panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

努力するポキ


  ようやく退院した。予定をかなり超過して、土曜日に出てきた。土曜は病院は休みで、タクシーを探してとうとう駅まで歩いていったが、きわめて常春の病室(どうやって室温をいい具合に保つのか若干気になった)からぶりかえした酷暑のなかに出ていったわけだが、それでも生きた充実感いっぱいで、幸福に包まれる。
  手術自体はまったく記憶にない。全身麻酔(略してゼンマ)なのである。ねねねね

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  何が、ねねねね、なのか。書いた覚えはないが、いま気づいた。そもそも自宅の電波事情が悪く、よくブログが書けないのだ。でも、そういう困った点を含めて、現在、こうして気ままに机にむかっている幸せというものを感じないわけにはいかない。
  ゼンマ後はICUで一晩過ごすことになったが(きっとそういうのが一般的なのであろう)、これが苦しかった。たいした痛みはないのに、体に機具がついていて、モニターされている。呼吸数、血中酸素濃度、心拍数などが映っているのだが、ここに問題がある。
  暇なわけである。午後一時半には手術が終っていたから、それからずっと眠っているのは至難の業である。何となく目は閉じるが、眠くなる、ならないが続く。結局、夜半になるともう眠れないので、じゃ、考えようということになる。この好機を利用して何か考えようと。
  でも考えると、どうも呼吸が止まるのである。有酸素運動ではないのだね、思考は。その結果、呼吸は乱れ、それがモニターに出てくるばかりか、酸素濃度が94パー以下になる。と、警告音が鳴り出す。はっとして、ポキは深呼吸をする。しないと、また看護士がやってくる。たまに、深呼吸を続けると警告音が止まる。だから必死にもなる。
  つまりこうである。暇→考える→呼吸が一時止まる→酸素濃度が減る→警告音がなる→無理やり深呼吸を行う、むやみやたらに激しく深呼吸をする→その結果、1)看護士がやってくる。あるいは、2)警告音がとまって、安堵する。
  このドタバタ劇のようなことを何度かくり返す内、ようやく寝入り、そして目が覚めると、朝の4時だった。もうこうなれば、もう少し。頑張ったなあ。つまり何も考えないで、アホのふりをする、という頑張りである。
  ちなみに我輩は学者である。なのにものを考えないということに傾注し努力し邁進するという喜悲劇。
  ともあれ、こうして朝9時前にポキはICUをあとにして病室にもどることになったのである。勝利というか、正義は勝つ、というべきか。すがすがしく機具がはずされ、点滴もなくなった体に戻って帰還した。しかしドレーンという、傷口から流れる血をためる機具だけは付着させて。そう、我輩は5人チームの手術をうけたわけなのであって、、、。
  まずはユリシーズの帰還の物語の一部であった。
  写真はがんセンターのロビー。