Hatena::ブログ(Diary)

照る日曇る日の日記

2017-05-22 月曜日

靴箱

| 15:52

17日−−55歳以上10%引きの最終日−−に靴を買った。25.5で4Eはいつものとおりだが、メーカーは初めての「Tultex」。店での試し履きでは分らなかったが底も側も少し硬い。右の小指の付け根のふくらみのところに豆ができかけている。

本題はこの先ですが店の人に、箱はどうするかを訊かれた。不要ならば靴だけ包みます、ということ。いらないな、と思ったけれど、必要ですと答えていた。靴箱を受け取った郵便物の入れ物にしている。事務的なものは別にしまうので、しまうのは私信だ。今は数年前に買った「Bio Fitter」の箱だ。まだまだ半分も塞がっていない。新しい箱は不要というのが客観的な答えだが、一抹の希望的観測が、箱も要ります、と答えさせた。

2017-05-09 火曜日

なしくずしの別れ

| 21:02

ここしばらくズボン下と半そでシャツの上に着る長袖シャツを着ていないな、と歩きながら思った。そう思うのは、たまたま暑い日があって着るのをやめるだけで、今シーズンはもう着るのは終わり、という明確な意思があって着るのを止めたわけではないから。そのときの気温に対応するために一時的に着るのを止めた、と思っていたから。しかし、おそらくこのまま次のシーズンまで着ないと思う。

ズボン下と長袖シャツとは、結果的にあの日が「別れ」だったわけだ。「今日でお別れね、もう会えない」と歌にある、そういう別れ方よりも、結果的にあれが別れだった、という別れ方の方が多いだろうと思う。

2017-05-05 金曜日

朝のアクシデンタル噴水

| 21:44

散歩のコースの田んぼの水には地下水が使われている。一枚一枚の田んぼに給水装置が備えてある。給水装置の構造は外見から推測するに次のような構造だと思う。直径40センチほどの桶が田んぼの端にまたは隅に埋めてある。地表に出ている部分の高さは30センチくらい、埋まっている部分の長さは不明。桶の真ん中に水が出る口がある。直径は5センチほどか。桶の底にある口から地下水が噴き出るが口の上には屋根があって水はその屋根に当たって桶の中に落ち、溜まる。溜まった水が桶の縁から溢れ出て田んぼに流れ込む。おおむねこんな仕組みだと思う。

今朝歩いているときに、この給水装置から水が二、三メートルの高さまで吹き上がっているのに出くわした。桶の底の噴水口の上の屋根が水圧で吹き飛んでしまったのだ。給水装置の栓を開けに来た人が軽トラックで帰る途中で噴水に気がついて、大元のポンプ装置のところまで車を走らせて、スイッチを切ったようだ。

写真が横になってしまいました。吹き出る水の柱の右側の草の上にある黒いものが吹き飛んだ部分です。

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2017-04-29 土曜日

「てくる」から『諸形容語の数量的基準』へ

| 09:30

「てくてく」という語を読んで父のよく使っていた「てくる」を思い出した。そこで、はてな?と思った。「てくてく」は「絵本」などにもよく登場する全国的に通用する言葉なのに、それと無関係とは思えない「てくる」が、なぜ方言なのだろうか、と。答えは簡単だった。「てくる」は方言ではなかった。

「てくてく」の「てく」の動詞化。歩いて行く。てくてくと歩く。

「てくてく」に戻るが、「向かいの雑貨屋まで醤油を買いに、てくてく歩いて行った」とは言わないのではないだろうか。「てくてく」を使うにはそれなりの距離が必要ではないか。ずばり「1.5キロ」は必要ではないだろうか。そこから『諸形容語の数量的基準』という本の執筆を思い立った。例えば「いそいそ」の項には「身長×0.4以上の歩幅であることが必要条件である」というような記述がくる。なかなか良い思い付きだと思うのだが「てくてく」と「いそいそ」のふたつから増えていない。

2017-04-26 水曜日

隊列の中から

| 21:43

ガードレールで車道と仕切られた、人ひとりがようやくという幅の歩道を、五、六人の小学生の隊列が真っ直ぐ学校に向かって遠ざかって行くのを、真後ろから見送った。一年生のひ孫一は隊列の真ん中辺りが定位置で後ろには上級生が数人歩いているが、整然と行進しているわけではないので、後ろの子の背中の隙間からひ孫一かどうかわからないが、小さな背丈の子の頭も見え隠れする。小さな背丈の子の頭が振り返った。ひ孫一だった。わたしを認めて手を振った。わたしも手を振った。それから前に向き直って歩き始めた。何秒も経たないうちにまた振り返ったひ孫一の顔が、後ろの子の背中の隙間から見えた。手を振った。わたしも手を振った。それから前に向き直って歩き始めた。何秒も経たないうちにまたひ孫一の振り返った顔が見えた。手を振った。わたしも手を振った。そこからは振り向かずに歩いて行った。

隊列の中で振り返った顔がひとつであったことと、三回という回数のためだと思うが、「西部戦線異状なし」のエンドロールの映像と、記憶の中のあの場面は似ているような気がするが、似ているだけであってほしい。