箱庭療法:デジタル依存症を克服するためのリハビリ治療、第一弾。


ども、にゃおぞです。ずっと絵を描くってなんだろう、って考えてます。↑拡大して見てね!
デジタルデータの絵は実在するのだろうか。中略、実際に絵を描いて残す事をやってみようって、思うところあって鉛筆画(絵手紙)描いてます。

解説:海外には、多くのセラピー物の、ひとコマ漫画がある。
最も有名な物のひとつに、精神分析医のところを訪れた男が、「自分は鳥である」という妄想に憑りつかれていて、医者は、またか、馴れているから適当にあしらって、話しだけ聴いて、帰る様に言うと、その男は、突然部屋の窓から、バタバタと羽ばたきながら飛んでいってしまう、というものだ。非常にシュールな小話だが、考え様によっては、医者の方が幻覚を視ているといった、取り方も出来る。この小話を描いた、初出は定かでないが、作家の精神分析をして欲しい。ぼくの今回の作品も、少なからずこの有名な小話の影響を受けていると思う。真似した訳ではないが、どこか頭の片隅にこびり付いていたんだろうね。バリエーションのひとつになってしまうのかも知れない。箱庭療法はずーっと昔から気になっていて、何かネタに使えないかなって思っていたので丁度よかったよ。僕はまだ箱庭療法を受ける機会が残念ながら無いのだけれど、「死ぬまでに一度は体験したいものリスト」のひとつに入っている。お絵描きセラピーは毎日やっているようなものだけれどもね。村上春樹と心理学者の対談集を立ち読みしてたら、箱庭療法の事が書いてあって、欧米ではとても効果があるんだけれど日本ではそうでもない、みたいな事が書いてあって興味深かった。また立ち読みしてみよう。ジオラマ(情景模型)とかウォー・シミュレーション・ゲーム(大戦略シリーズ等)が好きな僕にとって、箱庭療法は、治療にならないのかもしれない。普段から馴れ親しんでいるからね。絵を描く事は、アニメ作る、もそうだけど、何かしらメンタルに良い作用を及ぼすのだろうか。夢中になれる場合もある、が、かなり苦痛な時もある。人に見せる事を常に意識しているので、楽しんで描けた例がないし、見せた相手の反応も、良く言われてもそうでなくても、どっちでも満足は得られないし、何の為に描いているのか、そもそも何かの為になる様なものではないのかも知れないし。とにかく暫く絵を描くのは続けてみてもいいかな。何かコメントあったら書いてくれるとうれしいな。にゃおぞ