Hatena::ブログ(Diary)

Ohnoblog 2 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-10-01

連載更新のお知らせ二つ

後期の始まり第一講目から、授業の時間を間違えるという大ポカをして落ち込んでいる大野です。初対面の100人の学生さんに平身低頭‥‥。おまいさん何十年この仕事してんだよ。

webの二つの連載が更新されていますので、お知らせします。


大人の女の「友だち地獄」

年上女が若い女に“友情”を強いるとき––––『あるスキャンダルの覚え書き』、女友達への欲望|サイゾーウーマン


しみじみ底冷えのする物語。対照的に描かれてはいますが、ジュディ・デンチが演じるベテラン教師も、ケイト・ブランシェットが演じる新任教師も、基本的に寂しい、他人の若さで自分の寂しさを紛らわせたい女だと思います。

でもまあ厄介なのはジュディ・デンチの役柄のほうでしょう。こういう、自分がいかに相手にとって重要な存在かということを明に暗に押し付けてくるタイプ、年輩者では珍しくないかもしれません。



かなり年輩の女性で、少し丁寧にお話を聞いていると、どんどん話が熱を帯び長くなり、しまいにまるで友人のような態度で接してくる人がたまにいます。

言っていることは特別面白いわけでもなく、特別含蓄があるわけでもない。たぶん何度も同じ話をあちこちで繰返している。だから彼女の周囲の人は無視するか、いい加減にしか相手にしないのでしょう。そこで他人を捕まえて喋るのです。

年輩者だから、こっちは一応相手を立てています。でも自身の話が、相手にとって聞くに値する内容だ、相手が面白いと思うはずだと微塵も疑っていない様子に、内心うんざり。こうならないよう、自分も気をつけなくてはと思います。


「リアルに描けたらな」という煩悩

絵を描く人々 第6回 演出と詐術の世界にようこそ - WEBスナイパー


具象的な絵を描く人々の多くが直面するだろう、最大の問題について書きました。昔のブログ記事から再構成し加筆しています。


ここに書いた「演出と詐術」をマスターすると結構楽しいし、超リアルで細密な絵、あたかもそこに現実の空間があるかのような絵に素直に感心する人も多いので、嬉しくなってどんどん描いたりする。

もちろん再現に関しては写真が肩代わりしているし、お絵描きアプリを使って写真にタッチやぼかしを加え、描いた感じにすることもできます。それでも、自分の手で見えた通りに描きたい、リアルに描けたらなという人の欲望がなくなることがないのは、面白い現象だなと思います。

2016-09-28

トークでの質疑「今なぜダブルヒロインなのか?」

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録


トークの後で質問が幾つか出ました。その中で、トークの中で話したことをもう一度丁寧にお話するかたちになったものは、ここでは省きます。以下は、一人の女性の方から頂いた質問と、私の答えを音源から書き起こし、読みやすく編集したものです。


質問:ダブルヒロインもので、女性同士の友情や敬愛関係を見ると、現実にあったらいいなと憧れるのですが、私個人の話ですが実際は難しいなと思うところがあります。私は独身ですが、友人が結婚して共通の話題が少なくなったり、会う機会も少なくなったり。あるいは、女同士で「私のほうが上よ」「いや私のほうが」みたいな張り合いもあったりして。そういう中で、ダブルヒロインものがヒットする背景はどこにあると思われますか?


大野:その答えは、私も最初からもってなくて喋り始めているんですけど、一つには恋愛が成就して終わりのストーリー、結婚とかそういうものが女の幸せという形式は、もう飽きられていると思うんですね。ディズニーなどはそこをとても上手く、皆が次に見たがっている要素をピックアップして出している。ただそれはあなたが言われるように理想的なものであって、だからこそ憧れるところもあると思います。

で、その反対の女性同士のドロドロした凄まじい対決ものも、男性同士の対決以上に凄まじさがパワーアップされてある。だから実際には両極あると思うんですね。

今、結婚して疎遠になったりという話で思い出したんですけど、角田光代の『対岸の彼女』という小説、2006年頃に夏川結衣と財前直美で単発のドラマになっていました、その中でも結婚して主婦になっている女性、ずっと仕事を続けている女性が描かれていて、お互いが川を挟んで対岸にいてうまくコミュニケーションがとれないけれど、でもなにか感情のやりとりを求めていくという物語でした。

そういうふうに女性同士の関係性って難しいところもあるけれども、実際は異性より同性同士でうまくやっていかなきゃいけない局面って、たくさんあると思うのです。ヘルパーの資格を取るので実習で介護施設に行ったことがあるんですが、おばあさんが多くて、おばあさん同士で話が通じてないながらもやりとりしている中で、おじいさんだけポツンと孤立しているんですよね。そういうのを見ても、女性は関係性を求めているなと感じます。

女性の多くが、夫の親戚との関係性、ご近所との関係性、ママ友との関係性、学生時代の友人との関係性、職場での関係性、そういういろんなレベルの人間関係を同時にこなしていくわけじゃないですか。もちろん職場だけに集中の人もいるかもしれないけど。それに比べて、男性のほうは結構シンプルな感じになっているので、もしかしたら女性のほうが、いろんな関係性を築いていくことが得意なんじゃないかと思います。

まあ私自身は、ちょっとそういうところが苦手で。小中学校の頃から少し浮いてしまう存在だったんですね。「大野さん、なんであの子たちとつきあってるの?こっちのグループでしょ」「え、そうだったんですか」みたいな感じで、関係性については苦手意識があった。それで前の本でも一作品一ヒロインでずっと書いていたんですが、やっぱりもっと枠を広げたいし、私自身もこの歳ですが女性同士の関係性について学びたいし、物語を通して考えていきたいと思っています。


