ツンデレの勝利条件から考える、教養小説回復の困難さ:前篇

2005-10-17 - 霞が関官僚日記てな感じで、ツンデレが一般化する勝利条件ってなによというパスが来た。ただ個人的にはすでに割とツンデレって、昔から文系オタク少年の憧れの一つだったから割と一般化してるんじゃないかと思う。
ちょっと「エンダーのゲーム」以降、色々考えていることとも繋がるので、まぁ脇道にそれつつパスを返してみる。

◆ツンデレとは
ツンデレとは例えば、“普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃついてくる”ようなタイプのヒロイン、あるいは、そのさまを指した言葉である。
(中略)
古典的なラブコメはこのパターンが少なくなく、現在でも広義に捉えればツンデレ的恋愛要素を利用する作品は数多い。ベタとも王道とも受け取れる手法である。

引用部の後半で述べられているように、ビルドゥングス・ロマンというかジュヴナイルとかにおいて、わりと昔から「ツンデレ」って、基本的に縁遠い高貴な女性(少女)が、だんだんと主人公の少年に心を開いていくという様子を描写するのに良く用いられている。
ツンデレ的な振る舞いを女性側に要求する圧力としては、実は美少女ゲームでよく使われる「現代的な見栄」よりも「古典的な身分格差」の方が大きかったわけで。「書生とお嬢様」「従者と姫」パターンとかを考えてもいいのだけれど、そうするとはてしなく広がってくる。
前半部のような女性側の感情が多重人格的に分裂している様が現れるようになってきたのは、80年代以降のポップカルチャーに顕著だとは思う。オタクカルチャーへの影響度というと、最大影響力を持った三作品スターウォーズ機動戦士ガンダム銀河英雄伝説などに出てくるヒロイン像を考えると、「オタク文系少年の内面を分かってくれるちょっと変わったお姫様・お嬢様」キャラが登場してくるし……。
もともと、男の子向けのビルドゥングス・ロマンにせよ、寓話にせよ、あるいはライトノベルの原型でもいいんだけど、その中枢部だけ抜き取ると

少年が困難を克服して、大人になる=家族を回復する=連れ合いを獲得する

というのが大枠になるわけだ。けれども、それが80年代、90年代、00年代とくだって来るに従って、《少年が大人になる》ことが、どんどん困難になってきているというのがある。

70年代の「宇宙戦艦ヤマト
主人公と故郷の傷の回復は容易で、ストレートに家族は回復される
80年代の「機動戦士ガンダム」「銀河英雄伝説
主人公と故郷は回復不能の傷を負うが、かろうじて疑似家族の回復に成功する
90年代〜00年代「新世紀エヴァンゲリオン
主人公と故郷は回復不能な傷を負い、疑似家族の回復も困難となる

ストレートな子供向けの英雄譚であった「ドラゴンクエストダイの大冒険」であっても、90年代にはいると、ラストは主人公は最後は行方不明にならなきゃ、リアリティを担保することが不可能になる。少年が主人公のストーリーを書くことに天才的な手腕を見せていた田中芳樹は、90年代に入ると「主人公が超人少年」である「創竜伝」を除いては、少年主人公のストーリーが激減する。
ジョージ・ルーカススターウォーズでは、アナキン・スカイウォーカーは、ヤリチンのダークヒーローになっちゃうし(笑)
そんな中で富野由悠季の視点から、「機動戦士Ζガンダム」「機動戦士Vガンダム」「エンダーのゲーム」なんかも位置づけていくと面白いんだけど。後は本当に富野由悠季は「キングゲイナー」で回復したのかどうかなど。
そんなこんなから、ツンデレの位置づけを考えると、最近、ふと思っているのは

コミック・美少女ゲームを中心として90年代後半から数を増やしてきた、「色んなタイプのヒロインが登場するハーレムもの」は、弱体化してしまった教養小説の少年性を、ヒロインの多彩さによって補填する機構なのではないか

と考えられる点だ。
うん、この点を後半でもうちょっと押し広げてみる。そうすると、実は教養小説に出てくるヒロインは、本来的にツンデレである的な所に落ち着くと思うけれど、なんとか、少年性回復の方向性とからめて、古典的なツンデレがいかに現代的な次のツンデレへとなりうるかというの有り様と勝利条件をもうちょっと考えられるかもしれない。
【追記】
高年齢のオタク向けコンテンツにおいては、上述のような傾向の下に、どんどん主人公の負う傷が大きくなっているのに対して、低年齢向けコンテンツにおいては、《無傷》《無垢》《挫折なき天才》でいる主人公が「反動」として多くなっていることは注目。
その状況を維持するために、ドラゴンボールにせよ、クレージーダイヤモンドにせよ、その他の「気」を使った超能力合戦モノでは、《治癒能力者》が欠かせないのかもしれない。
これもまた仕方ないことではある。ただこれが

  1. 若年者にも失敗を許さない圧力
  2. 小学生低学年の半分が「死者の蘇りを信じる」

という、ちょっと困った傾向を生んでしまっている点にも注意した方がいいかもしんない。