小湊鉄道2015夏その2

 小湊鉄道の旅。起点の五井から一つ目の上総村上駅で下車して上総国分寺跡を訪ね、海士有木駅まで歩いてきた。

 次の列車は9時46分発の上総牛久行き。まだ10分ほどある。ホオジロがさえずり、ニイニイゼミやキリギリスの声も聞こえる。トンボも飛び交っている。クロアゲハやナミアゲハもひらひらと舞っている。こういう駅でぼんやりと列車を待つ時間は好きなのだが、とにかく暑い。

 今はもう使われなくなった貨物ホーム。

 海士有木も今は無人駅だが、昔はどこの駅にも駅員がいるのが当たり前だった。貨物輸送の主役も今はトラックだが、昔は鉄道だった。このようなローカル線でも貨物列車が運転され、貨物ホームで貨車の荷物の積み下ろしをやっていたのだ。
 郷愁の画家・谷内六郎さんの作品にローカル線の駅で貨車に乗せられた馬に子どもたちが「駅弁だよ」といって草を食べさせている作品があった。そういうのどかな時代はもう戻ってこないのだろうなぁ。
 ホームから見える田圃カルガモが1羽。

 陽炎の立つなか、ようやく列車がやってきた。

 乗り込んだ列車は先ほどと同じ車両だった。僕を上総村上で降ろした後、上総牛久まで行き、五井に戻り、再び牛久へ向かうところだ。女性の車掌さんも同じ人。なので、彼女も僕がフリー乗車券を持っていることを知っていて、もう検札にも来ない。
 2両編成の2両目に乗ったのだが、僕のほかは父子2人連れだけで、途中で彼らが前の車両に移動したので、後ろの車両は僕だけになった。ちょっと寂しいが、それ以上に小湊鉄道の経営状態が心配になる。

 馬立駅を発車。次が終点。

 車掌さんがやってきた。この列車が次の上総牛久止まりであることを告げた後、その後の上総中野行きまで少し待ち時間があるので、牛久の町を見物するもよし、この列車で途中まで戻るもよし、などという。そして、時刻表を確認した後、馬立駅まで戻れます、とのたまう。
 この列車は上総牛久に10時04分に着くと、19分発でまた五井へ折り返す。五井へ向かって2つ目の光風台で上総中野行きと行き違うので、1つ手前の馬立で降りれば、中野行きで牛久へ戻ってこれますよ、というわけだ。僕がフリー切符を持っているのを知っているからこそ、こんなことを言うわけだが、マトモな人はこんなことをしないだろうし、車掌もこんなことを勧めないだろう。僕が先に上総村上で降り、海士有木で乗ってきた時点で、マトモな人ではないことがバレているようだ。
 とにかく、上総牛久に着いた。とりあえず、同じ列車で折り返すような変なことはせず、改札を出た。その前に列車の写真を撮ったが、これは僕以外にも多くの人がやっていることだ。小湊鉄道では下車した客がホームでカメラを構える、というのはごく普通のことなのだ。そういう人ばかりが乗っている、ということでもある。

 上総牛久なので(?)、改札口に「仲うし」と題する牛の像が置いてあった。

 上総牛久は小湊鉄道沿線では一番大きな町で、駅員もいる。列車の運転本数も牛久を境にこの先はほぼ半減する。つまり、ここから先は房総半島の中でも本格的な田舎ということになる。

 今から20年前の夏に初めて自転車旅行を思い立ち、当時はまだ健在だった川崎〜木更津間のフェリーを利用して房総半島に渡り、炎天下、へろへろになりながら辿りついたのが牛久の町だった。なので、ここはちょっと懐かしい町でもある。あの時は朝市をやっていた。3と8のつく日に市が開かれるようで、今日はやっていない。
 次の列車は10時38分発で、まだ30分余りある。となれば、町を見物してもいいのだが、僕は次の上総川間まで歩くことにした。鉄道で2.1キロ。30分あれば辿りつけるだろう。乗り遅れたら、その次の列車までさらに1時間あるが、そうなったら、さらに次の上総鶴舞まで歩けばいい。
 ということで、また歩きだす。どんどん“マトモな人”から遠ざかっていく。この道は自転車でも2度走ったし、去年も歩いたので、迷うことはない。
 歩くのは国道297号線で、低い丘陵を越えるが、鉄道は上り坂を避けて丘陵の縁を迂回する。なので、この区間は道路の方が鉄道の2.1キロより距離が短く、20分ほどで上総川間駅に着いた。

 田圃の中の小島のような上総川間駅。

 駅前にはこんもりしたムクゲの木があり、花が咲いていた。


 本当に何もない緑の中の駅。



 これは1995年の8月下旬に自転車旅行で立ち寄った川間駅。駅舎が当時は青に塗られていた(今はこげ茶色)。20年で植え込みの植物がだいぶ育ったのが分かる。あの時は小湊鉄道について予備知識がまるでなく、今どき、こんな駅があることに驚いたものだ。そして、次の上総鶴舞駅でさらに感動したのだった。

