panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

日本の青春としての高度成長

  
  『哲学者内山節の世界』が届いて、ちらちら飛ばし読みする。でも土日は日曜は月曜のために体力温存で、録画した映画やドラマをみることが多いが、今日は寝すぎて、つまりやはり疲れがとれないようなので、読書に比重がかかる。でも気軽な作り?の、内山をたたえる本なので気楽に読める。
  東宝をつくった製作者の息子で世田谷育ちの内山は、三池闘争(九州の炭田の労使紛争。日本史を画する闘争だった)でテレビに出てくる炭鉱夫たちが生き生きしているのに、世田谷の回りの大卒家庭が活力がないことから、理由を知りたくて中学のころからマルクスなんかを読み始めたというのだから、人とは違う。
  結局名門だったはずの新宿高校で学歴は終わり、その後は文筆業なのだが、一時は立教の先生もしていた。この本の写真をみても、まったく世田谷だの立教だのとは無縁の田舎の農民風情が身についた内山である。
  高度成長は正直いって地方の優等生には唯一の救いだった。学校のルートを通じて都会で働くことのできる道はそれしかなく、それも日本経済がたいしたことのないままなら、大学は出たけれど、という昭和初年頃の状況と同じだからである。だから、高度成長に違和感をもって新宿高校を出て農学部行って農業をやりたいとかいったような内山的状況(担任があわてて家庭訪問に来たというが)とは反対の環境に置かれていたのが、地方の優等生だったわけである(内山は結局進学はしなかった)。その意味で、今頃、内山の感じていたり考えていたことにようやくたどりつくというのは仕方ないことなのかもしれない。・・・やはりイナカモンは駄目だ。ポキのことだが。、、、でもその分、幸せだったともいえる。イナカモンだから明日に未来があると思って生きてこれたのだから。これはしかしポキのこととはやや違うが。
  いずれにしても全国民のこれほどの努力と近代化の末に、誰もが不幸ではないが幸福とも思えない半端な社会をつくりあげたことの今日における反省とそして自戒を徹底する必要がある、とやはり思う。そのことを考えることは、いまは寂しい秋たけなわなので一層、身にこたえることではある。
  日本の青春としての若尾文子。もう日本のイナカモンの青春はないので、こういう女優が出てこないということであるなあ。