フラバってるどこじゃないか

白血病キャリアのうちの猫が、また具合悪そうにしている。
具合の悪い人間を働かせるのは簡単だ。より弱いもの、より具合の悪いものと一緒にすれば、相対比較でまだ具合のいい方が動く。
明日は自分が膠原病内科に行く前に猫を動物病院に連れて行かなければ。
…なんで猫くらいは難がないのを選ぼうとしなかったのかねオレ。嗜癖っぽいなぁ。


それにしても、オレも万年微熱のステージが上がり肝機能検査は数値がよろしくないままであるのだが、肝機能数値が悪いおかげで使われたくないステロイドは使えないという状態なのだが、いまだ悪い理由や部位がはっきりしないのであった。
こういうわけのわからない曖昧な不調、如何にも膠原病とか自己免疫疾患とからしいよな。
多分、一週間もひたすら寝ていれば数値は落ち着くんじゃないかと思うのだが。過労については医師にも指摘されているし自覚はある。
ネットやってる場合じゃねぇなぁ。いやだからここんところあちこち落ち気味だったりしたんだけど。黙ったままでも身のうちに澱が溜まるしなぁ。
このところの倦怠感はきつい。実家滞在中、仕事その他に母を送り出してから迎えるまで、所用を済ませるとひたすら寝てしまう自分に危機を感じた。


しかし、今はとにかく金が欲しいので勤勉なサラリーマンソープ嬢の自分の脳内にこだましているのはこんな言葉である。
「どうせ壊すならもう入院レベルまでいっとけ。日当(入院保障)いいぞ」
ああ、オレの人間性も結構な度合いで破壊されてんなぁ。
今日も、自己防衛の甘さもあっておまんこ負傷した同僚さんに、あんまり親切にできなかった自分がいた。ああ、オレの中で「病人の傲慢」が始まってるから気をつけないと駄目だこりゃ。


しかし、しかしだ。負傷したのは自己防衛が甘かったにしても同情したいところだが、にも関わらず店にひとたび出勤しちゃったら、店は当然仕事ができるもんだと見なすんだよ。そして同じ立場の同僚であるオレ等にどれだけ苦痛を訴えられても、そこんとこはどうにもしてやれないのよ。
出勤してから具合が悪くなったとか負傷その他アクシデントが起きたっていうのはしょうがないけど、昨日から負傷してたんならそりゃ、そも店に来ちゃいかんかったね。本人にもこれは言ったけど。
そして、仕事まともにできそうにないから帰りたいときは「帰っていいですか?」じゃなくて「帰ります」と断言だ。せめて「これだとまったく仕事になりません」は言わないとな。


このところよく「休もうとして電話を入れたけど、店にどうしても来なさいって言われたから…」と、不調を訴えながら出勤している女子の話を聞くのは、ちょっと気になっている。
店も問題だけど、欠勤ってのはここ一番カードなんだよ。安易にこのカード切りまくっていても店のお願いあんまり聞き過ぎていても、休みたい時に休めなくなる。なのに仕事が回って来なくなる。この仕事に限らないけどさ。
オレとて指名たくさん取ってる部類じゃないけど、どうにも働けないやこれ、と思ったら店にはせめて「今日はお休みでお願いします」ときっぱり言う。そしてなじられても怒鳴られても休む。よもやそれで5本も6本も指名が吹っ飛ぶ訳じゃなし。だけど、仕事できる余地がちょっとでもあったらもはや、このカードは絶対に発動しない。だって、基本的に欲しいんだもん。より多くの金が。


そしてそういう、なんとなく「店に無理矢理出勤させられてる私って可哀想」な雰囲気を演出している感じを受けてしまう女子を見ていると、近年ますます、店で自分の体調不良は口にしたくなくなって来た。うわこれもまた嫌な病人プライドだ(苦笑)
されど、暇なシーズンには特にその傾向が強くなるんだけど、みんなで「具合が悪い合戦」やっちゃうんだよな。それやってても客つかない、稼げない。だから参加しない。どうせ怠いのは変わらないし。ここには書くけど(笑)
苦痛って、他人と自分のを比較してランク付けできないものだってのは分かってるつもりなんだけど。こっちもあんまり余裕がないんだよね。いかんな。


されど確実に、ここんところ毎日待機中に落ちるように眠っている自分。
どうしたもんだろうか、これ。

できるだけ端的に言ってみようとしたが、無理

具合の悪い猫を撫でてやったり手ずからフードやってみたりして付き添いつつ、いや降参とか言われてもなぁ、と困り果ててみたりする。


いやまぁ、フラッシュバックは起きたようん。で、そのあとまた否応なくその後に続くあれこれの相手からのあれこれの侵入についても思い返させられて、閉口もしたよ、うん。毎度お約束の流れなんだけど。
だけど、別に降参して欲しい訳じゃなくて、だからなぁ。


オレはまったくオレの意志と関係ないところで、所謂「処女」っていうものではなくなった。だから、まずそこいらへんは触られたくはない。それはオレにとっては加害された経験でしかないし。
知らなかったのはしょうがないとしてもなぁ、なんつうか。いや、こっちも知らなかったのはしょうがないとするから、そちらも怒られるのはしょうがないとして、ちょいと謝罪くらいはしてくれると有り難かったのかもなぁ。降参はただの力関係の話だから、まったく見当が違うしな。


風俗雑誌のアンケートみたいに、上っ面で接する事ができる限りは「お約束」を喋る商品としてのオレを名指した訳じゃないだろうしなぁ…。いや、そりゃ想定されちゃっても、オレここでは仕事はしてないから無理だよね。
仕事してたって、いよいよ無神経にトラウマ踏まれたら黙って笑ってる義務はなし。