質問の「ダブルヒロインものがヒットする背景は?」に直接答えているのは、「恋愛成就で終わりのストーリーが飽きられているから」だけ。その後は「女性はもともと関係性の生きものじゃないかな」ということについて長々と喋っています。どうも私は「なぜ今?」的な社会学的考察より、そもそも論に行ってしまう傾向があるようです。*1


「なぜ今ダブルヒロインなのか?」の前にある、「なぜ女性は対男性より、女性同士の関係性に惹きつけられるのか」という問い。

本当は元からそうだったのが、これまでのいろいろな重しが取れてきたことによって、欲求が顕在化してきたのではないかと思います。別に無理して結婚しなくてもいいし、恋人がいなくても問題ないし、女性だけで仕事を回しているところはいくらでもあるし、女性同士のほうがいろんなものを共有できて楽しいし(その反面マウント合戦もあるが)。

結局、女が何よりも興味のあるのは「女」、というところに落ち着きそうです。

*1:後、反省点としては、時間に追われていたこともあるけど、自分の喋りが早い。そして若干キツい印象。昔の教え子に「前より喋りが丸くなった」と言われたが、じゃあ昔はどんだけキッツイものいいしてたのかと思った。もっと年相応に落ち着いた、丁寧で耳に柔らかい話術を身につけたいものです。

2016-09-20

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録

17日に静岡市のスノドカフェ七間町で行われたトークイベントの、私の喋りの続きです。


後半のトーク

後半は、小津安二郎の作品を例にとって考えます。

小津安二郎と言えば、戦後の作品、たとえば「東京物語」に顕著ですが、上の世代と下の世代のズレを通して古い家族形態が崩壊していくさまを描いた監督である、と言われています。そして、監督の目線は一貫して父親目線、あるいはおじさん目線です。

しかしここで重要なのは、彼のダブルヒロインものと言えるような作品で、そうした父権を後退させる若い女がしばしば登場しているということです。ここでは三つの作品を取り上げます。



資料にストーリーが途中まで書いてありますので、未見の方はまず最初の「淑女は何を忘れたか」のところに目を通して下さい。DVDで観て頂くのは、その後の箇所です。

淑女は何を忘れたか(1937)–––– 疑似所有型男性原理


【ストーリー】

大学教授の小宮は、妻・時子と麹町に二人暮らし。今、大阪からやって来た時子の姪の節子が滞在している。

ある週末、小宮は時子から無理矢理伊豆まで一泊のゴルフに行かされるが、行ったふりをして助手の岡田の下宿に泊まることにする。アリバイとして、伊豆からの葉書をゴルフ仲間に託す。

その夕方、口うるさい叔母の目を盗んで小宮の後を追ってきた節子にねだられて、二人で芸者遊びに。深夜、小宮は酔った節子を岡田に送らせる。家では帰りの遅い姪を時子が待ちわびていた。(略)


【キャスト】

小宮‥‥斎藤達夫

時子‥‥栗島すみ子

節子‥‥桑野通子

岡田‥‥佐野周二

 他


◆DVD上映(帰宅した節子に説教しようとする時子、取り合わない節子。岡田の下宿に泊まった小宮は、雨が降ったので時子に嘘がばれるのを心配している。帰宅後、節子について時子から注進され、小宮は話を合わせる。自室に節子を呼び、時子の目に触れないうちに自分の葉書を受取るよう頼む。そこに時子がやってきたので、小宮は節子を説教しているふりをする。37:30〜48:00)


コメディですね。人物相関図を見てみましょう。

  f:id:ohnosakiko:20160911161515j:image:w400

これは、倦怠期の夫婦に小さな危機が生じ、いろいろあって一山乗り越えるという夫婦ものなんですね。さっきの場面では一見、節子がヒロインに見えますが、栗島すみ子は本作が引退作となった戦前の大女優、桑野通子は当時人気急上昇中の女優で、やはりダブルヒロインです。

姪・節子は、夫婦の危機を前面化する撹乱者として登場します。で、擬似的な三角関係が形成され、男はどちらともうまくやろうとするが失敗する。



次は、戦後の作品「彼岸花」。少し人間関係が混み入ってます。

彼岸花(1958)–––– 所有型男性原理と関係型女性原理の拮抗


【ストーリー】

大企業の常務・平山は、旧友に頼まれ、家を出て男と暮らしているというその娘の様子を見に行く。次いで、平山の知古である京都の旅館の娘・幸子が訪ねてきて、見合いを煩く薦める母親に困っていると、平山に訴える。

一方、自分の娘・節子の見合い話を考えていたのに、彼女には結婚を約束した恋人のいることがわかって平山は立腹、自分で自分のことを決めたい節子も父に強く反発。

よその娘には話のわかるおじさんを演じ、自分の娘には父権を発動して支配しようとする平山。それを知った幸子は、節子の窮地を救うべく一芝居打つことにする。(略)


【キャスト】

平山渉‥‥佐分利信

平山清子‥‥田中絹代

平山節子‥‥有馬稲子

佐々木初‥‥浪花千枝子

佐々木幸子‥‥山本富士子

 他


◆DVD上映(幸子は自分の嘘の結婚話をして平山を担ぎ、彼が口にしたものわかりのいい一般論を盾に、父が節子の結婚を認めたことにして、その場で節子に電話をしに行く。うろたえる平山。1:13:10〜1:19:05)


