ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

リコール

運転座席の位置を前後に調整するスライドのばねが強度不足で破損し、走行中に座席が動く恐れがある。2014年2月までに333件のトラブルが起きたが、事故の報告はない。

 車ってのは大きな固まりが人間の動きを遙かに超える速度で移動する物体なので、こんな事で座席が急に動いて、足がブレーキペダルに届かずにあらぬ方向に突っ走ったらどんな大事故を引き起こすかわからないから、製造禁止にしたらいいという意見は決してマスコミが持つとは思えない。

目立ちたがり

 生来の目立ちたがりのくせに、直ぐさまそれに気がついて自己嫌悪に落ち込むので、やっかいな「自分の場における適否について」という論文を書こうと思うけれど、その根拠についての検証方法が見あたらない。これが見あたらないと、一時期的に論文査読を通過したとしても後でそこを突かれて記者会見をやらなくてはならないことになると面倒だからやめておこう、なんというくだらないことを、あちこちのチャンネルがライブ中継していた記者会見を見て思ったのである。
 「目立ちたがる」という自分の性格を考えてみるとこれほど他人から理解されがたい性格もないかも知れないが、ひょっとするとこれは性格というよりも、性癖、いや性癖というよりも病気なのかも知れない。自分で押さえようとしてもなかなか押さえがたく、つい、ついそうなってしまうという現象は今では「病的症状」としてラベリングしてしまえばそれで良いのではないかという気にならないとも限らない。
 こういう性癖の持ち主は人前に出る職業が向いていると即断されやすいのかも知れないけれど、これが意外なことにそうとばかりは言い切れない。それはやっぱりその後に多分やってくるであろう「こんな事をやってしまった!」とか「俺は巧くできない」、「受けなかった」、という「自己嫌悪」と「劣等感」にある。これはちょっとやそっとではどうにもならない。芸能人やミュージッシャンにドラッグに溺れるケースが目立つのはそれが理由かも知れない。できなければできないで良いじゃないか、というのは自分の才能がすべてだと思っている人間には理解ができないのだ。
 その代わりとして自分を認識してくれない、つまりある種の才能の持ち主として特別視してくれない人を遠ざける、ということになるのではないだろうか。つまり、自分を普通の友人の一人としてではなくて、一段上の人間として認識する人間を大事にするということではあるけれど、スポンサーとしての人間として認識したくなってくる。
 友達のパーティーに行くのも、自分のスポンサーを見つけに行くことになるのかも知れない。
 人混みに行って「どうして俺だって気がつかないんだろう」という芸能人もいるし、マスクをして知らん顔して歩く芸能人もいるんだけれどね。

ロックに世界を読む

 これもまた、季刊雑誌で、ロッキング・オンというロックの雑誌を出しているロック評論家の渋谷陽一が作っている、いわばオピニオン誌、である。
 今時まともに自民・公明連立政権を敵に回して正しく批判をしているオピニオン誌はそれほどない。あまた書店の店頭で見るものはやたらと右傾化している雑誌ばかりである。もちろんそんなものは出版社を見れば一目瞭然なんだけれど、この雑誌はまさにまともなことをまともに真っ正面から斬りつけておって、渋谷陽一の面目躍如なるところが遺憾なく発揮されている雑誌というべきだろう。
 こうした雑誌がまともな評価を受けるような出版界、あるいはマスコミ業界であって欲しいと希うけれど、とかく、いわゆる大手マスコミ、大手出版社は簡単に政権に懐柔されてしまうので、もうしょうがないのだろう。
 「SIGHT 2014 Spring号」の表紙には「原発、秘密保護法、靖国参拝に反対する私たちは少数派だとは思えない」と書いてある。

