ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

久しぶり

 今日みたいに暑い日にカルチャーセンターの唄のクラスにやってくる人は激減するんじゃないかと思っていったのに、みなさん、しっかりとこられて総員で25人にもなっていた。しかも、今日の順番では私は一番最後で、終わったときには予定を10分過ぎておった。
 随分聞き慣れている曲なのに、歌詞を見てびっくり。すっかり「pony」だとばかり思っていたのは実は「phony」で「にせの, まがいの, 詐欺の」というような意味だって。なんだ、そういうことだったのか。
 紀伊国屋にいって雑誌をちょこちょこと買ったんだけれど、地下道を歩いて行ったのにみずほ銀行に上がる階段が見つからない。おかしいなと思って地上に出てびっくりした。解体していて建て直している。あの銀行はどこもかしこも建て直しているけれど、大丈夫なのかね?

考える人 2013年 08月号 [雑誌]

考える人 2013年 08月号 [雑誌]

 「数学」って書いてあるだけで開く気がないのだけれど、一応流れで購入。
 執筆者のお一人がこんな事を書いている。→ こちら

世界 2013年 08月号 [雑誌]

世界 2013年 08月号 [雑誌]

 ここでは6月号、7月号も並べてある。

哀愁のグループサウンズ大全集

哀愁のグループサウンズ大全集

友達に頼まれてバンドの曲確認の為に山野楽器にいって歌集を購入。ひところGSの唄本は全部絶版になっていたのに、これを含めて二点あった。こっちの方が収録バンドがコア。
 今度「サハリンの灯は今なお消えず」をやる。

伊勢丹メンズでバーゲンをやっていないかと見に行ったけれど、やってない。来週の水曜日かららしい。

お人好し

 昔、いつかっていうと、私がまだ小学生の頃、日曜日の夜のラジオの人気番組は「お父さんはお人好し」というもので、お父さんが花菱アチャコ、お母さんが浪速千栄子だった。中身はなんにも覚えちゃいないけれど、関西弁のドラマだった。
 日本の一般的な国民(特殊な国民というのはそんなにたくさんはいないはずだけれど)はそれはそれはもう比較する対象がないくらいの「お人好し」でどんなことをされても、お上が「こうなんですよ、怖いですよね、そんなことをされて黙っていて良いんでしょうか、今こそ立ち上がってやっつけましょう!」というと直ぐさま「そりゃ大変だ、なんせあの人に危害があってはならない!さぁ、立ち上がってあいつらをやっつけろ!」とその気になって行くってことになっている。
 そのお上がいっていることの根拠がどこまで本当で、どこからが嘘で、いっていることで儲かる人は誰で、自分はどんなことになるのか、どうも疑うってことを知らない。ずっとそうだったのかというと、昔は中国と同じように、権力を握りたい連中の争いを「危ない、危ない」といいながらあっちに逃げたり、こっちに逃げたりしていたのに、どうも国民皆兵なんて事をいいだしてから、こっち、その辺が怪しい。
 つまり150年くらいの間がこうなっている。で、民主主義とか、国民主権なんてものを貰ってからまだ70年にもなっちゃいないんだから、まだまだ「お人好し」で、「いいですか!」が得意な舌っ足らずに簡単に騙される。
 どうも、なんも考えちゃいないらしい。放射能まき散らされたって、なんにも疑っちゃいない。「お人好し」なんじゃなくて、「考える」っていう習慣がないのかも知れない。それは教育の問題でもあって、考えなくても良いシステムを150年間ずっとやってきて、ようやく浸透してきているのかも知れない。

フラッシュ禁止

 多くの美術館、博物館では撮影するのはかまわない、あるいは撮影料を支払えばかまわない、しかし、フラッシュは禁止だというのが殆どではないかと思う。ま、日本のこういう施設では殆どの場合禁止されている。それは歩行者の行動の妨げになるからだという説明がされる場合が多い。じゃ、撮影が許されている施設でもフラッシュが禁止されている理由はなんだろうか。作品に悪い影響を与えるからだという説明が良くされる。なんだか納得できる理由のような気がするけれど、実際にはフラッシュを焚かれるとちらちらして他の来館者の鑑賞に相当に影響があるからだろう。あれは他の人間にとってはいらいらする。
 作品に大きなダメージがあるのだとしたら、美術館でのイベント取材に当たってあんなに取材陣を集めておいて写真を撮らせるというのはやっちゃいけないことだろうし、メンテナンスにあたって光を当てて作業するということがあってはならないはずだけれど、実際のメンテナンスでは使われている。
 ところが今のカメラの中にはautoに設定されていると、暗いなと感知すると自動的にフラッシュを焚いてしまうものがある。シーンポジションを「暗い室内」なんかの設定にしたら即フラッシュする。強制発光禁止ポジションにしておかないと発光する。そんなことまで意識している人はこういうカメラを持たない。つまりこういうカメラを選択する人は悪気がなくてもそういう事態に陥ってしまう。
 私はこれはカメラメーカーの側にも問題があると思う。これにスマートフォン(どこがスマートなのか、良くわからん)がここまで普及したことによってもうどうしようもなくなった。だからこそ人間性が意味を持ってくる。こんな事をしたら周りの人がどう思うか、という心配りができる様な文化を育てられているか、いないかということになる。
 周囲への心配り、という観点で見るとまだまだだという文化が他に波及してくると、ぶつかることはいくらでも起きる。今欧州のこの種の施設は東アジアからの団体客のフラッシュ攻撃に見舞われている。
 それにしても英国ロンドンのNational Galleryはなんで撮影禁止なんだろうか。大英博物館は全く規制がないというのに。

ええ格好しい

 そういう言葉がある。多分元はといえば関西のもの良いだろう。関東でいえば「かっこつけ」だろうか。「あの野郎、かっこつけやがって」なんぞと表現。
 私もそんな下衆(げす)な輩の一人だから、外に出て行って、知らない土地でも、知った振りを平気でするし、分からなくても分かった振りをしたりして、後始末に往生したりするんだけれど、自分が苦労する分にはそれでもかまやしない。自分で自分の後始末をするんだから。
 それが自分なりの美学だと思ったりしている。しかし、それは現実的ではない。効率的でなんか全くない。こういう考えの人間と、非常に地に足がついて地道に行こうとする人間との間には「絶対的な価値観の相違」というものが厳然と存在するので、わかり合おうとしてもおいそれとはわかり合えるものではない。
 一方はどんなに損をしても良いと思っているわけだし、もう一方は目に見えるほどに明らかならば損をしない方を選択する。一方は今現在のことしか考えていないけれど、もう一方はこのままいったらこの先はこうなるはずだから、いささかでもそうならない方向へ行こうとする。
 これは永久に平行線で、その「ええ格好しい」を世の中ではキリギリスと呼び、もう一方をアリと呼ぶのである。

2013年07月09日のツイート