panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

魔女裁判をのりこえて


(夜のイテウォンの一本裏の通り。翌17日。この日は聖パトリック・ディで、アイリッシュたちが緑のものを身につけて狂乱していた)
  やはり疲労の色濃く、一時間ばかり、机に長い足を投げ出して寝てしまった。その間、FMからはイタリアオペラの歌曲が流れていて、いま、復活。かつてのベトナム同行者H氏からもメールが来ている。ふふふ、正義はまた勝ったよ。
  さて着いた日の夜はホテルのそばに探しておいた焼き肉屋に入った。もちろん探しておいたのは我輩ではなく、圧倒的なコンピュータ・リテラシーを誇るガイド兼南極氏である。赤道たる我輩と北極氏はただ盲従するだけである。すでに掲示した写真にみるように、いろんなつまみが出てきて、その中心に焼肉が焼かれるアリーナがある。キムチなどつまみギャラリーはキリストの原罪にも似た焼肉の焼かれるのを眺めるのだが、結局それらもまた我々皇帝の取り巻きたちによって食される運命にある。・・・ただし辛いので、すべてが食されるわけではない。
  骨つきカルビという、韓国に来たらこれだ!というもっとも中心的な焼肉をハサミで十字に切り分ける。もちろんここ韓国のコロセウムで切り分けるのは我々ではない。韓国の姉さんである。親切にいろいろ説明してくれるが、その対応はザ・北極南極にまかせて、我輩は食べるのみである。韓国社交界デビューはずっと後にしておきたい。・・・できれば、デビューしたくないというのが我輩の立場である。
  思った感じの値段であった。韓国人には安くはないだろう。そもそもそれほど焼肉を食べるわけではないとも聞いている。どこに行っても牛肉は高価なものなのである。
  さて腹もふくれ満足した我々はイテウォンの中心地へと戻った。予想以上に賑わっている。金曜日の夜だからか。それにしても高低差のある道にそっていろんな店がにぎやかに立ち並んでいる。す、すごぐね?辺境とか韓国知識人は行かないって?とんでもないガセネタではないか。ちょっとした六本木状態である。というのも白人がわんさかいる。黒人もいる。でも夜だから・・・・ってマズイノデハ?いやいやそうかもしれないが、とにかくポイントはそこにはない。イテウォンは大変華やかなカフェが山のようにある歓楽地だったのである。
  とある一軒の、これまた予め(南極氏が)見当をつけていた店、バンガローに入った。カベルネ・ソヴィニヨンだか、食べるね、そうだよんだか、品種は知らないが、赤ワインを一本とって、飲む。食べない。他の韓国人たちも誰も食べない。どころか飲むのをやめて語り合っている。ロボット人間だらけの日本から来ると韓国もまたアルカディアか。しかも・・・その場で現物と交換、現金払い。だから安いし、最後にいくらか気が気でない高い日本式飲み屋とは違って、何だか次期皇帝になったような鷹揚な気持ちとなる。暗い部屋のなかに若人がいっぱいて、ひょっこりひょうたん島たる我々、たまたま寄りついた北極赤道南極一行は、居心地よく飲んでしゃべって、そして歩いて帰って来た。その間の事情は委曲をつくせば書き足りないが、何せやや疲労しているので(?)、詳細は省く。

(バンガローの奥の一室にて)

(バンガローから出てきたら米兵たちが何かを雨中、捜索中であった。我輩は、女性の偉いとおぼしき隊員に、アンニョンハセヨと言われた。しかし、あんちゃん、どけよ、の可能性も捨てがたく、いまだにとまどっている。ハングルはほぼ東北弁であるから、何でも理解できそうに思ってしまうのは、北国の人間の悪い癖である)
  ホテルはIPブティック・ホテルという結構有名なホテルであったが、予告2がそのホテルの南極氏の部屋である。なぜかここだけモンロー主義アメリカにヨーロッパの干渉は許さないという構えであった。我輩の部屋は一階上。各自自分の部屋に引き下がり、眠るのであるが、翌日が晴れていることを予感させるものは、我輩の信念だけであった。


(ホテルロビーと外観。旧イテウォン・ホテル。なお、我輩はアジアの一人部屋というのは例外で、2人部屋となることが多い。あまつさえ、かつてバンコク、香港、バリ島は3人だった。これはトイレの順番がきわめて重要な駆け引き対象となるが、それもまたアジアだと思うことがある。だからか、アジアの一人部屋は寂しい。ソウルフルなソウルにいて孤独も味わうゴージャスな旅でもあったということがいえるだろう)