廣瀬浩司:授業資料格納所

授業用レジュメの残り物

演習 差異の体系としてのラング(4/25)

第一段落
ソシュールの教え
・記号はひとつずつでは意味しない。
・「そのそれぞれは、意味を表現するというよりは、それ自身と他の記号の間の意味の隔たりをしるしづける」
これをすべての記号に一般化すれば、「ラングは名辞=項なき差異からなる」
より正確には、「ラング内の名辞は、名辞間に現れる差異によって生み出される」

コメント
ソシュールの「言語は名辞なき差異からなる」という言葉の解釈。
一般的解釈:
・「実体から関係(函数)へ」。実体としての意味ではなく、関係としての意味。
・意味はあるシステムによって相対的に決まる。例)色の区別が文化的に違う、という文化相対主義
・相互排除。否定的関係。
→ 平板な関係論。1)システムの変動や創発はどのように起きるのか。2)システムを攪乱したり(病理学)、新たな意味を創出したりする要素(芸術など)はどこにあるのか。

メルロ=ポンティの解釈はこれとどう違うのか。
・「隔たり」(écart, divergence)という用語に注目。「否定」や相互排除ではない「凹み」
・言語が差異の網目からできている、ということよりは、<ある記号は、直接に意味を指し示すのではなく、「他のすべての記号」との隔たり=ずれをマークする。>デリダ差延」「間隔化」
あくまでメルロ=ポンティにとっては、実体的意味ではないような、別の意味の生成をとらえようとする。このことは次の文からもわかる。
「ラング内の名辞は、名辞間に現れる差異によって生み出される」
上記の隔たりこそが名辞を「生み出す」ということ。<構成的>に作動する差異の働きが、ラングというシステムを支えている。

メルロ=ポンティにとってのソシュールの定義の難しさ
・名辞に先立って「意味のコントラスト」がある。
・「コミュニケーションが、語られたラングの全体から、聞き取られたラングの全体に向かうとしたら、言語を学ぶためには言語を知っていなければならない」ということになってしまう。
この文章の意味は?
・外国語の学習や、幼児の言語習得の場面を想定。
・言語システムにおいてすべてが関係的であるとしたら、ひとは言語システム全体を学ばなければ意味を掴めないのか、という反論。言語はやはり<記号と意味>の一対一の関係の加算によって学ばれるのではないだろうか。

メルロ=ポンティの回答。
ゼノンのパラドックスと同様である。動かない矢のパラドックス。→「パロールの使用」によって乗り越えられる。次段落からわかるように、メルロ=ポンティにとっての真の問題は<差異の体系>というあるラングの<全体>と諸部分の関係である。

循環=言語の奇蹟
「ラングはそれを学ぶ者において、みずからに先立つ」「おのれ自身の解読を示唆する」

このことを解明するには、ソシュールが語る「差異の体系」としての「ラング全体」の「全体」の意味を考え直す必要がある(次段落につづく)
参考文献:
メルロ=ポンティ『意識と言語の習得』(みすず)、その第一章「心理学的に見た幼児の言語の発達」では、この文章のもとになるような心理学的・言語学的議論が紹介されている。
「言語活動の獲得とは、ある個人がラングに組み込まれていくことである」(二八頁)
「音素対立の体系が意味へと向かっていく」(同)
「音素体系はいわば<くぼみ>に意味を浮き出させるようなものだからです」(二九ページ)
(いずれもヤコブソンについて。失語症の分析も興味深い)