ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

喋る相手

 日本橋のプラットフォームで銀座線を待っていたらそこにふらっとやってきたおじさんが「銀座線にはお古いですか?」と聞く。古いといったら古いかなぁ。多分昭和53年くらいから日常的に乗っていたかなぁ。「はい」といったら上野から田原町までどれくらいあるかというのだけれど、距離は知らないが歩いたら25分くらいだといった。銀座から田原町まで一時間半で歩けますよというと、「そりゃぁ、ちょっとねぇ」と。
 そこからは喋る、喋る。このおじさんは昭和12年生まれ。岡山市の中心の出身で、奥さんも同じく岡山の出身。大手町で仕事をしていたというのだけれど、かつては上大岡の借り上げ社宅に済んでいて、大家さんが買い取らないかという話もあったのだけれど、奥さんがそんな猫の額みたいなところは要らないと断っちまって結局取手に暮らしている。岡山の家は今は駐車場にしているんだけれど、できれば岡山に暮らしたいんだけれど、奥さんも、近所に暮らしている娘二人も大反対。一人で岡山でくらそうかと思うくらい。その土地はバブルの時には1億5千万円で買いたいという奴がいたんだけれどねぇ、っと。(見ず知らずの私にこんな事まで話しちゃって良いのか?)。75歳にしちゃお元気ですねぇ、というと、「家にいたら喧嘩するからね」と。
 一番人生楽しい世代ですねぇ、羨ましいですよ、とお伝えすると、どこが?と仰る。高度成長、バブル、年金完全受領と並べたら、なるほどそりゃそうですなぁと。時間が夕方だったら、その辺で一杯どうです?とお誘いしてあげたいくらい。喋る相手が欲しいんだろうなぁ。Facebookを書いたら良いんじゃないのかなぁ。

京橋 京すし

 京橋は大規模開発大流行になってしまっていて、千代田生命跡地の森ビルが建てているビル鉄骨がいよいよ立ち上がってきたら、今度は明治屋ブロックが今年には着工になるんだそうで、京すしは今月いっぱいで店じまいすることになっている。営業日はあと4日。
 11時半に店に飛び込んだら、あとからどっと人が入ってきて、あっという間にいっぱいになっちゃった。慌てて30分で出てきたら外に並んでいる人までいた。みんなここの鮨の味を脳裏にたたき込んでおこうという訳か。
 隣に座った女性は最後だからと握り、丼、チラシと全部食べているといっていた。「本当だったら毎日来たいけれどねぇ」と。

政府専用機

 日揮アルジェリア事件の犠牲者と生還者は政府専用機に乗って羽田に帰ってくる。一緒の飛行機に乗って帰ってくるのは生還者にとっては辛いものがあるだろうなぁ。取材の嵐に見舞われるのだろうか。それともそのまま社が用意した車かなんかで自宅に一直線に帰るのだろうか。
 これで日揮は政府に頭が上がらなくなったのだろうなぁ。もう安倍自公連立内閣にひたすら感謝だろうか。それとも政府専用機でかかった費用というのは日本国政府から請求されるんだろうか。これだけのフライトを一社で準備するのは相当大変だ。こんな事をいうのはなんだけれど、日揮は自社の営業活動の一環としてこの仕事を受注して現地で建設工事をやってきたはずだ。国策として国の方針に則って国の威信を賭けて受注したのかといったらそんなことはないだろう。
 これで儲けることを目的にこの仕事をとったはずだ。名誉の戦死だというわけではないだろう。どうもそういう取り上げ方の風潮があって違和感がある。
 NPOの活動をしている人と利益追求企業の従業員として就業している人の命に大事さの違いがあるわけないじゃないか。

 政府要人お出迎えだったそうだ。

死を悼む

 人が亡くなると、アァ惜しい人を亡くしたとか、いい人だったとか、世話になったとか、その人の死を悼むものだ。全くあいつにはえらい目にあったよとか、アァこれでせーせーしたとか、いっちめぇやがったざまぁみろだとかいう人にはあったことはない。
 落語の「らくだ」だと周りの人間はひとりとしてらくだが死んだことを悼む人はいない。クズ屋のおやじを使って大家に煮染めと香典を貰ってこいというらくだの兄貴分にしたって別にらくだの死を悼んでいる訳じゃない。これをチャンスにおいしい目にあおうと思っているわけだ。あの噺のかったるいのは死人を使ってそういうことをするからなんだろう。
 そういえば「黄金餅」で死んだ西念を麻布絶口釜無村の木蓮寺まで運んで焼き場切手を手に入れて、桐ヶ谷で焼いてもらって、西念が餅にくるんでで飲み込んだ銭をを取り出すなんて不気味な噺もある。下谷山崎町から通った街の名前をずらずらと並べるところが自慢げだった志ん生の声を思い出すくらいだ。あれだって悼んじゃないな。
 昔から私は何か一丁ことがあると、アァ死んでしまいたいと思っていた。例えば親にこっぴどく怒られた時とか、どうしても終わらせておかないと面倒なことになることが終わらない時とか、アァ、死んじまいたいと思った。死んじまえばみんなが「アァ、こんなことならあいつにあんなことを言うんじゃなかった」と涙を流してもらえるんだろうと無条件に思っていた節がある。全くの話なんもわかっていないぼんぼんそのものである。人生を舐めている。もちろん皆さんはそんな話を聞いたら「え?」といって下さるに決まっている。突然人が死んだと聞いたら何でだろうと思うのは人として当たり前だから。
 しかし、それと人が必ずしも悼むかどうかは別だね。すぐに忘却の彼方にあえなく消えにけり、であることは想像に難くない。忙しい世の中なんだから。

合意

 東京電力は24日、福島第一原発で増え続けている放射性物質を含んだ汚染水について、処理装置で放射性物質を除去した後に海に放出する方針を明らかにした。廃炉計画が妥当かを議論する原子力規制委員会検討会で説明した。地元の反発も予想され実現は不透明だ。東電は「法令で定められている濃度未満に処理し、関係者の合意を得ながら行う」と説明。これまでは「関係省庁の了解がなければ行わない」としていた。(共同通信 2013年1月24日 21時24分)

 マスコミが報じる時に必要なのは、「法令で定められている濃度」とは一体どれほどのもので、今現在東京電力が実現することができる濃度がどれほどのもので、合意を得るつもりだという関係者というのは一体誰なのか、ということである。
 このまんまじゃなんの意味もないではないか。本当に君たちは東電の掲示板なのか。

2013年01月24日のツイート