panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

華のルアンパバンの昼に人はいない


(ホテルとなりの寺、すいか寺。山の上にプーシーが見える。ここに登ったのである)
  気づけば日曜日だ。まさにさらにのんびりなLPである。9時に出た時はまるで曇っていたが、いま1時、帰るときは背中に汗。こういうのがここの天気なのか。
  坊主は何をしているかはどうであれ、埃と掃除放棄という観点から華のLPを眺めるのはいかがなものか。アジアの貧しさとはそういう汚れと一体だと了解して、見ないことにし、見学を進めよう。日本だって昔、貧乏人の家は汚かった。今はなくなったから忘れてしまっただけだ。整理整頓、育児に意気地が弱まるのが、貧困の文化というものなのだ。
  さて、博物館と、シェントーンをまた、訪問。博物館は元王宮である。あまり行く気はなかったんだが、敷地も高いヤシの木の並木があって豪奢。中は壁も置きものも豪華絢爛、繊細緻密、驚嘆である。期待してないからとも思うがこれでは社会主義になってしまう。あ、社会主義だった。パテト・ラオが勝利したのだ。ラオス共産党である。とにかく、このラグジュアリーぶりは、ラオスのこの地の周りからは、あまりに突出した感じ。織物刺繍工芸の完璧な作品が一杯ある。ラオスの手工業の質の高さを再確認する。タイと同じ民族とは思えない。各国から贈られた品物があり、アメリカとタイとやや日本が作りの精緻さで劣るかも。ただ日本は陶器だからタイプが違う。他はインド、ビルマ、カンボと銀食器の飾り仕事は見事だった。
  でもまた不満だが、観光によって付近から孤絶したLPの人心は荒廃しているのではないか。意図的な釣銭間違い、ふっかけて金額をいう図々しさ、そして食べ物では作る意欲のない感じは、これまで行った国で一番だ。おめでとう、トップショーです。って悲しぐね、ラオス?。そのたんびに抗議するが、根は田舎の人だから大体は間違ったふりして、応じる。でも、これではラオスを好きになるのは難しい。というか、LPだが。田舎にはない豊かな荒廃ぶり(?)をLPは示しているという印象をもつ。これでラオスを代表させることはできないが、ラオスを愛するきっかけにはならないことは当然である。他の観光者はどう思っているんだろうか。
  埃と放置と金銭亡者と、LPはこの世の天国のような街並みと雰囲気を漂わせながら、その内実において崩壊中である、とそこまで云うつもりはないが、この社会主義国家では、洞窟で懐中電灯を借りることすら有料である、という記事を読んで、有名な洞窟探訪をとりやめたことは、君たちの損失だったね。これでまた、ひどい値段を設定してるんだろうからなあ。おあいにく様。
  元王宮=はくぶつかん。