では人物相関図です。

   f:id:ohnosakiko:20160911172835j:image:w400


この図では、ストーリーの最初に書いてある、平山の級友と家を出たその娘は省いてます。煩雑になるのと、直接本筋には絡んでいないので。

この父は結局、すべての娘に好かれたい。尊敬され感謝されたいんです。ただ他人の娘にはいい顔をできても、自分の娘とはつい本音でぶつかってしまう。この人(節子)、さっきのシーンでは出てきてませんが、だいたいこういう顔です。父親譲りの頑固な娘です。

で、彼の知らないところで娘たちは同盟を結びます。幸子は口うるさい母親に少しうんざりしていて、自分の立場を節子に投影しています。結局、節子の母も娘に味方、妹も姉さんに加勢して、とうとう父は八方ふさがりになって折れます。男に見えていなかった女同士の関係性の前に、父権は敗退するという図です。



最後、「秋日和」です。この作品から11年前に撮られた「晩春」という、笠智衆原節子で演じられた父と娘の関係が、ここでは母と子に置き換わっています。原節子が母親役をやってます。

秋日和(1960)–––– 所有型男性原理の後退、関係型女性原理の台頭


【ストーリー】

旧友の七回忌に集まった間宮、田口、平山の三人は、未亡人の秋子とその娘・アヤ子と再会。年頃のアヤ子の結婚を心配した間宮らは、間宮の知り合いの後藤を紹介するが、アヤ子は一人残る母のことが心配で踏み切れない。

彼女がその気になるためには母親の秋子の再婚が先という話になり、それを伝え聞いて誤解したアヤ子は母に反発、同僚の百合子に相談に行くが‥‥。(略)


【キャスト】

三輪秋子‥‥原節子

三輪アヤ子‥‥司葉子

間宮宗一‥‥佐分利信

佐々木百合子‥‥岡田茉莉子

田口秀三‥‥中村伸郎

平山精一郎‥‥北竜二

後藤庄太郎‥‥佐田啓二

 他


ちょっとストーリーを補完しておきたいので、今度は先に人間関係を見ましょう。

  f:id:ohnosakiko:20160911182649j:image:w430

このおじさん三人組。上から間宮と田口、彼らは妻帯者で、三番目の平山は妻に先立たれた独り者。彼らにとって母(秋子)は、学生時代からのマドンナです。その相手に平山がいいんじゃないかという話になり、平山もだんだんその気になる。田口が秋子に再婚話をもって行きますが、彼女が亡き夫の話ばかりするので、つい肝心の話をしそびれて帰ってきてしまう。その失敗は平山には知らされません。

一方、間宮が紹介した後藤とアヤ子は結局交際を始め、なんとなくいい雰囲気に見える。でもアヤ子はなかなか結婚に踏み切れない。それで間宮は、「お母さんに縁談があるんだがね。平山なんてどう?」てなことをアヤ子に言ってしまいます。

アヤ子はショックを受けます。自分の母親を、そういう性的な要素をもった女として見ることができないんです。この人は結構潔癖な女性だし、この親子関係はそもそも母子密着型ですから。で、母に強く反発しますが、秋子の方は何も知らされていないので、なぜ急に娘がツンケンし出したのかわからない。そういう状況です。では、今度は少し長め、20分くらい観てみましょう。


◆DVD上映(母親と噛み合わない喧嘩をしたアヤ子は百合子の家に来るが、逆に嗜められてヘソを曲げる。翌日、職場でアヤ子は百合子と口をきかないままだが、デートで事情を打ち明けた後藤に優しく諭される。その夕方、親友の様子を見にアヤ子宅へ行った百合子は、話が母・秋子に通じてないことを知り憤慨、間宮らのところに乗り込んで厳しく問いただす。間宮らは初対面の百合子に驚きつつ、手違いを詫びる。1:26:00〜1:44:00)


男たちは、全体を把握しコントロールしていると思ってます。でも、話を前に進められない。百合子は全体は見えていません。だからいきなり平山のところに突撃したりして、そういう間違いは犯すけれども、しかし彼女は結果的に、膠着状態になっていた人間関係に風穴をあける役割を果たすんですね。その行動は、男たちの想定外のところにあります。そういうものとして女性が描かれているということです。

全部そうなんですね。「淑女は何を忘れたか」の節子も、「彼岸花」の幸子も、女の行動はみんな必ずしも正しいとは言えません。にも関わらず、というかむしろだからこそ、それが淀んだ状況を掻き回し、結果的に物語を前進させます。




ここで、「アナ雪」のエルサとアナを、この三作品のダブルヒロインたちに当て嵌めてみましょう。f:id:ohnosakiko:20160911161515j:image:w280  f:id:ohnosakiko:20160911172835j:image:w280

「淑女は何を忘れたか」(疑似所有型男性原理)  「彼岸花」(所有型男性原理と関係型女性原理の拮抗) 

          f:id:ohnosakiko:20160911182649j:image:w325

           「秋日和」(所有型男性原理の後退、関係型女性原理の台頭)


左下の位置にいるのがエルサです。「淑女は何を忘れたか」の時子、神経ピリピリ尖らしていましたね。「彼岸花」の節子、思い込んだら引かない人です。「秋日和」のアヤ子、「私の気持ちは誰にもわからないんだから!」と顔に書いてありましたね。みんなエルサです。

一方、右下の位置にいるのがアナです。節子(淑女〜)、引っ掻き回す役でした。幸子(彼岸花)、明るくて悪戯っぽいキャラはアナです。百合子(秋日和)、猪突猛進、アナです。