 列車が来るまで10分ほどあったが、キリギリスの声を頼りに姿を探したり(見つけられず)、去年、この駅でたくさん見つけたアマガエルを探したり(見つけられず)するうちに列車が来た。

 10時42分発の上総中野行きは1両編成で、意外にも座席はほぼ埋まっていて、座れなかった。一応冷房車だが、それでも暑いので、扇子でパタパタ煽ぐ。

 ほとんどが観光客および鉄チャン風(停車するたびに駅名標を撮影したりしている)で、外国人もいる。この人たちはどこまで行くのだろう。小湊鉄道で最大の観光地は終点の一つ手前の養老渓谷。ほかに高滝駅下車の「市原ぞうの国」などもある。
 高滝でぞうの国へ行くらしい数名が降り、ここから僕も座れたが、大部分は養老渓谷駅で下車。ここには足湯があるが、今は改修工事中らしい。
 僕は終点の上総中野駅まで乗り通して、ここで下車。11時23分着。小湊鉄道は五井からずっと市原市内を走るが、この駅だけが大多喜町に属している。いすみ鉄道との接続駅だが、山間の何もない土地である。
 もともと小湊鉄道は外房の安房小湊をめざして建設が始まり、一方、いすみ鉄道の前身、旧国鉄・木原線は大原から木更津をめざしていた。両線がここで出合った後、その先の工事が財政難などで中止され、小湊鉄道は名前の由来である小湊に通じることなく、木原線〜いすみ鉄道とつながって外房の大原へ通じて、一応の房総半島横断ルートを形成しているわけだ。

 小湊鉄道の列車は10分後に折り返すが、ここで接続するいすみ鉄道にもちょっと乗ってみたい気がする。大多喜あたりまで往復してこようか。
 次のいすみ鉄道の列車は12時01分に到着し、12時12分に発車する。まだ少し時間がある。そこで考えた。いすみ鉄道の隣の駅・西畑まで歩いて、そこから上総中野行きに乗れるのではないか?
 ということで、また蝉時雨の中、歩き出す。あとで調べたら、上総中野〜西畑間は1.7キロだった。ほぼ並行する道路も大差ないはず。
 道路のすぐ下を通るいすみ鉄道の線路も小湊鉄道と同様にか細く、自然と一体化したような姿。ニイニイゼミアブラゼミ、ミンミンゼミの声が聞こえ、ホトトギスも鳴いている。路上にはアオダイショウが車に轢かれてペチャンコになっている。


 ユリの花。

 ノウゼンカズラ

 ここで列車を撮影したら絵になるな、と思う場所もいろいろある。しかし、カンカン照りの下で列車を待つ気にもならず、そのまま歩き続けると、やがて西畑駅が見えてきた。単線の線路に短いホームを添えただけの小さな無人駅で、ホームに立つと、すぐにそばの踏切が鳴りだし、列車がやってきた。

 朱色のキハ52−125と朱色とクリーム色に塗り分けたキハ28−2346の2両連結。チグハグな編成だが、それがいいのだ。
 小学生の時、図工の時間にバケツに活けた菜の花をみんなで囲んで写生したことがある。僕は前景に菜の花を描き、背景には水田やレンゲ畑や緑の山々を描き、その中にローカル線の列車を配した。それがまさにこんな列車だった。ただし、へたくそな絵である。でも、当時からこんな田舎の風景が好きな子どもだったわけだ。すべて想像で描いた風景だったが、いま思い浮かべると、小湊鉄道いすみ鉄道の沿線風景に驚くほど似ていた。僕がこのあたりを何度も訪れたくなるのもそのせいだろう。
 さて、乗りこむと女性の乗務員から切符を買う。西畑〜上総中野間は運賃180円。

 乗ったのはキハ52−125。この車両がまだJR西日本に在籍していた時、僕は大糸線糸魚川南小谷間で乗っている。当時は白と緑に塗られていた。あれは15年ぐらい前だろうか。その後廃車となり、いすみ鉄道にやってきたのだった。
 この列車はキハ52が普通車だが、後ろのキハ28は座席指定制でランチトレインみたいになっていて、乗客はみなテーブルを設えた座席で何やら食事をしている。終点の上総中野に着いても下車せず、そのまま折り返すようだった。
 いすみ鉄道は乗客の減少により廃止寸前だったが、公募で就任した鳥塚亮社長の下で次々と新しいアイデアを打ち出して、乗客を増やしているのだ。ちなみに鳥塚氏はパシナ倶楽部という鉄道の前面展望ビデオの老舗メーカーの設立者というバリバリの鉄道マニアでもある。
 さて、車内で落ち着く間もなく、12時01分に上総中野に戻ってきた。





 12時12分、いすみ鉄道の列車はプォーンとタイフォンを鳴らして動き出し、来た道を引き返していった。



 さて、もうすぐやってくる小湊鉄道の列車で戻るとしよう。
 しばらく待つと、緑の中から小さな列車が姿を現した。



 旅はまだ続く。