そして、多分オレに被害経験があってもなくても、オレという個別の存在について顔も合わせた事がない人様から、過去のオレがどの時点で処女であったかそうでなかったかを云々されるのは、ただひたすらに気持ちが悪い、と。うん、気持ち悪かったんだな、そうだ。
腑に落ちたよ。このざわざわ感。
うあー、気持ち悪い。いや、もう「気持ち悪かった」、にしときたいもんだ。


気持ち悪かったらやっぱり、気持ち悪いって口にしないといつまでもその感覚がまつわりついててたまらないからねぇ。
(ああ、id:duchesneaさんの「気持ち悪い話を消費したい」って話、こういう「外に出して振り払ってしまいたい」ってのもあるんでしょうか。オレも今猛烈にそんな気分です)


世間的にはこういうの、「お前売女なんだからそれくらい覚悟しとけよ!」ってやつだな。オレは最初から最後まで覚悟しません。

初体験はいつ、誰と? ってやつね

ようやく最近このへんからはフラッシュバックもまばらにしか起きなくなって久しいけど、短期間作用の安定剤服用で乗り越えられたりするけど、この手の質問にはやっぱり強烈な苦さは感じるわな。
ああ、本当にお前等男って、どうしようもなくおめでたいよねぇ、みたいな。
*1


破瓜ってやつなら、強姦によるよ。11才の時にね。
客にもあんまりうっとおしいのには、かえってこの口にすると否応なく気まずい空気を連れて来る本当の話をしたな、まだ片手におさまるくらいの回数で済んでるはずだけど。

あの当時のオレにとってのダメージは、もちろんその行為の意味を知らないうちに勝手にそういうフィールドに巻き込まれたっていうのもあるけど、それだけはかろうじて当時理解できたけど、「オレを他者は女と見なす」という事への恐怖と失望も相当なもんだったよな。
そこから間もなく初経も来て、あの1981年の秋から冬はよく生き延びる事ができたもんだよな自分。
戦慄する、なんていう程度のレベルで思い返せるようになるまでに四半世紀が必要だった。


戦慄するって状態ですら、ものすごい全身不快感をともなうんだよな。これ以上のレベルでフラッシュバックが起きると、解離ちゃんがやって来るんだぜ。
オレの解離ちゃんは恐怖じゃなくて、怒り。子供の怒りの感情が再現されるんだから、すさまじいよなかなか。
今でもまばらには来るフラッシュバックの症状は、首から背中全体に強烈な悪寒が走って、手が震えて胸がむかついてつっかえる。その他全身とにかく違和感。あとで、いつもならほとんど凝らない肩がばつんばつんに。今まさにおいでなすってる。


一瞬の沈黙のあとにフラバを起こさせてくれた相手には、そりゃもう強烈に理路整然とした糾弾の台詞を脳内のジェネレーターさんが生成してくれます。

*1:追記・性被害経験がある女子にも解離によるのかその他の理由か大変に不用意な事を言うのはいるし、男性でも被害経験があったりそうでなくてもナイーヴな人は、男性ゆえに、より不用意かつ下世話な第三者からの侵入を受けていてとてもしんどいようだ

オレが死なれた事にしか怒らなかった相手

息子のとーちゃんは、アシュケナジーとボリクァの間に生まれた(彼のじいちゃんはユダヤ教を捨てたそうな)母親を持つ、半分は日本人のオネエであった。
かつてオレの振る舞いが行儀の悪い粗雑な男子のそれのようだと「お里が知れるわよ!」と一喝してくれた、母のような、慈悲と根気に満ちて若すぎる嫁を迎えた姑のような彼だけがいまのところオレが腹を立てずに済んだ男であるのは、なんというか。*1
粗野な振る舞いだけが男性の記号ではない、とオネエに教えられたというのはなんつうか、だけど。もっとも、彼がオネエになるのはごく私的な空間に限られてたっけな。


彼は性自認は男のままで「母親」というものになりたがっていたが、オレが生んでない彼の息子やオレを見るに、彼は自分の望みをかなえていたのだろう。
オレは彼の子供でいたかった。ずっとそのようでいたかった。息子でも娘でもどっちでもいいから。
1982年から1992年までの10年間は、オレはずっと彼によって救われていた。
初夏から夏は、彼と港湾の堤防で釣り糸を垂れていたときの事をよく思い出す。高橋幸宏の鶴亀フィッシングクラブに対抗してオレ等の釣り同好会の名前を何にするかなどとも話していたもんだ。


もはや、彼の慈しみの深さと同程度かそれ以上であったような悲しみの深さやその中身のあれこれは、彼がいなくなってしまっているからかつてのオレが知り得た以上には分からない。
が、オレの親業の手本はいつでも彼が一番だ。悲しみを知らない人間はいなかろうが、悲しみを良く憶えているものはそう悪い親にはならないのかも知れない。あくまで「憶えている」(今生々しく手元にあるものではない)ってのがどうも重要っぽいが。


もはや発作レベルの怒りを鎮めるにも、彼といた港湾の早朝を思い出すのは少し手助けになる。
この頃、オレはなぜか高橋幸宏の歌を聴くとよく彼の事を思い出したり考えているのだが、生前の彼は高橋幸宏加藤和彦を聴いているオレを「ああまたそんな、どのアルバム聴いてもおんなじもん聴いてるわこの人って!」となじりつつ、やはり様式美のP-FUNKを聴いていたのであった(笑)

*1:まだオレをよく知らないうちに、店の若い娘さんが第三者に「高村さん(仮名)って品があるよねぇ」なんて言って勘違いしてくれるのも、時としてロッテンマイヤーさんのようですらあった、実際時折オレをアーデルハイド呼ばわりして躾けてくれた彼の薫陶によるものであろう