前半で言いましたように、エルサは一時的に社会、共同体から自らを疎外する、あるいは浮いてしまう存在でした。時子さん(淑女〜)は家の中でちょっと煙たがられてました。この人言ってることはまあもっともなんですが、相手が真面目に耳を傾けてくれない。次に節子(彼岸花)も、お父さんと対立して家族の中で浮いちゃってました。この人が茶の間に登場すると、もうドーンと暗いんです。アヤ子(秋日和)のコミュニケーション拒否という態度も、まさにその共同体から自らを疎外することです。

そして、決して正しい行動をするわけではないアナの側、特に節子(淑女)とか百合子(秋日和)などは、エルサの気持ちをどこまで理解していたか怪しいんだけど、この二人の緊張関係(淑女〜)、あるいはこの同盟関係(彼岸花)、そしてこの人の友情や親愛の情(秋日和)がマックスとなった時に、エルサ側にとって重圧だったり悩みの種だったりしたもの、ここでは男たちの位相や彼らとの関係ですが、それがふっと軽くなる。そしてエルサたちは共同体に再び自分の場所を見出す。そういう構造になっているんですね。


アナの物語の肝は、「王子様なんかいらない」でした。ここではどうだったでしょうか。

節子(淑女〜)と岡田が最後のほうで会う場面があります。岡田はなんとなく節子に好感を抱いているようだけど、節子はちっともそんなムードではない。それから幸子(彼岸花)。美人だし母親は結婚を煩く薦めるけど、ある意味母子密着型でなかなか結婚しそうにないなという雰囲気です。そして百合子には結婚話はありません。それで別に問題ないという感じです。

特に百合子は、わりと自由な立ち位置にいる女性というところがポイントでした。アヤ子のように母子密着状態にはありません。お母さんとは仲はいいけど継母です。この作品、最初は秋子(原節子)とアヤ子(司葉子)がダブルヒロインに見えますが、後半この百合子が場を攫っていきます。

また、ここには主たる父の座がありません。アヤ子の父は亡くなっているし、百合子の父はほんの少し出てくるだけで物語に絡みません。おじさん三人は男社会を体現してますが、彼女たちにとっては基本的に他人です。その分、女性同士の関係性が前に出てきます。


映画の最後の方のシーンですが、アヤ子の結婚式の後、娘を嫁に出して一人になった母・秋子のところに百合子がちょっと顔を出して、「おばさま、私これからちょいちょい来ていい?」と言うんですね。ここに、親子でもなく姉妹でもない他人同士のゆるやかなシスターフッドが築かれるんだなということを感じさせます。これも、おじさんたちには見えない関係性です。

「晩春」は笠智衆の寂しげな姿で終わりましたが、この作品が一人になった原節子のかすかな微笑みで終わるのは、女性同士の関係性が前面化していたことと無縁ではないのではないか、そんなふうに思います。

話が一巡したところで時間も来ましたので、終わりにします。ありがとうございました。


※この後、10分ほどの質疑応答タイム。音源データから起こせたらまたアップします。


f:id:ohnosakiko:20160917190236j:image:w320 f:id:ohnosakiko:20160917204541j:image:w320

2016-09-19

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録

去る17日に、静岡市オルタナティヴスペース「スノドカフェ七間町」で行ったトークイベント「ダブルヒロインの「距離」」の、私の喋りの記録です。

当日録音はしていませんでしたが*1、家で原稿を作成し、時間内に話しきれるかどうか何度かリハーサルをしていたので、その時に取った音声データと原稿を元に書き起こしました。

時間は前半約45分、10分の休憩を挟んで、後半50分程度。長いのでこの記事では前半のみ。後半は明日以降にアップします。


◆チラシ文面

近年、従来のヒロイン物語に替わってよく見られる「ダブルヒロインの物語」。私たちがダブルヒロインに惹きつけられるのはなぜでしょうか。女の友情が美しく描かれているから? 二人のどちらかに必ず感情移入できるから? 恋愛成就で一件落着‥‥にはもう飽きているから? まだまだ隠された理由がありそうです。映画やドラマに登場したダブルヒロイン物語の二つの系譜、その「距離」を通して、女性同士の関係性について考えます。

f:id:ohnosakiko:20160828085655j:image:w350


前半のトーク

昨年暮れ、企画者の古池さんから、アートまたはジェンダー精神分析を絡めたあたりで何か話して下さいという依頼を受けた時、ちょうど年明けからサイゾーウーマンというサイトで、映画の中の女性同士の関係性についての連載コラムが始まることになっていました。

もう一つ、やはり暮れに上梓した映画レビュー&エッセイ集『あなたたちはあちら、わたしはこちら』を読んだ私の先輩的な立場の研究者の方から、「一人のヒロインについてはよく書けてるけど、女同士の関係性についてはどうですか?」という問いを頂いていました。

それで、今回ダブルヒロインをテーマにしてみようとなったわけです。ですので、この内容でお話するのは今日が初めてです。


まず話の叩き台として、ダブルヒロインの二つの系譜を示してみました。

(資料プリント)

◆ダブルヒロイン物語の二つの系譜

  a. 男性主人公の相手となる女性が二人存在する

   =所有型男性原理

  b. 女性同士の関係性に重点が置かれ、男性は副次的存在

   =関係型女性原理


一つはa、男性にとっては一見おいしく思える設定。両手に花の三角関係。伝統的なパターンです。

主人公の男はその二人の女の間を行ったり来たりする。なかなかどちらかに決められない。本当は二人と付き合いたい。二人とも自分のものにできたらどんなにいいか。‥‥実際にそんな台詞を言うわけではないですが、無意識ではそう思ってる。そして、それを見る視聴者も、どっちの女がいいか、自分ならどっちを取るかと考える。男性主人公の目線は作り手の目線であり、観客もそれを共有するという仕組みになっています。

