panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アイム・バック・トゥ・バンコック

  午前11時にはバンコク空港着。やはり1時間半。ハノイのタクシーの不審な行動にはまいったが、無事戻りました。所定の目的も実現し、10月のバンコクという初めての経験に突入です。ちょっと整理して、また5泊6日ハノイ滞在について記します。
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  夜7時近い。空港からアパートに帰る前に、関係所・者に会って、蕎麦を食べ、その後喫茶店で美女と長話をしたら、故郷バンコク帰還の安心感からか急にまた日本カレーが食べたくなって、一人贅沢した。と、とたんに、疲労コンパイである。雨も降り出し、慌てて戻る。今夜は謎の・・・人のところには行かないで、ブログの続きを書くことにしよう。でももう10月1日。なのに、まだ雨期なのか。暑いはずのハノイよりバンコクは暑かったようだし、テレビでは。そして雨。ハノイの朝6時も雨だった。
  俳優トニー・カーチスが亡くなったと思ったら、女優池内淳子が76歳で亡くなっていた。しかも85歳のアーサー・ペン監督も。いうまでもなく野球の監督ではない。ペンに明日はなくなった。その上、小林司氏も81歳で。日本シャーロック・ホームズ協会を立ち上げた精神科医だった。グッドモーニング、ヴェトナム!とか我輩が云ってるときに、子供の頃からの旧知の---会ったことはないが---人々が何人もこの世を去っていた。人は死ぬものなのだ。
  落ち着いたバンコクから振り返ると、ハノイが遠い世界に去っていくようなヒッチコック的眩暈を感じる。死と生の間同様、ハノイバンコクははっきり別の世界だ。タイではスワンナプーム空港からは今やシティ・リンク・ラインという完璧な電車が通じ、美しい田園地帯を眺めながらバンコク中心めざして、気持ちよく帰ることができる。ハノイでは、空港へ向かっているというのに、タクシーがどんどん貧しい村のほうに彷徨(さまよ)っていくので、てっきりこれはオイハギかと思ったくらいだ。近郊の村はハッとするほど貧しく、にもかかわらず活気みなぎるものがあった。雲泥の差だ。とにかくハノイにおいて交通とは死に物狂いの別称だ。完全に机上のルールを無視するという現場のルールが支配しているので、誰もこの無法状態に抗議しない。むしろ原初的なルールが生まれる瞬間に立ち会っているとすらいえる。面白い光景なのだが、道は渡らなくてはならない。必死であった。
  とにかくまず、上体を起こして、崖から飛び降りるように、バイク軍団のなかに突っ込む。この勇気がないと100年は渡れない。左を見ながら、アイコンタクトだ。でも何人とやればいいのだ?。でハっと気づくと、右側から突進してくるバイクが何台もある。一方通行だろうが!。怒るのは敗者だ。ここが我慢のしどころである。また、すばやくヴェトナム人とアイコンタクト。あーー、何百人とコンタクトしてきたのだろうか。我輩は。決して止まってはいけない。が、足がすくむ。すくんで立ち往生でも、しかし、何とかなるのがハノイだ。相手はプロだ。プロは子供二人と夫を乗せて家路につく主婦なのだが、これまで生きているということが彼女が路上のプロだということを示す。ありがとう、ヴェトナム。グッドバイ、ハノイ
  うまくその状態を写真では撮れないのだが。