自国民が調査していながらなのだから、実に忸怩たる想いがつきない。
 それでももうあれから67年目に突入しているのに、あの原爆被害からなにも学んでいない政府、国民というものは一体全体、何をしてきたのだろうか。確かに原爆被害について研究するというと、何かしら後ろ向きで、否定的なニュアンスが漂っていたのは事実だろう。それよりも「核の平和利用」というキャッチフレーズを得ていた原子力発電システムの研究にいそしんでいた方が金にもなるし、何しろ近代的な、日の当たる場所であったことは間違いがない。
 しかし、本来的にはそれらは表裏一体になっていなくてはならなかったはずだった。なんでもそうだけれど、新技術、新製品の開発に当たっては、必ずそのウラを検証しなくてはならない。だから、遺伝子組み換え食品は突き進んではならないはずだ。簡単なところからいえば、グラスファイバーの開発は軽くて耐久性抜群の夢の素材だったけれど、じゃ、廃棄する時にどうやったら廃棄できるのかという大きな問題がある。なにしろ「造る」ということには人の目は向くけれど、「捨てる」という段階について誰も考えようとはしない。もちろん原発についても一番の重要事項であるにも拘わらず、廃棄処理という点では文字通り致命的だ。
 だから、本来的には原発システムの拡大については常にウラにある、もしもの時の問題点を語らなくてはならない。それをこの「被爆国」は目をつぶってきた。
 今こそ目を見開くチャンスであって、この機会を失うと、われわれ自堕落でいい加減な日本民族はまた目をつぶり続け、被爆被害者に思いが至らずに「経済性」なんてことで糊塗しようとする。あなた!あなたが被爆者だ!

台風は

 夕飯を食べてしばらく経ってらまた眠くなって、21時頃から23時半頃まで寝てしまった。目が醒めるともう雨はやんでいて、風が窓を揺らすくらいだった。
 朝は台風一過で、もういうことのない天気だったので、そのままウォーキングに行ってきた。朝早く外に出るっていうのは随分気持ちがよいものだ。

住友化学-モンサント

 2012年9月19日、フランス政府は、同国内のカーン大学におけるラットの実験により、モンサント社製の遺伝子組み換えトウモロコシ「NK603」系統に、発がん性物質が含まれている可能性が示されたと発表。食品環境労働衛生安全庁(ANSES)に調査を要請した。(岩上安身のIWJ特報2012年9月30日)

 これは非常に重大な問題なのだ。今、遺伝子組み換え食品は全く野放図になっているのがこの国の現状だ。しかも、この種のニュースをこの国のマスコミは全く報道していないのが現状。住友化学といったら日本経団連の米倉会長の会社だ。このつながりを見れば何故日本のマスコミがなにも語らないのかの図式はわかりやすい。
 しかし、原発もそうだけれど、この国の国民は「金儲け」が優先されて軽んじられていることが明確だ。

なにが問題か

 生活保護を受けている人よりも少ない収入で賄っている人がいるのに、生活保護でのうのうと遊んで暮らしている人がいるという議論。日本人国民が頑張って働いて暮らしているのに、他国籍の人間が生活保護を受けているのはどうしてなんだという議論。
 本末が転倒しているという他はないのだけれど、感情だけに訴えるという作戦を実行するのだとしたら、この種の議論は大いに受ける。だから、選挙が近くなるとこうしたことを取り上げる風潮が増える。
 しかし、根本的な問題である、最低賃金生活保護を下回る水準にあることを議論することはないし、そんな状況に日本の労働者を陥れている労働者派遣法を改悪して、利益追求集団に資するために日本の国民を売り渡す政策をそのまま執っていることを議論しないのは全く間違っている。
 人間が困窮しているところを救うという公的な手段を執ることが間違っているんだという議論は人権的に明らかに間違っている。
 本来的に問題とするべきなのは、そうした生活保護システムを逆手にとってずるを決め込んでいる奴を追求しないマスコミ、厚労省政策にある。はっきり言って反社会的存在と表現する連中が自治体の福祉課を脅かしている事実をなぜ摘発しないのか。生活保護を受けている人たちを利用して貧困ビジネス、街金をやっている連中を摘発するシステムを立案することが政治じゃないのだろうか。

開発したいな

 わが家で私が炊事を担当すると作るものは決まっていて、餃子か、シウマイか、カレーか、チャーハンか、こうやって並べてみると子どもが好きなメニューばかりじゃないか。例えば魚を焼いて、他に様々な皿を準備するという、家庭の主婦が造るようなメニューをこなすような、ちゃんとした炊事担当というにはほど遠い。
 どうしてなのかといったら、それは発想力がないからに相違ない。これはある意味、訓練不足だということもあるだろう。だから、退職してから料理教室に通う男性がいるというのは意味があって、それは理解できる。考えた方が良いかもしれない。
 今日は数少ないレパートリーの中からまたカレー。もちろん市販のルーだけれど、玉葱一個半のみじん切りを丹念に炒めたから、味に深みが出たし、スパイスセットを足したし、おまけに噂に聞いていたソース焼きそばの粉ソースを足したから、辛みも増した。

2012年09月30日のツイート