そういうダブルヒロインものを支配している原理を、「所有型男性原理」と仮に呼びます。私はライトノベルを読まないのですが、最近のラノベにもちょくちょく見られる設定らしいです。ヒロインが3人以上になるのは「ハーレムもの」と言うそうです。


もう一つのダブルヒロインはb、女性同士の関係性を主題にしたものです。男性はいても中心的存在ではありません。一見男性が関与しているように見えても、その目の届かないところ、力の及ばないところで、女同士の関係性が構築されたりします。

アナと雪の女王」はそれを非常にはっきりと表現しましたし、最近目につくダブルヒロインものも、こちらの系列が多いと思います。そこにあるのを、「関係型女性原理」としました。


この所有型、関係型という言葉は、精神科医で評論家の斎藤環さんの議論に依拠しています。もともとは、「おたくはキャラ萌え腐女子は位相萌え」というフレーズから来ていまして、それを性愛における男女のジェンダーに敷衍して、「男性の欲望は所有原理に基づき、女性の欲望は関係性を志向する」というテーゼに展開されていました。

こういう「男性は」「女性は」ということを言うと「主語が大きい」という批判があるわけですが、精神分析理論では「男性とは何か」「男性であるか否か」というところからまず話が始まるんですね。なので、ここでもとりあえず仮説として聞いておいて下さい。


で、なぜ関係型のダブルヒロインものが目につき、また人気が出ているのかについては、実は私も確たる答えをもってはいません。社会学者であれば晩婚化傾向と結びつけて何か論じるかもしれませんが、そうではなくて、この所有型と関係型は、一つの事実を二通りの言い方で表しているのでは?というふうに考えてみたいと思います。

ここで参照したいのが、異性愛者とは、男女を問わず、女を愛するものである」というジャック・ラカンの言葉です。一瞬、何のこと?と思いますね。後でまた出しますが、これがキー概念になると思いますので、頭の片隅に留めておいて下さい。


では前半は、主に映画とドラマのダブルヒロインものを、画像でざーっとお見せしていきたいと思います。資料でも紹介順に作品を並べています。33作品と絞ってますが、あの有名な作品がないよ!と思われた方は後で教えて下さい。



最初は、近年のダブルヒロインもの

◆「アナと雪の女王」(アリス・バック、ジェニファー・リー、2013) 

もう言わずと知れた‥‥です。アンデルセンの「雪の女王」の中の、雪の女王と彼女に攫われる少年の二つのキャラをドッキングさせたのが、エルサ。攻撃性と傷つきやすさを兼ね備えた見事なキャラ造形でした。エルサは苦しみを抱えていて共同体で孤立し、あるいはそこから自らを疎外した上で、最後に再び元の共同体に帰還します。そういう物語になっている。もう一方のアナの物語は、一言で言えば「王子様なんかいらない」です。

◆「スノーホワイト/氷の王国」(セドリック・ニコラス=トロイアン、 2016) 

2012年に「スノーホワイト」という映画に出ていた魔女が、ここではその妹に蘇らされて再登場します。この妹は、エルサを参照しているなと思わせるキャラです。作品は、アナ雪の姉妹を邪悪にして、雪と氷のバトル場面を思い切り大袈裟に見せたみたいな、あまり出来のよくないものですが、最近のファンタジー映画は、童話の中で悪役だった女、つまり「もう一人の女」に焦点を当てるという手法がしばしばあるんですね。「マレフィセント」もそうでした。そういう現象も、ダブルヒロイン流行の一つと言えるのではないかということで挙げてみました。次は朝ドラ行きます。

◆「あまちゃん」(NHK連続テレビ小説、2013) 

主人公はアキですが、アキの母でかつてアイドルを目指した春子の物語が重なっていて、春子とアキ、そしてアキと同級生のユイという、ダブル・ダブルヒロインものになってました。

◆「花子とアン」(NHK連続テレビ小説、2014) 

主人公のはなより、この蓮子さんのほうが存在感があって印象に残ったという人は多かったようです。女優さんの演技力のせいも若干はあるかもしれませんが。

◆「あさが来た」(NHK連続テレビ小説、2015) 

このドラマ、私は宮崎あおい演じる姉のはつがどうなるのか、気になってしかたなかったです。二人の成長物語として見ていました。

◆「思い出のマーニー」(米林宏昌、2014) 

ジブリのちょっと地味な作品であまりヒットしてなかった感じですが、孤独な一人の少女が心を次第に解放させていく物語。相手のマーニーってのは幻影なんですね。私は、「一番多感な時期の少女の中に生まれる同性への恋愛感情」を描いたものとしても捉えられるのではないかと思って見てました。



次は、「所有型男性原理」に基づいていると思われる作品を、少し昔のものからいくつか。

「みゆき」あだち充、1980~1984) 

この漫画、ご存知の方いらっしゃるでしょうか。主人公の憧れの女性がみゆきといいます。その後登場する腹違いの妹もみゆきという。二人のみゆきの間で悩む男の話です。もう典型的な男性のファンタジー。アニメ、実写映画になってます。

◆「うる星やつら」(高橋留美子、1978~1987) 

高橋留美子の大ヒット作。SF設定ですね。諸星あたるというちょっとだらしない男の子が結婚したいと思っているのがクラスの美少女しのぶ、しかし空から降ってきた鬼族の女の子ラムがあたるを追い回すようになり、ドタバタが繰り広げられます。70年代後半は、少年漫画誌がこうしたラブコメを載せ始めた時期でした。テレビアニメ、劇場アニメになってます。

◆「新世紀エヴァンゲリオン」(庵野秀明、1995~1996) 

