*今だからこそ『広島平和記念資料館』

 昨日、神奈川県から来た21歳の青年と広島平和記念資料館http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)に関して話す機会がありました。彼も衝撃を受けていました。

 広島県民は普通、小学生の頃に一度は資料館を見学する機会があります。今から30年以上前は社会見学として資料館とドーム、原爆病院の慰問を行っていました。私もしっかりと記憶しております。
 中東問題や北朝鮮問題に関して武力行使を前提とした解決策を唱える人々が目立つ気がします。かく言う私も時折「目には目を」と考えてしまうことがあります。
 そんな時、資料館を見学した際に受けた衝撃を思い返すと、やっぱり戦争を紛争の解決に用いることには随分の抵抗を感じないではいられません。
 殊に非戦闘員が被害を受ける戦争は決して認めることはできません。中でも放射能被害のように一生全快することが無いばかりか、次世代へも被害が及ぶ、正に非人道的な兵器の使用は同じ人類として許すことは出来ません。
 広島には大久野島http://homepage3.nifty.com/dokugasu/qa.html)という島があります。イペリットに代表される毒ガスを製造していた島です。国際条約に違反する行為なので第2次世界大戦中には軍事最高機密として地図上からも消えていました。小学校の頃、学校の備品として大久野島の無い地図があったのを明確に記憶しています。
 JR呉線忠海駅のすぐ沖に浮かんでいる島なので列車に乗れば見えます。戦時中は糸崎駅から海側の窓は全てブラインド(目隠し)を下ろされ乗客は島を見ることも許されませんでした。
 終戦時、米英からの非難を恐れた軍は毒ガスの完成品を含め、原材料の全てを瀬戸内海に投棄したり地下に埋設したりしました。
 未だに島の砂浜には許容量以上の砒素が含まれる地域があります。
 私は、この島で当時、毒ガス製造に従事していた方を知っていました。その当時の毒ガス防護服は完全なものではなかったので製造に従事していた作業員にも大きな被害を与えました。
 その方も被害を受けておられました。自宅のベッドで寝たきりの生活をおくっておられました。左腕(記憶によると)に大きな腫瘍が出来ていて年に何度か忠海病院という毒ガス被害者の専門病院に入院を余儀なくされていました。最期にはその障害がもとでお亡くなりになりました。30年以上前の記憶です。
 世の中は様々な娯楽で溢れかえっています。決して修行僧のような生活のみが意義深いものだとは思いませんが、そんなお金を平和教育に費やすことは出来ないのでしょうか?
 世の中から戦争や紛争を無くさなければならないという最低限の平和教育を子供に施すことを三位一体改革の中に盛り込むなんてぇのは・・・・まぁ、難しいかな(ーー;)
 政治家の最も大切な仕事は所属する国家や地域を戦争や紛争に巻き込ませないことであるとの認識を新たにした私でした。
 本気で立ち上がらねば!