同級生

 実は昨日の宴会で、とても久しぶりにあった高校の同級生と隣り合わせになった。私の高校は東京23区の城南地区にあって、当時は都立の学校とはいっても結構区域外から越境している連中がいたのだけれど、彼も私もそうした神奈川県からの越境生徒の一人だった。しかし、一年間だけ同じクラスだったくらいで、殆ど大したお互いの記憶もないままに過ごした。
 大学にいってみたら、(私は浪人したものだから)彼が先に大学に入っていた。つまり、大学では彼が一年先輩になった。彼のサークルがうちのサークルの隣の小屋で、その部屋にいってみたら、当時そんなに学生が持っていないようなオープンリールのテープレコーダーがあって、彼は音を繰り返しては採譜をしていた。私は都立高校の入学試験で音楽の点数が悪くて痛い目にあっていたくらいだから、その彼の作業を見て驚いてしまった。
 昨日話を聞いたら、彼は中学生の頃からスチールギターを触っていたくらいで、当時にしたらかなり早熟な音楽少年だったわけだ。当時はもちろんGSやらヴェンチャーズやら、その上The Beatlesだったわけで、私は即その流行に犯されて軟派な不良が定番としてこなす、「IVY」「エレキ」の世界になってしまった。
 彼がいうには、あのバンドが良くあの短期間であのメンバーであんな演奏ができる様になったものだと思ったというのだ。「早く云ってよぉ〜」そうしたら今頃、GSのなれの果てのボロボロな爺になっていただろうというのに。
 彼が確かに同じ高校の同級生だと確認ができるのは、共通の話題としての古文の嫌みな教師のことと、当時の同級生の女学生の名前だった。なんと彼は学生服とセーラー服で銀座でデートしたというのだから、驚いた。

個展

 岡田親画伯の個展が始まった。絵を写真にしてお見せしたいところなれど、当然著作権を侵害してしまうことになるのでそれはちとできかねる。
 昨日は初日ということがあって顔見知りの皆さんが次から次にお越しになり、次から次に大振りな(うちのみたいなお為ごかしじゃない)、あたかも選挙に当選したかの如き胡蝶蘭なんぞが届いて華やかなことこの上ない。しかし、人ごとながら、あの手のお花へのお返しは相当大変だろうなぁと思う。
 平日にもかかわらず、この辺の路地は多くの人がひきも切らず通りかかり、仕事の人たちなのかと思ったら、中にはどう見ても遊びで通りかかったかとしか思えない外国人なんぞも混じっていて、やっぱりすごいんだなぁと思わず見とれる。
 桜もとうとうさすがに都心では終わりを告げていて、この木はさぞかし満開の節は綺麗だったんだろうなぁと想像する。ところがその割にぽかぽか暖かいというにはちょっと無理がありそうだったりする。

宴会

 昨日は表参道で宴会。と、きくと、こりゃお洒落じゃないの!
 左様、滅多にないお洒落さ。なんせ表参道って駅は電車を乗り換えることにしか用事がない。降りて裏道に入ったら、いうことが「ここって昔は普通の家だったよなぁ・・」なんて言葉ばかり。裏の裏までとことん建て直されちゃって、終いには知らない道までできていて、もうすっかり浦島太郎。しかし、世の中、こんなにお洒落な、マァ、有り体にいえばお高いものばかりのお店ばかりでなり立っているということはどうやらおよびじゃない!ってことだ。宴会はけたら、いそいそと地下鉄に乗って戻るって訳なり。
 頭つんつんの男の子とすれ違ったら「おい、あれは機雷か?」って、今の若者は機雷なんてしらねぇっての。
 洒落た薄手の派手な色のスプリング・コートを着たおっさんは、よく見るとやっぱり短めの顎髭なんぞを生やしておられるわけだ。イヤ、すごいすごいなぁ。通り過ぎる人にレンズを向けたくなるけれど、今時そんなことをしたら訴えられる。
 毎回この宴会では振り回し役をやったりするんだけれど、今日はプロのアナウンサーはいるし、あんまり良い顔をしない先輩なんかもいるので、出過ぎたマネをしたくないと思っていたのに、なぜか皆さん、表に出ず(ひょっとするとこういう時は一番の下っ端が走り回るべきだという解釈なのかも知れないが)、いったり来たりしながら、最後にとうとうまた歌ってしまった。もちろん本当はじっくりと歌いたいんだけれど、そんなことは多分死ぬまで叶えられないことなんだろう。そりゃしょうがない。

2014年04月08日のツイート