90年代を代表するアニメ。エヴァっていうと、大抵この三人がセットです。シンジはエディプスコンプレックスを抱えた少年として登場してます。綾波レイは、シンジの亡くなっている母の幻影を背負わされた存在、アスカは母性からもっとも遠い女。その間でシンジは揉まれます。別に三角関係ものではないのですが、こっちのパチスロ・エヴァの画面(シンジが花嫁姿の二人に両方から引っ張られて困っている)をご覧下さい。レイかアスカか。シンジに自分を投影する視聴者の頭の中身を、そのまま表しています。

◆「もののけ姫」(宮崎駿、1997) 

これを所有型にするのに疑問がある方もいるかと思いますが、この話は煎じ詰めれば、アシタカという少年、これは監督の分身であり視聴者代表でもあります‥‥が、エボシという大人の女とサンという少女の間を行ったり来たりする話なんです。本当に何度も行ったり来たりしてます。お前はいったいどっちなんだと言いたいです。「風の谷のナウシカ」では、アスベルはそういう行き来はしません。でも見る側からすると「ナウシカクシャナ、どっちが好き?」という問いは常にありました。つまりそれは、作り手の宮崎駿の中にある迷いでもあるんですね。

◆「猫と庄三と二人のをんな」(豊田四郎、1956) 

谷崎潤一郎原作です。元妻と現在の妻が派手な喧嘩をしてる横で、森繁久彌が縮こまってます。でもこの庄三が一番愛しているのは猫なんですね。その猫が発端で二人の女の諍いが起きて、無理矢理三角関係に巻き込まれる、肝心の猫はすぐにどっか行ってしまうという話なので、実は女への男の所有欲というモチーフは薄いです。ただ、この喧嘩している女性の顔が、なんかすごく楽しそうなんで出してみました。享楽に耽っている顔ですよね。トムとジェリーなんですねこの二人は。最後に洋画から一本。

◆「恋のエチュード」(フランソワ・トリュフォー、1971)

トリュフォーは三角関係物語をいくつか撮っていますが、これはフランス人の男が、二人のイギリス人の姉妹の間で延々と悩み続ける話です。あっちとくっつきこっちと別れ‥‥それが15年にも渡って、最後に男は一人になる。

こうして見て来ると、「所有」とは男性の欲望ではありますが、実際は男性主人公は皆女性に振り回され、頼りなく描かれているケースが多いですね。



では、女性同士の関係性に重点を置いたダブルヒロインもの行きましょう。と言ってもいろいろありますので、4つに分類しました。便宜的な分類ですので、重なり合っている部分はかなりあると思います。まず、姉妹、疑似姉妹もの。

◆「何がジェーンに起ったか?」(ロバート・アルドリッチ、1962) 

スリラーですが、その枠に収まらない傑作です。初老にさしかかった姉妹の間の嫉妬、怨念、復讐心をこれでもかってほどえぐってます。このベティ・デイヴィスが鬼気迫る感じで、狂気に至る妹を演じていてものすごく恐いです。未見の方には是非おすすめしたいです。

◆「八月の鯨」(リンゼイ・アンダースン、1987)

そのベティ・デイヴィスが、80近くなって再び姉妹ものに出ました。手前の横顔の人ですね。目が不自由でちょっと我が侭で辛辣なことを言ってトラブる妹をやっています。まああのベティ・デイヴィスなのでそういう役回り。奥は、この時90歳を超えていたリリアン・ギッシュです。ハリウッドの映画史を背負ってきたような二大女優の共演ということで、話題になりました。

◆「イン・ハー・シューズ」(カーティス・ハンソン、2005)

堅物な姉と奔放な妹。って、見ればわかりますね。あることから姉妹の仲は決裂します。で、互いに距離を置く間にいろいろあって成長し、最後に再会して‥‥という。まだ若いのでやり直しができるところがいいですね。さっきの「何がジェーンに起ったか?」ではもうやり直そうにもやり直せない年齢で、それで悲劇が起るわけです。次、日本映画行きます。

◆「祇園の姉妹」(溝口健二、1936)

ぎおんのきょうだいと読みます。他の姉妹ものと同じく対照性が際立っています。二人とも芸者で姉は古風、妹は現代的。右の山田五十鈴が演じている妹のキャラクターが凄いです。男は金や、男を騙し男に集って生きていって何が悪いんや!という態度をまったく隠さない女ですが、最後は彼女の血を吐くような叫びで終わります。続いて同じ溝口監督の、

「祇園囃子」(溝口健二、1953)

これは実の姉妹ではないですね、疑似姉妹。新米の舞妓、若尾文子ですね‥‥の失態の責任をとらねばならない姉貴分の芸者が、どんどん窮地に追い込まれていく話です。さっきの作品もそうですが、男の世界に寄生せねば生きていけない立場の女の惨めさというものを、非常に冷徹な目で見据えた作品です。

◆「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(吉田大八、2007)

傑作です。佐藤江梨子が演じるのが、とんでもなく自己中で自意識過剰な女優志望の姉。こっちは、それをずっと観察して密かにマンガに描いている地味な妹。後半凄まじい対決がありますが、安易な和解にもっていってないところが優れていると思います。



ここからは、姉妹ではないライバルあるいは敵同士として描かれたダブルヒロインものを。

◆「イヴの総て」(ジョセフ・L・マンキーウィッツ、1950)

また出ましたベティ・デイヴィス。ベテランの舞台女優が目をかけてやった新進の若い女優、彼女がベテランを出し抜いてスターダムに上っていく。たくさんリメイクされてますね。このDVDのパッケージを見て、どちらがヒロイン比重が大きいと思いますか?どっちとも言えないという感じですよね。物語は両者を同様に突き放したメタ視点で語られます。

