ファッションと自己変革

昨晩コンビニでキムタクの顔写真がパッケージに採用されているスナック菓子を見かけた。

これはぼくに何を伝えようとしているのだろうか。

もしぼくの体にキムタクの顔が付いたとしたら、きっとおかしいに違いない。

即坊主にしてしまうのだろうなあ。

逆にキムタクの顔が急にぼくの顔になったとしたら、ジャニーズ事務所は困るだろうなあ。

そしてキムタクは心の整理をどう付けるのだろうか。

そんなバカバカしいことを考えながら買い物を済ませ、三人で寺へ向かった。


ちなみにぼくは鳥獣戯画に出てくる動物たちのような自己イメージを持っているし

またそうなりたいと願っている。

滑稽で憎めない、うすい自我と柔らかい感情が広く周囲を包みこみ

幸せな空間を形成する

そんなイメージ。



お寺は落ち着くなあ。



超久々にファッション誌というものを見た。

ページをめくりながら自分のファッションの変遷を振り返ってみた。

小学生の頃は服をほとんど意識したことがなかったと思う。

中学生くらいから少し気になり始めて

でも

自分で決められない性格だったから

「どれが一番売れていますか」

そんな質問をして店員さんに

「自分で決めな」

と言われたことがあったな。

当時は今と比較して感性や想像力が全く育まれていなかった。

それ以前に、全身が力んでいたな。


大学進学と同時に京都市内に移り住み、環境の変化に翻弄された。

高い服をたくさん買っていたなあ。

当時のボクは、本当に自分に自信がなかった。

28歳の頃にはこんなこと世界でもっともオシャレな状態――所有せずしてオシャレをする - 岡安賢治随想録(okayasukenji’s essay)
やこんなこと去年の今ごろ - 岡安賢治随想録(okayasukenji’s essay)を書いているなあ。

あれから三年が経ち

今はワークマンやバザールタウンで買ったもの、それに、両親からもらったお下がりを主に着ている。

一昨日、養護学校の先生がデザインしたカララとナチュラというキャラクターがプリントされたウインドブレーカーを母からもらった。

素材自体のセンスが特別いいことはないのだけれど

キャラクターとコンセプトが秀逸だったから着ることにした。

一緒に以下のメッセージの書かれた紙をもらった。

カララとナチュラ

カララはかいじゅうです

かたーい殻につつまれています

頭にはジコチューという

大きな角がはえています

いつも 人を コワがらせたり

嫌なことを言ったり…

でも ホントは

臆病で さびしがりや

殻を破ろう 勇気を出して!

おそるおそる 大丈夫 大丈夫…

素直でやさしい

ナチュラが顔を出しました

2010秋

いのうえさとる

*1

個人史上におけるファッションの変遷というものは、自己変革の変遷なのだなあ。

自分も景観の一部であるから、自分を鑑賞する他者のためにオシャレをしたい。

今はこう思っている。

思いと愛情の詰まったもの

ご縁のあったものを素直に身につけたい。

けれども、たまには素材やデザインの洗練されたクオリティの高いものも着てみたい。

いずれ自分のありったけを書で表現した服を作りたいな。

*1:勝手に引用してごめんなさい。