panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

教育という牢獄、、、という個人的見解



  やることはやって、本にさえぎられて見えない外を隙間から垣間見ると、春の夕刻である。気持ちのいい6時なのだった。
  こっちはいろいろ複雑だが単純な会議をおえて、我々の機構がとてつもない巨大な機構だと思うことになった。小さな巨人なのである。そもそもポキのところの組織は小さいからだ。でも内部は複雑にいろんなことをやっている。それがアホらしい感じもするが、現実的な効果をもっており、資格をえてそれで一生を暮らす人もいるわけである。つまり教育であるね。
  しかしその真摯な取り組みが抑圧的にも思える。くだらんという感じもする。ただの形式的資格ではダメだということでもあるし、制度通りにやってもつくられるものは、もぬけの殻だという印象もある。
  結局、ポキは制度としての教育からはほとんど何も得なかった。ゆえに制度や組織としての教育にはまったく信頼を置いていない。ただその自由なゆとりが自分をつくったと思っている限りにおいてそうした制度や組織にありがたいと思うだけである。
  教育の中心にいて独学だった自分こそが誰よりも教養があるのはなぜなのか。これが不遜ながら、ポキがいだく問いなのである。
  というのを後から読み直し、よく言い切ったなあと思う春の夕暮れ。グレているわけではない。
  なおポルポーラの前の文章で出てくるCD、アメリカのジョージア州から買った。いつか届くだろう。きっとこれだと思うのだが。ジョージアジョージアでも、ブニアティシヴィリの国グルジアではない。現ジョージア。・・・名曲だと思う。