◆「ベスト・フレンズ・ウェディング」(P・J・ホーガン、1997)

これはご覧になっている方多いのではないでしょうか。三角関係ではあるのですが、男性の心理より二人の女性の関係性に重心が置かれているので、ここに入れました。みっともない女を演じるジュリア・ロバーツがすばらしいです。では日本映画行ってみましょう。

◆「妻として女として」(成瀬巳喜男、1961)

これも画像では明らかに三角関係に見えますが、この森雅之演じる真ん中の男が誰も感情移入できないような、しょうもない奴なのです。正妻と妾がいて、どちらも切ることができず、のらりくらりと関係を続けます。やはり重点が置かれているのはこの女二人で、次第に対立が深まっていき、家族を巻き込んだ話になっていく。で、最後に正妻が欲しいものを手にいれてはいますが、でもどっちが勝ちでどっちが負けということはないよなという印象で終わります。

◆「疑惑」(野村芳太郎、1982)

松本清張原作ですが、映画では主人公を二人とも女性にして成功しています。夫殺人の容疑者が桃井かおり。この人は札付きの女で誰も弁護を引き受けず、国選弁護人として登場するのが岩下志麻。二人で共闘して裁判を勝ち抜かねばならないのですが、女としては互いのことが大嫌いなんですね。日本映画で女同士の対立っていうと、水面下のドロドロした陰湿な足の引っ張り合いか、ギャーギャー喚いてつかみ合いの喧嘩になるかのどっちかが多い気がするのですが、これはどっちでもないところが私は好きです。



では次、友情を描いたダブルヒロインものです。洋画から行きます。

◆「ジュリア」(リチャード・ロス、1977)

これ、公開当時は女性映画として宣伝されてとても話題になっていました。リリアン・ヘルマンの小説が原作です。リリアン幼なじみのジュリアは、第二次大戦下に反ナチレジスタンス運動に身を投じます。で、リリアンにある重要なミッションを依頼し、彼女は親友のために危険を冒してそれを遂行する。

◆「テルマ&ルイーズ」(リドリー・スコット、1991)

女性二人のロードムービー。楽しいドライブ旅行の途中で事件が起きて警察に追われる身になり、衝撃的な結末を迎えます。「ジュリア」でもこの作品でも、女性を見守る男性が描かれていて、その立ち位置がとてもいいんですね。男の人はこうあってほしいというお手本みたいです。

◆「乙女の祈り」(ピーター・ジャクソン、1994)

実際の事件が元になっているオーストリア映画です。ある年齢の少女の間には、他人には決して理解できないような異様に緊密な結び付きが生まれる。それがよく描かれていると思います。

◆「下妻物語」(中島哲也、2004)

嶽本野ばらの原作。これも見るからに対照的な二人ですが、それがベタベタしない、まるで不器用な少年の友情というか仁義を通す物語として描かれているところが面白いです。

◆「NANA」(大谷健太郎、2005)

漫画のヒットで映画化されたものですね。名前は同じだけど対照的な外見、キャラクターの二人。宮崎あおいの方はフワフワ〜とした女の子、中島美嘉はイケメンです。ほのかに百合の香りがします。友情と愛の境目はないんです。

「NANA」、「下妻物語」、それから「花とアリス」という二人の女子高生を描いた岩井俊二監督作品があるのですが、どれも2004〜5年のものなんですね。当時、冬ソナとかセカ中とか電車男とかが出てきて純愛ブームだったんですが、男女の愛ではない女性同士の真剣な感情のやりとりを描いた作品を求める気持ちは、この頃既にあったんだと思います。



ということで、最後、女性間の愛を描いた比較的最近の作品を見ていきます。

◆「バウンド」(ウォシャウスキー兄弟、1996)

レズビアンの泥棒とマフィアの情婦が出会って恋仲になる。この作品はフィルムノワール風のタッチというところがポイントなので、このカップルもどっちが男役でどっちか女役か見た目からわかりやすく、まあ少し類型的な描き方にはなってますが、二人の女が恐い男達を敵に回し、知恵で出し抜いていくところがハラハラさせるし痛快です。そして男達は、最後までこの二人の関係性を知らないのです。

◆「モンスター」(パティ・ジェンキンス、2003)

実話が元になってます。シャーリーズ・セロンが外見をガラリと変えて驚かせました。底辺のセックスワーカーの女性が家出した同性愛者の少女と出会い、お金のために犯罪に手を染めて抜き差しならなくなっていく。このアイリーンにとって、男たちは全員敵なんですね。見ていて胸が痛くなります。

◆「アデル、ブルーは熱い色」(アブデラティフ・ケシシュ、2013)

セックスシーンが話題になりましたが、レズビアン映画という枠を超えて優れた青春恋愛映画だと思います。運命的な出会いがあり、互いにどんどん惹かれ合って、やがて高揚期があり、不安が襲ってきて、ささいなことで傷ついて終わる、という過程。もう私から見ると、眩しいような感じです。主にレア・セドゥじゃないほうの子、この女優さんがすごくいい‥‥の視点ですね。ちょっとドキュメンタリータッチです。

◆「キャロル」(トッド・ヘインズ、2015)

純然たる恋愛映画でした。カメラワークも色彩も素晴らしかったです。希望のもてるかたちで終わるところもよかったですね。次は日本映画を一本。

◆「小さいおうち」(山田洋次、2014)

原作より空間的にかなりスケールダウンしているのが残念なのですが、戦前の山の手の奥さん、この人は若い男性と不倫関係になります、それを心配して見守る女中の間に芽生える感情は、やはり友情ではなく愛と呼びたい種類のものです。作品としては、それを丁寧に描いている点のみ評価しています。最後は韓国映画

◆「私の少女」(チョン・ジュリ、2015)

この数年で一押しの作品です。ペ・ドゥナの方はレズビアンであることを隠している警官。普段家で虐待を受けている少女が、彼女を慕って近づいてきます。年齢差があり権力関係があり、いろいろと危険な要素を孕んだ二人の関係性を、非常にデリケートに真摯に見つめた、挑戦的で奥行きの深い作品だと思います。



駆け足で見て来てきましたが、一旦まとめます。

所有型男性原理のダブルヒロインものは、「謎としての女」をわかりやすく表していました。簡単にどちらかを選ぶことができない、それは男にとって女の像が一つに焦点を結ばず分裂してしまう、女がつかみどころのない謎であることを示しています。

謎って言うと神秘的な雰囲気がありますが、もっとわけのわからない、全体の把握できない、尚かつ異物のようなイメージです。精神分析理論では、女は「男ではない」「すべてではない」という消極的な言い方でしか示されません。女を「こうだ」と明示するような言葉はないんですね。


関係型女性原理のダブルヒロインものにおいても、一方から見て相手の中にあるのはやはり謎です。女にとっても女は(自分を含めて)、男以上によくわからないからです。「女はみな女を仮装している」という言い方を私はしますが、その仮装を取っていったところには何もありません。女の実体とか本質と言えるようなはっきりしたものは、そもそもないんです。それを女性自身も知っている。だからこそ女性は、女性同士の関係性の方に惹かれるのだと思います。

その中で、男性とは異なる種類の闘争友愛が生まれる。それは所有原理に支配されるタイプの男性からしてみたら、たぶんうまく想像できない話なのではないかと思います。


「異性愛者とは、男女を問わず、女を愛するものである」というフレーズがありました。それを言い換えれば、「異性愛者とは、男女を問わず、わけのわからない把握し難い異物、異なる者を愛する人」です。

というわけで、女が男をさしおいて女を愛し救おうとする「アナ雪」は、多くの男性にとってはどこか釈然としないところの残る話だったかもしれませんが、女性にとっては究極の「異性愛物語」だったのです。


(後半に続く)


●関連記事

トーク<ダブルヒロインの「距離」>のお知らせ

*1:追記:企画者から「録音してたよ」というメールが後であった。音源送って頂く予定(ただこの書き起こしと90%くらい一致しているという自信はある。何度もリハしてるうち、ほとんど覚えちゃったので)。

2016-09-17

トーク<ダブルヒロインの「距離」>のお知らせ

※9/17までこの記事がトップに来ます。

※9/19追記/無事終了しました。地元の皆様も遠くからお越し下った皆様も、どうもありがとうございました!

f:id:ohnosakiko:20160906192703j:image:w370 (ちらし・表)


メディアひろば_vol.2

トーク:「ダブルヒロインの「距離」

近年、従来のヒロイン物語に替わってよく見られる「ダブルヒロインの物語」。私たちがダブルヒロインに惹きつけられるのはなぜでしょうか。女の友情が美しく描かれているから? 二人のどちらかに必ず感情移入できるから? 恋愛成就で一件落着‥‥にはもう飽きているから? まだまだ隠された理由がありそうです。映画やドラマに登場したダブルヒロイン物語の二つの系譜、その「距離」を通して、女性同士の関係性について考えます。


●日時  9月17日(土) 19:00〜21:00(18:30〜受付、途中休憩あり)

●料金  1500円(1ドリンク付)

●会場  スノドカフェ七間町

●話者   大野左紀子


□スノドカフェ七間町

 静岡市葵区七間町7-8(JR静岡駅から徒歩13分)

 054-260-6173 http://www.sndcafe.net/

 ご予約・お問い合わせ:info@sndcafe.net(スノドカフェ)


小津作品からアナ雪、「みゆき」から「キャロル」まで、登場する二人の女性がダブルヒロインと呼ぶに相応しいドラマや映画を紹介しながら、そこに見られる二つの系譜と欲望のかたちについてお話します。

ご来場になる方は、念のためお席の予約をお願いします(もちろん当日でも入れると思いますが)。また会場では、映画レビュー&エッセイ集『あなたたちはあちら、わたしはこちら』大洋図書、2015)の販売も致します(税抜き価格)。

あいちトリエンナーレを見に東京方面からお越しの皆様、お時間がありましたら是非静岡にお立ちより下さい。

どうぞよろしくお願い致します。


●スノドカフェHPの告知(ちらし画像をクリックすると拡大します)

http://www.sndcafe.net/event/2016/09/mediahiroba2.html


●取り扱う作品(あいうえお順)

秋日和悪魔のような女、あさが来た、アデル,ブルーは熱い色、アナと雪の女王あまちゃんイヴの総てイン・ハー・シューズうる星やつら、噂の二人、乙女の祈り思い出のマーニー風の谷のナウシカ祇園の姉妹祇園囃子、キャロル、疑惑、恋のエチュード古都下妻物語17歳のカルテ、淑女は何を忘れたか、ジュリア、新世紀エヴァンゲリオンスノーホワイト/氷の王国、小さいおうち、テルマ&ルイーズNANA、何がジェーンに起ったか?、猫と庄三と二人の女、バウンド、八月の鯨花子とアン花とアリス、腑抜けども,悲しみの愛を見せろ、ベスト・フレンズ・ウェディング、マレフィセント、卍、みゆき、もののけ姫、モンスター、私の少女、他

※追記:これだけの作品を紹介しているとそれだけでトークの時間を使い切るということに気付いたので、削る予定です。あしからず。